最遊記

□追憶の情景
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『この際だから言わせて貰うわ。奴にあんま、無茶させんなよ?』

戦線布告とも取れる悟浄の発言に、内心舌打ちした。
八戒が悟浄と同居すると報告しに来た時、予想は付いていただけに、同居生活もどうせ長くは保たないだろうと決め付けていた。
実際、俺は八戒の闇を利用して、そうなるよう仕向けた。
そして一時は容易く、目論見通りに事が進んでいた。

『罪人の僕がこうして自由の身でいられるのも、貴方が三仏神に僕の監視役を買って出て下さったお陰ですから』
『…フン。放っておいても害はないと踏んだからだ』

何も知らない悟空がいる手前の、心にも無い白々しい台詞。
俺に対する皮肉を自嘲的に口にするあたり、奴の胸中は概ね察しはついた。
一見、太々しくも開き直ったように感じられるその態度は、自暴自棄の表れだと。
捻くれ者のあいつの、無意識の癖と言っていい。

『何かあったのか』
『いえ、別に』

八戒が悟浄の元から去るのも、時間の問題だと感じた。
だが、窃盗団に捕らえられた悟浄を八戒が救出した事がきっかけで、二人の仲は修復した。
ならばと、俺は次の手を打った。
俺との関係を悟浄にも気付かせる事で、同居生活を再び破綻へと追い込めばいい。
しかし、破綻寸前に思えた二人の仲はどういう訳かまたも修復し、以前より増して良好な関係になっている。
八戒が言うには、悟浄の知り合いに薬を盛られて気を失った事があってから関係が改善したらしいが…悟浄の心境に一体何があったのか?
本人に聞いたところで素直に白状する筈もなかったが、これだけは言える。
それは、奴が八戒を諦めた訳ではないという事だ。
奴の八戒を見る目を見れば一目瞭然で、その瞳は以前にも増して欲情の色を帯びている。
八戒はそれに気付いていないようだが…悟浄の居直りは、長期戦覚悟の表れだろう。
皮肉な事に、二度の危機を乗り越えた二人の絆は、これ以上は俺がどうこう出来るものでは無くなっていた。
それに比べ、俺と八戒の関係ときたらどうだ。
八戒は俺に抱かれながら、俺を通して百足野郎と女の幻影を見ている。
あいつを手に入れる為に、そう誘導したのは自分だ。
しかし、いつまで経っても俺自身を見ようとしないあいつに苛立ちが募るばかりで、それが八つ当たりだと判っていても、この悪循環を脱け出す術を見つけられないでいる。

八戒の怪我を聞いた時、少なからず動揺した。
俺はあいつの強さを過信していたのだ。
千の妖怪を殺せる奴が、10人程度の雑魚相手に怪我を負う事もない、と。
だが、運が悪ければ死んでいたかも知れない。
あいつを失う危険性に気付けずにいた事に、苦虫を噛む思いだった。
怪我をした八戒の事は気にはなったが、盗品回収の後処理等で寺を離れる訳にはいかなかった。
それに、八戒も俺が来たところで喜びはしないだろう…

「心、此処に在らず。と言った様子じゃなぁ。恋患いなら、相談に乗るぞ?」

からかいの入った声に思考を中断された俺は、盃を手に好奇な視線を注ぐ相手を睨んだ。
見た目が破壊僧的な強面のこの中老は、長安で慶雲院に次ぐ規模の寺院を統括している僧正だ。
慶雲院客間の縁側で月明かりの下、もう何時間もこの男と酒を呑み交わしている。

知り合ったのは、慶雲院大僧正待覚の葬儀が行われた一年前。
待覚の爺ィとは飲み仲間で、年に数回は会っていたと言うこの男は、葬儀の場に故人がよく飲んでいたという酒を持参して現れた。
あの狸爺ィはかつて、桃源郷随一の過酷さを誇る修行寺、大霜寺で『鬼の待覚師範代』と呼ばれ、この男は三蔵候補者の修行僧として指導を受けていたと言う。
酒には興味がなく、儀式以外で呑んだ事もなかったが、故人を偲ぶ酒だと勧められて断る訳にはいかなかった。
俺の所為で死んだようなものだったのだから。
その後は数ヶ月に一度のペースでふらりと訪れては、俺が酔い潰れるまで酒の相手をさせる。

俺は手にしていた盃の酒を飲み干すと、不満を露わに鼻をフンと鳴らした。

「深酔いしただけで恋患いと勘違いされてもな。正常な判断も出来ない程に酔ってんなら、いい加減もう寝ろ、爺ィ」
「そう来るか。一年前は全く酒が飲めなんだのに、随分と成長したのぉ。光明もあの世で喜んでるだろうよ」

男は嬉しそうに言うと、遠くに浮かぶ満月を見上げた。

お師匠様とは修行時代の同期だというこの男は、こうして酒を呑みながら、お師匠様の事を懐かしげに話したりする。
酒好きが集まり呑み明かす、年に一度の報告会と称した飲み会に、お師匠様は大抵出席していたらしい。
実際俺も、上機嫌で出掛けようとするお師匠様に何処へ行くのか尋ねたら、その集まりだと嬉しそうに返された言葉を覚えている。

