最遊記外伝

□失ったモノ
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漸く意識を取り戻した僕が瞼を上げれば、見慣れない白い天井が視界を覆う。

「…捲簾‼…っ⁈」

名を叫びながら勢いよく上半身を起こすと、激しい頭痛に襲われた。頭に手を当て呻く僕に、呆れた声がかかる。

「脳震盪で気絶なんて、ダッサ」

驚いて声のほうを振り向けば、隣のベッドで上半身を起こして煙草を燻らす捲簾がいた。
どうやらここは、二人部屋の病室のようだ。

「血清が効いたんですね…助かって良かった」

僕はふらつきながらも捲簾のベッドに歩み寄ると、来客用のパイプ椅子に腰を下ろした。

「ゴキブリ並にしぶてぇから、あれ位じゃ死なねーよ。しかしお前の事言えた義理じゃねーな。転倒中に足挫くなんて、俺の身体も鈍ったもんだ」
「僕の為に、どうしてあんな無茶するんですか‼死ぬかもしれなかったんですよ⁈足だって、僕を庇わなければ受け身取れた筈ですよね⁈」

苦笑いを浮かべる捲簾に安堵したのも束の間で、怒りが込み上げ怒鳴り散らした。
人の気持ちも知らないで、いつも通りの余裕な笑みをみせる、その態度が気に入らない。

「…バーカ。自惚れんなよ。誰であろうと、助けられそうなら皆そうするだろ?少なくとも俺達の部隊はな。理性より本能で身体が動いちまう単純な奴等だからよ。お前が俺の立場だったら、同じ事をした筈だぜ?」

そういって煙草を机上の空き缶に捨てる捲簾の動作に、僕は違和感を感じた。
先程から動かしているのは左手だけだ。
きっと、点滴を右腕に刺しているからと云う理由だけじゃない。
こういう嫌な勘は、何故かよく的中する。
僕は捲簾に見られないように、彼の右手に指を忍ばせた。
握り締めた手は、血が通ってないのではと疑う程冷たかった。
それに全く気付かない捲簾は、新しい煙草を咥えて火を灯している。
僕は全身の血がサッと引くのを感じた。

「…捲簾、もしかして手を…動かせないんですか?」
「…バレちまったか。毒にやられて腕全体使い物にならなくてよ。感覚が全くねーんだわ」

握られた右手に視線を向けた捲簾は、諦めたように溜息を吐いて苦笑した。
嫌な予感が再び脳裏を掠め、僕は重い口を開く。

「…その後遺症…治りますよね?」
「こんな身体じゃあ、軍のお荷物だよな…お前に迷惑かけないよう、永繕に引継ぎ頼んであっから」

捲簾は弱く微笑んで言葉を濁した。
その言葉が、何を意味するのか。
簡単に導き出される答えを、僕は受け入れられなかった。

「…ッ⁉そんな‼…悪い冗談は、辞めてください」
「悪い事ばかりじゃねーよ。トイレも独りで出来やしねぇが、美人ナースが尿瓶使ってお手伝いしてくれるそうだし、お前の譫言も聞けてラッキーって感じ?」

狼狽える僕とは対照的に、余裕な態度を崩さない捲簾はウインクまでしてみせる。その様子に、目頭が熱くなるのを感じた。

「何馬鹿な事、言ってるんですか⁈」
「夢の内容憶えてねーの?『捲簾、捲簾‼』ってこっちが恥かしくなる程連呼してたんだぜ?夢にまで見る程、実は俺に惚れてんだろ?」

この状況で、勝ち誇ったように口角を吊り上げる捲簾の気持ちが理解出来ない。
捲簾と眼を合わすのが辛くなった僕は、動かない右手に視線を落として呟いた。

「…貴方って人は、こんな状況でよくそんな軽口が叩けますね。僕は…返す言葉すら見つけられないのに」
「俺は平気だから。それにいくら嘆いても仕方ねーだろ?天蓬、自分を責めるなよ」

