最遊記外伝

□ギフト
2ページ/3ページ

翌日。
ベッドで天蓬が目覚めると、隣に捲簾の姿は無かった。
重い腕をずらして裸体を覆う毛布を剥がせば、微かな石鹸の香りがした。
窓から差し込む光に眼を細めながら、どれだけ時間が経ったのだろうと、ベッドサイドテーブルの目覚まし時計に手を伸ばす。
日付け表示のデジタル時計は、昨夜から一夜明けた午前11時を告げていた。
今日が休日で良かったと、疲労感を滲ませた溜め息が落とされる。
時計を元の場所に戻そうとした天蓬は、そこに鍵が置かれている事を知った。

「部屋を出る時に、鍵を掛けてけって事ですか…」

いつも目覚めれば、隣に居た。
なのに、今回に限って…

「…どうして居ないんです?…文句を山ほど言いたいのに、卑怯ですよ…」

掠れた弱い声が、静まり返った部屋に虚しく響く。

『最後はお前の中に、俺を刻み直してやるよ』

捲簾の昨夜の言葉が、天蓬の胸を締め付けた。

『最後』って、こういう意味ですか…

不意に目頭が熱くなった天蓬は、瞼を閉じると片手で顔を覆った。

「…何なんです?相当ムカついてたクセに。いつもの様に体を洗って、風邪引かないように毛布まで掛けて‼…やり過ぎた事への最後の詫びのつもりですか⁈」

力強くで自由を奪われ、目隠しをされて変質者の玩具で脅された。
卑猥な台詞を強要された上に結局は玩具で犯され、自尊心を粉々に砕かれた。
嘘つきと罵る僕に、彼は『もう一つの嘘なら喜んでくれる筈だ』と言って、変質者の玩具を使っていなかった事を明らかにした。
そして怒りをぶつけるように、僕が気を失うまで何度も僕を犯した。

思い返せば腸が煮え繰り返る程憎い筈なのに。僕を犯す彼の瞳に、怒り以外のモノを見たから…

「僕だって相当怒ってるんですよ⁈なのに何で、僕がこんな気持ちに…っ」

言葉を詰まらせた天蓬は、震える唇をきつく噛みしめた。

数十分後。
室内射的場で独り銃声を響かせていた捲簾は、人の気配で静かに銃を降ろした。
振り返るとそこには、軍服姿の天蓬がいた。
床に散らばる大量の空薬莢に視線を落とした天蓬は、手前の台に銃を置いてシューティンググラスとイヤマフを外す捲簾に嫌味を放った。

「休日の朝から自主練とは感心しますねと言いたいところですが、ストレス発散で無駄に弾を使わないで下さい。予算も限られてるんですから」

受け流すように「へいへい」と返した捲簾は、台に凭れて煙草を取り出した。

「にしても、よく此処だと判ったな」
「部屋から銃が消えてたら、此処しか考えられませんよ」
「冷静な判断で」

天蓬が見つめる中、咥えた煙草に火を点けた捲簾は、溜め息と共に紫煙を吐いた。

「殴りに来たかと思ったけど、違うんだ?それとも、別れ話しに来たとか?」
「…謝罪はないんですか?」
「悪りぃ。確かにやり過ぎたな」

捲簾は静かな声に怒りを滲ませる相手に苦笑混じりに謝ると、言葉を続けた。

「お前相手だと、どうも自制心が効かなくなるみてーでさ。お詫びに何でも聞き入れてやるよ。お前の望む関係ってやつ?…正直どれだけ続けられるか、判んねーけど」
「…昨日の貴方では考えられない台詞ですね」

どこか諦めたような捲簾の声に、天蓬はやるせない気持ちに駆られた。
無意識に拳が強く握り締められる。

「あん時は頭に相当血が昇ってたからなぁ。けど冷静になった今は、お前の言うように暫く距離を置いた方がいいかもってさ。自分を見つめ直すにも、いい機会だろうし?」
「…僕の意志を尊重するような事を言っておきながら、距離を置きたいのは貴方の方な訳ですか」
「ちげーよ。もしお前が毎日会いたいって言うなら喜んでそうするけど、そうじゃないだろ?それに、互いが求めるものもズレてるしな 」