『体育会系の付き合いってやつです。馬鹿やって、本気でぶつかり合ったり助け合ったり。仲間というものは、いいものですよ?貴方もそんな仲間と、早く出会えたらいいですね』
『…仲間なんて、俺には一生出会えそうもないですよ』

人当たりのいい貴方と違って、無愛想な俺には仲間は疎か友達すらいないんですから。と心の中で毒づいた。
当時の俺は周りの僧侶達から『川流れの紅流』と馬鹿にされ、そんな奴等と仲良くなるつもりも無かった。
お師匠様は友達が一人もいない俺の事を心配して、『外で歳の近い子供達と遊んでいいのですよ?』と言ってくれていたのだが、俺にとっては正直ウザったいだけだった。
仲間や友達なんて必要だとは思わなかったし、お師匠様がいれば、ただそれで充分だったからだ。
そんな俺の胸中など当然知ってるであろうお師匠様は、俺の否定的な態度に笑顔を崩す事なく断言した。

『いいえ。貴方は必ず、一生付き合える仲間と出会えますから』

根拠のない事を予言者の如く言い切られ、それでも何故か説得力があるように感じたのは、その眼差しが愛しむように優しかったから。

『…俺を買い被り過ぎですよ』

心が暖かくなるのを感じながら、素直になれず憎まれ口を返せば
『そんな事は無いですよ?私、人を見る目だけは確かなので』
と自信ありげに微笑まれた。

「俺に酒を教える気でいたなんて、何考えてたんだあの人は。…だが、あの人らしいか…」

大人になった俺と一緒に酒を呑むのが楽しみだと、お師匠様は言ってたらしい。
親馬鹿っぷり全開で、嬉しそうに俺の事を話してたなんて。
知っていたら、『恥ずかしいからやめて下さい』と、当時の俺は呆れ気味に告げただろう。
それでもあの人は、笑顔で俺の意見を拒んだだろうが…

懐かしい記憶が蘇る反面、俺の口元は自嘲で歪んだ。

今の俺を見れば、さぞかしがっかりするだろう。
仲間や友と呼べるものを知らないまま、そして今は、己の劣欲の為に大切な者を傷つけてるのだから。

「しかし、今日はヤケ酒のような飲みっぷりじゃなぁ」
「悪いか?なに分、ムカつく事が多いんでな」
「ヤケ酒結構。それで本音を出せるならと、光明が言っとったわい。お前さんは素直じゃないから、他人に誤解されやすいと。本音でぶつかり合うのに酒の力を借りるのも有りだと、大人になったお前さんにアドバイスするつもりだったらしいからのぉ」

胡座を組んだ脚に頬杖を付きながら男は言うと、愉しげに目を細めた。

この男はお師匠様の代わりを買って出て、俺に酒を教えようとしたのだろう。
気紛れで天然なお師匠様の、ただでさえ何処まで本気か分からない酒の席での、どうでもいい話だった筈だろうに。

『いや何、光明が自慢の息子と言っていたお前さんに、興味を持っただけじゃ。酒でも呑み交わしながら、光明の思い出に浸るのも悪くはなかろう?』

こうして俺の事を気にかけるも、決して恩着せがましくない。
お師匠様より幾ばくか年上のこの男は、仲間内では面倒見のいい兄貴的な存在だったのだろう。
だが、今の俺にとっては煩わしいだけの存在だ。

「本音でぶつかったところで、改善するとは限らんだろ?俺の場合、悪くなるのが目に見えてんだよ」
「それでも、今より進んだら次の手が打てるだろってな。儂(わし)に言わせりゃ、『ピンチはチャンス』ってヤツじゃ」

お望み通りに本音をぶちまけてやれば、殊勝な笑みでそう返された。
骨格も笑い方も全く違うというのに、その笑みが一瞬、懐かしい面影と重なって…

「…ポジティブ過ぎんだよ、あんたらは」

呆れと降参にも似た感情で、一気に脱力させられた。

酒を利用しろってか?
上等じゃねーか。

「急用が出来た。先に失礼する」
「ほぉ。惚れた相手に会いたくなったか?」

立ち上がり背を向けた俺に、男が冷やかしの言葉を掛けた。
俺は肩ごしに冷めた視線を投げ付けると、面倒臭さげに言葉を返した。

「そんなんじゃねー。ただ、あんた達の挑発を受けてやろうと思ったまでだ。『酒の力』ってやつを、試してやるよ」
「結果、楽しみにしとるからな」
「言わねーよ。クソじじぃ」
「つれないのぉ」

満足げに笑う男を縁側に残して、独り寺院を出た。
揺らぐ視界で、思いの外に酔いが回っている事を知る。
今、あいつに無性に会いたい。
そう強く思うのも、全ては酒の所為だと言うのなら。
酔った勢いに任せてやるよと、自暴自棄に決意した。

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