最遊記

□密約
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『雨の夜は、八戒から目を離すな』

同居報告に訪れた慶雲院で、三蔵が眉間に深い皺を寄せ、八戒に聞こえない様に俺に告げた言葉を思い出した。
おそらく慶雲院に居た時に何かあったのだろう。
八戒は、雨の夜におかしくなる。傘もささずに外へ徘徊する事があるから、雨の夜は眼を離せない。

『もう1人でも雨の夜は大丈夫ですから』
と言われても信用出来ない俺は、賭博をしていても、雨が降り出せば急いで帰る。
雨に濡れて、息を切らして戻った俺に、
『僕のせいで、すみません』
と八戒はいつも自嘲気味に笑った。

しかし、三蔵の事は初耳だった。三蔵については、殆ど何も知らない。
互いに気に入らないから、知りたいとも思わない。
だが八戒が絡むと話は別だ。

「…三蔵も?」
「そっ!大好きなお師匠様が、三蔵を庇って妖怪に殺されたのが、雨の夜だった訳。あぁ、そのお師匠様ってあの子に雰囲気似てたよ。普段天然でニコニコしてる所や、柔らかな物腰とか。あくまで表面上の事だけだけどね。
あの子に、そんな面影を重ねているとしたら、失礼な男だよねぇ?」

男は手にしたグラスの中を、ストローで掻き混ぜて均一な茶色にすると、卑しく笑う口元で一口飲んだ。

「きっかけは雨の日でも、それから関係がズルズル続く場合があるでしょ?色男さん?」
「まるで観てきたかの様な物言いだな」
「やだなぁ。覗けるものならしてるけど、あくまで憶測。だけど、当たってる筈だよ?」

睨みつけるだけの俺に、男は目を細めて話を続ける。

「あの子は君の事が好きだから、側に戻って来た。けど罪の意識で幸せになったらいけないと、自分に言い聞かせて自虐する。罰を求めて、神様に近い存在の三蔵に、抱かれてるんだと思うよ?
君の方が、あの子を幸せに出来ると思うんだけど?」

話の流れから、男の狙いが俺達の命でないと知り、俺の緊張が幾分解けた。
三蔵に対して強い殺意を抱いているが、実行する気はないらしい。冷静に考えれば、桁外れに強いであろうこの男が、俺達を本気で殺るつもりなら、既にしてる筈だ。

下卑た笑顔から突然似合いもしない優しい笑顔を作って、お節介なセリフを吐く男を、俺は鼻で笑った。

「へぇ、俺を嗾けて八戒を三蔵から奪わせたい訳ね」
「そう、話が早くて助かるよ」
「三蔵に、あんたと同じ思いを味あわせたいんだ?大好きな人が、命をかけて守った三蔵がそんなに憎い?鳶に油揚げをかっさらわれる気持ち、経験済みなんでしょ?」

俺の言葉に男は一瞬眼を見開いた。
笑顔から一転、ムッとした表情になる。
得体の知れない気配とは真逆で、案外判りやすい性格だ。
賭博もナンパも、相手の些細な変化を読み取る洞察力がないと成功しない。
俺は会話中に、男の瞳孔の収縮や声の強弱、話すスピード、息遣いを全て観察した。人は、好きなモノ、興味のある事柄に対して必要以上に流暢に話す事が多い。
その結果、男が三蔵の師匠を何かしら意識しているのが判った。だから鎌をかけた訳だが、男の反応からして俺の読みは、見事に当たっているようだ。
きっと、三蔵の愛おしい存在のはずの八戒の裏切りで、男が経験した以上の苦痛を味わせる事が目的なのだろう。
殺すなんて生温いと思える位の強い憎悪。こんな厄介な男を、本人の意志とは無関係なとこで、敵にしてしまった三蔵に同情する。

「変な勘違いしないでくれる?好きなんてそんな事、僕一言も言ってないじゃない」

その言葉にキレた俺は、気付けば男の胸ぐらを掴んでいた。

「勘違いしてんのはてめえの方だ。恨む相手は、師匠を殺した妖怪だろーが‼三蔵も師匠を奪われた被害者だ。あいつに八つ当たりするのは、お門違いなんだよ‼」
「そんなんじゃないよ。ただ君の恋のキューピッドになりたいだけ。信じてもらえなくても結構だけどね」

胸ぐらを掴んだ俺の腕を振りほどこうともせず、下手な偽善者面を装い、あくまでシラを切り通そうとするこの男の全てがムカつく。俺は舌打ちすると、男の胸を乱暴に突き放した。
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