寂しく微笑む捲簾の瞳には失望の色が浮かんでいて、天蓬は何も言葉を返せなかった。

あの時と同じ、彼の瞳に見たものはやはり自分への失望で…。

ただ佇む天蓬を見かねた捲簾は、立って向き合うとその頭を軽く撫でた。

「…ま、部屋掃除くらいは今迄通りしてやっから」

暗い表情の天蓬にそう言うと、捲簾は帰り支度を始めた。
足元の空薬莢を回収しながら、未だ帰る気配のない天蓬に声を掛ける。

「そういや鍵、掛けてくれた?」
「えぇ。ここに…」
「あー、それ。スペアだから持ってていいっつっても…要らねーか」

躊躇うようにポケットから出された鍵を見た捲簾は、言いかけた言葉を自嘲気味に撤回して行き場のないそれを引き取った。

「変質者がいる以上、お前も鍵くらいしとけよ?」
「そうですね…」

捲簾の優しい声に天蓬は泣きそうな思いでそれだけ返すと、足早に射撃場を去った。

その数日後。
仕事中の二人の様子に、部下達は頭を悩ませていた。
テンションの低い二人の互いによそよそしい態度は、誰の目から見ても深刻そうなものだったからだ。
部下を代表して永繕が「何かあったんですか?」と個別に尋ねるも、適当にはぐらかされる始末で、それ以上は訊けない雰囲気を頑なに漂わせていた。
そんな中。
特訓と称した野球の試合時、ベンチで待機して煙草を燻らせる捲簾に話しかけて来たのは如聴だった。

「我の部下から聞きましたよ?個人的な調べ物を頼んだとか?大将の頼みとあらば、我が協力したと言うのに。水臭いじゃないですか」

どこまで事情を聞き出しているのか。
感情の読めないいつもの笑みを向ける如聴に、捲簾は内心白旗を上げた。

「内密にって頼んだんだけどな。彼女って案外、口が軽かったんだ?」
「いえいえ。彼女は最初、シラを切ってましたよ?機材使用には責任者である我の許可が必要ですから。けれど、トラブル対策に機材データは全て我のパソコンに転送されている事実を明かしたら、観念して認めましたよ。ま、正直に話してくれたので、今回の規律違反は不問にしてあげましたけどね」

捲簾の隣に腰を降ろした如聴は、野球に取り組む隊員達に視線を向けながら話した。
今の打者がヒットか三振をすれば、次は捲簾の番だ。
同じチームに振り分けられた如聴はその後に控えていて、少ない人数での構成上、ベンチにいるのは現在この二名だけだった。
ノーアウト満塁の今の状況は、野手が少ないのでよくある事だ。
白熱する試合で隊員達の声がグランドに飛び交う中、二人の会話が他者に聞かれる事はない。
捲簾は紫煙と共に苦笑を漏らすと、この会話の終了を決める打者を眺めながら口を開いた。

「…彼女に迷惑かけちまったな。悪かったって、言っといて」
「残念でしたね。嫌がらせをした犯人の手掛かりが、何も出てこなくて」

贈り物が届いた日、カード以外の箱と中身を早々に調べて貰ったが、付着している指紋やDNAは一切無かった。
天蓬の名が書かれたカードは妙な詮索をされない為に話にも出さなかったが、調べたとしても結果は同じだろう。
犯人が何も痕跡を残さなかったのは、単に用心深いからとは限らない。
犯人探しを恐れるのなら、自分以外に目が向くよう、別の誰かの指紋や髪なんかを使う筈だ。
俺達の近くに居ると匂わせるのも目的で、仲間を疑わせるよう仕向けているとしたら?
西方軍に来て約半年、部下の性格はだいたい把握したつもりだか、それはあくまで彼等のうわべだ。
周囲から『蟻』と揶揄されようが、危険を顧みずに皆が隊員を続けているのは、ひとえに天蓬の人徳と言っていいだろう。
しかし、その中に歪んだ感情を持つ者がいないとは言い切れない。
『一見気のいい奴が実は』なんて、長く生きてりゃ経験済みだし、何を考えてるのか解らないこの男も、俺からすれば怪しい限りだ。
あいつの事となると、こんなにもナーバスになる自分がいる。

らしくねぇな、と捲簾は内心溜息をついた。

「その逆。予想通りの結果で、犯人像がある程度絞れた。つっても、これ以上はどうしようもねーけど」
「一つ、聞いていいですか?」

先程までとは明らかに違う、ねっとりとした声で尋ねる如聴。
捲簾が怪訝な眼を向けると、如聴は蛇のような眼を一層愉しげに細めた。

「内密にと頼んだ理由は、我を疑っての事で?」
「そうだと言ったら?」

感情の読めない冷めた声が、さらりと返される。
相手の反応を伺うつもりが予想外の質問を投げ返され、如聴の顔から笑みが消えた。
その様子に捲簾は、クックと笑い声を漏らした。