捲簾は子供をあやすように、僕の頭を撫でた。
思わず見上げた僕に、優しい笑顔をみせる捲簾。
その笑顔が余りにも切なくて、堪えていた涙が溢れそうになった僕は、機能しない手を両手で握り締め、懺悔をするように額を被せて告白した。

「…それは無理ですよ。僕の命は、貴方の右腕を犠牲にした。一生をかけて償わせて下さい」
「うわっ。プロポーズみたいで恥かしいわ」
「茶化さないで下さい‼一生養って面倒みる覚悟なんですから‼」

大真面目な僕の決意をちゃらけた態度で躱そうとする捲簾に、とうとう張り詰めていたものが切れた。
怒鳴りつける僕に、捲簾は冷めた眼を向けると呆れた声で言い返す。

「金なら要らねーぞ。俺ってば実は金持ちのボンボンだから、働かなくても問題ナッシングなのよ。それに私生活で自分の管理もロクに出来ない奴に、他人の世話が務まる訳ねーだろ?」
「…そうですよ。貴方以外の誰に僕の世話が務まると言うんですか?僕の部屋掃除は、貴方でないと駄目なんですよ‼」

完全にキレた僕がそう言い返すと、一瞬驚いた表情をみせた捲簾は、次に目くじらを立てながら怒鳴り返してきた。

「急に逆ギレ⁉しかも開き直りやがって‼こんな身体になった俺に、まだ面倒みさせる気か⁈永繕に頼んでしてもらえ‼」
「馬鹿な事言わないで下さい‼永繕に部屋掃除を頼んだ日には、僕の大事なコレクション全て捨てられてしまいますよ‼そんな事も判らない位、頭にも毒が回りましたか⁈」
「なぬっ…てめぇは怪我人に向って言いたい放題言いやがって、心まで傷つける気か⁈酷ぇ奴だな‼」
「酷いのはどっちです‼貴方が先に僕を傷つけるからですよ‼」

夜中の病院で、大の大人がみっともなく口喧嘩をするなんて…馬鹿馬鹿しくて、情けなくて、涙が出そうだ。
それでも溢れ出す不安は、相手を攻撃する事でしか抑えられない。

「訳解んねー事言ってんじゃねー…」
「大将辞めて、僕の前から姿を消そうと考えてるくせに‼」
「…」

勢いに任せて吐き出した僕の懸念は、捲簾を黙らせた。

「図星ですよね。口では何だかんだ言っても、僕を庇った事を後悔してるんでしょ⁉僕の顔を見るのも嫌になった筈だ‼」

僕の言葉で捲簾の瞳に怒りが宿る。次の瞬間、捲簾の左手が僕の頬に素早く伸びた。
叩かれる‼
ビクリと身体が強張り、反射的に目を伏せる。
けれど咄嗟に歯を食いしばり待った衝撃は、驚く程弱かった。
ペチペチと頬を叩かれ、薄っすらと瞳を開ければ、優しく微笑む捲簾がいた。

「馬鹿かてめぇは。見るのが嫌になる訳ねーだろ?…お前の顔、かなり好みなのよ」
「こんな顔の…」

中性的な顔立ちとよく言われるが、どっちつかずの中途半端なこの顔の何処がいいのか、全く理解出来ない。
言いかけた否定の言葉は、捲簾が差し伸べた腕によって遮られた。
僕の後頭部を包んだその手は、捲簾の肩に寄せられる。
僕の髪を優しく撫でる手の温もりが、心地良い。
瞳を閉じて黙る僕に、捲簾は寝かしつけるように甘く囁く。

「ヘラヘラしてる顔に、戦場での真剣な顔、ムカついてる時の笑顔に、間抜けな寝顔、イク時の顔。どれも全て気に入ってる。あぁ、だけど今のお前の顔は苦手だ。だから、泣くなよ」
「僕は…どうしたら…」

捲簾の言葉で、頬を伝う涙の存在に漸く気づいた。
でも、もう止める術すら解らない。
どうしたら離れていこうとする彼をも止める事が出来るのか…その答えを求めるように、僕は捲簾に縋る眼差しを向けた。
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