最遊記外伝
□移し火
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stage 1
〜side 捲簾〜
冗談に託けて天蓬にキスをしたのは、一週間程前だ。
冗談と言えど、キスで少しは俺を意識するだろうと目論んでいたが、その兆しは全くない。
その証拠に、俺が向かいのソファで無言で煙草を燻らせようが、奴は一向にお構いなしの態度で、普段通りに本に目を落としている。おまけにページを捲るペースが落ちて、本を読みながらウトウトしだしやがった。
…緊張感ゼロだな。
思わず溜息がでた。
『空気みたいな存在』
そう言われて悪い気はしないが、これ程意識されないのは厄介な事だ。
本気で冗談だと判断されて、天蓬の中で無かった事になった可能性が非常に高い。
…本気だったと判ったら、どんな態度を取るだろうか。
色恋沙汰には限りなく無頓着で天然な天蓬。
自分が男達から異性の様に見られてるなんて露程に思って無い事は、側で観てりゃ誰だって判る。
男に告られるのが、初めてだったら、きっと驚くだろう。そして…
…拒絶だろうなぁ、やっぱ。
思わず苦笑した口元から紫煙が漏れた。
フられて傷付くのが怖くて誤魔化すなんて、らしくない。そんな繊細なモノが心の内にあるなんて、思いもしなかった。
乙女ちっくな自分が笑える。
弱気になって、中途半端な行動しか取れなかった自分に呆れた。
『あれは冗談じゃなかった』と今更言うなんて、かっこ悪い真似は出来ない。
かと言って、今まで通りの関係を続ける気もない。
ソファで仰向けに寝込んで何気なく視線を天井に漂わせた。
俺の口から吐き出されてゆっくりと立ち昇る紫煙が、天井で行き止まる。
完全には消える事ができないそれは、出口を探す様に四方へ漂いながら、うっすらと霧を作っていた。
まるで俺じゃねーか。
ぐるぐると同じ所を彷徨う思考を断つ為に上半身を起こすと、煙草を揉み消し天蓬に視線を向けた。
奴の咥えている煙草の灰は長く伸びて、今にも崩れ落ちそうになっている。
しかしソファに座ったまま船を漕ぐ本人は、トリップしかけでソレに気付きもしない。
俺はテーブルに片手を付いて屈み腰で天蓬の顔に手を伸ばすと、その口元の煙草を素早く捥ぎ採った。
「⁈…何するんです?」
「寝煙草は危険だろうが」
驚きで眠気が吹き飛び瞳を見開く天蓬に、俺はそう忠告した。
見せつける様に重さで撓った煙草の灰を、トントンと灰皿に落とす。
親指で煙草を半回転させて、無言の天蓬の口元に再び喫煙出来るように、吸い口を向けた。
「…まだ寝てませんよ」
ムッとした様子の天蓬は、煙草を持つ俺の手を緩く払いやがった。
「あっそ」
俺はそう言うと睨む天蓬と視線を外さずに、行き場を失った煙草を口にする。
その瞬間、天蓬の瞳が微かに揺らいだのを俺は見逃さなかった。
そうとは知らずに天蓬は笑顔を作って、いつもの様に毒を吐いた。
「アークロイヤルのお味は如何ですか?貴方、煙草も無節操ですものね」
煙草の銘柄に特にこだわらない俺に、何故いつも違う物なのかと、就任早々天蓬が尋ねてきたことがあった。
『同じ物だと飽きちゃうでしょ?気分によって、選ぶのも楽しいし、新商品があったらどんなのか試したいじゃない?』
『成る程。煙草は貴方にとって女性みたいな物ですか』
『かもねぇ』
軟派な口調で答えると、妙に納得した天蓬と視線を絡めて笑ったのを思い出した。
「じゃ、あんたの煙草はあんた自身ってか?知らずに吸った者が大抵驚く煙草って言えばこれ位だもんな。…やっぱ気持ち悪。煙草は苦い物だって決まってんのに、こんな甘ったるい香り、邪道じゃねぇ?」
俺は煙草を揉み消すと、口直しに胸ポケットから煙草を取り出して火を付けた。
「それに、最近は銘柄もハイライトに落ち着いてんだぜ?」
「…そのようですね」
天蓬は本棚に置かれてある、俺の煙草のストックに目を向けた。