「冗談だよ。意地悪な質問のお返し。彼女にも言ったけど、変な噂が広まらない為と、部下を心配させない為だから」

あくまで建て前でしかないこの説明を、容易く信じるような奴じゃねぇだろうけど。

捲簾が内心そうこぼした時、ボールを打つバッドの金属音が派手に響いた。
満塁ホームランでグランド内に歓声が沸き、打者は笑顔で悠々と塁走する。
ベンチから徐に立ち上がった捲簾は、それを見送りながら軽く肘を伸ばした。

「それに…犯人の事なんて、正直もうどうでもいいっていうか。ま、この現状を見てほくそ笑んでると思うと、あまりいい気はしねーけど。要はそれでもどうしたいのか、てめぇ次第ってやつだから」

走り終えてハイタッチをし合う部下達。それを遠目に眺めながら、捲簾は吹っ切れたように言った。
バッドを片手に、その輪の中へ入っていく。
仲間達と談笑する捲簾の表情はいっそ清々しく、先の言葉が本心である事は如聴から見ても明らかだ。

「『てめぇ』次第とは、どちらの事でしょうか?このまま我の勝ち…では、はっきり言って興醒めですよ?」

独りベンチに残された如聴は、妖しい笑みで呟いた。

仕事を終えた天蓬は趣味である読書もする気にはなれず、気持ちを切り替える為に珍しく入浴していた。
けれどそれは逆効果だった。
独りでいる水音の静けさが、今はいない相手の事を否が応でも思い出させる。

あれ以来、捲簾は来なくなった。
時間を自由に使えるこの現状は、僕の望みだった筈なのに…。

捲簾とのSEXを思い出した天蓬は、自身の躰が条件反射のように疼く事に羞恥し眉を顰めた。
そして…
あの時、玩具を使われる事に何故あれ程までに強い恐怖心を抱いたのか?

その本当の理由に今、気付いた気がした。

異物への抵抗と誰の何が付着しているかも知れないという嫌悪感以上に…きっと僕は、捲簾が言ったように彼以外を受け入れたくなかったんだ。

失った存在の大きさに、天蓬は湯船の中で独り唇を噛み締めた。

翌日。
天蓬は捲簾を部屋に呼んだ。

「掃除を手伝えって言うから相当散らかってると思ったが、案外綺麗じゃねーか」
「貴方のせいですよ」

部屋を見渡して感想を述べる捲簾に、天蓬は冷たく言い放った。
どういう意味かと振り向く捲簾の顔を、強烈な右ストレートが襲う。
不意打ち状態で派手に倒れた捲簾は、殴られた頬に手を当てて天蓬を睨み上げた。

「痛ってぇな‼何しやがる⁉」
「この前の殴り忘れていた分です。貴方にムカつき過ぎて、好きな読書も手がつけられない‼」
「…はぁ⁉」

怒りで声を荒げ始めた天蓬に、訳が解らない捲簾は間抜けな声を上げた。

「貴方言いましたよね⁉変質者の思惑通りになるのは胸糞悪いって‼なのにこの有り様は何なんです⁉馬鹿じゃないですか⁉敵の思う壺になっている現状は、僕のプライドが許さないんですよ‼だから…っ」

驚きで目を見開く捲簾を前に、天蓬は堰を切ったように捲し立てた。
が、感情に任せて吐き出そうとした最後の言葉は、自身のプライドに邪魔をされた。
天蓬は冷静さを取り戻そうと深い息を吐くと、意を決して口を開く。

「こんな風に、距離を置くのは止めにしませんか?」

返事を待つ天蓬の、無意識に握る拳に力が入る。
少しの沈黙の後、捲簾はフッと笑うと徐ろに立ち上がった。

「お前の意志を尊重するような事を言ったけど、プラトニックな関係なんてやっぱ御免なんだけど?それに、邪魔者扱いな俺にもプライドはあんだよ」
「あれは…言い過ぎました。けど貴方が先に突っかかってきたから…」

冷めた視線で見下ろしてくる捲簾に、天蓬はそう返すのがやっとだった。
バツが悪そうに天蓬が俯くと、捲簾は溜め息を大きく落とした。

「あの言葉は本心だ。だが、お前がやろうとしてる事が間違ってるとしても、俺はついて行くって決めてんだよ。今迄通り、俺に黙ってしたい事は続ければいい。俺は俺で、したいように動くだけだ。だから俺が必要なら、道連れにする覚悟を持てよ!」

確固たる信念を宿す漆黒の瞳に捕らえられ、天蓬は思わず息を呑んだ。
言葉は胸に深く突き刺さり、孤独さえも消して行く。
天蓬の口元に、観念したような笑みがフッと漏れた。

「…判りました。本当に命を落とす事になって、その時に後悔しても知りませんから」
「後悔どころか、笑って死んでやるから安心しろ」

久々に見る天蓬の憎らしい態度に、捲簾は満足気に言葉を返した。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