最遊記

□MONSTER
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日付けが変わろうとする深夜、宿の薄暗い廊下に佇む男二人の姿を、窓から差し込む月明かりが静かに照らす。
窓枠に凭れて煙草を燻らす三蔵に、ヘイゼルが旅の同行を持ち掛けていた。
御自慢の蘇生能力を餌に誘うも、三蔵はにべもなく即答で断る。
用が済んだらとっとと消えろと無言で伝える相手に、ヘイゼルは別の誘いを甘い声で切り出した。

「三蔵はん。うちを抱いてみいへん?自慢じゃないけどうち、男を喜ばすテクは凄いんよ?」
「…あ?お前なんかに興味はねーよ。盛りたきゃ他所でしろ」

三蔵が不快感を露わにそう吐き捨てると、ヘイゼルの顔から余裕めいた笑みが消えた。

「信じられへん。そこらの女より美人なうちの誘いを断るなんて…お金も取るつもり無いし、痩せ我慢せんでもいいやん。眼鏡はんを見る目つきで気付いたわ。三蔵はん、欲求不満でっしゃろ?」
「めでたい頭だな。お前にあいつの代わりなんざ務まらねぇよ。そんなにヤりたきゃ、連れの大男とヤりゃいいじゃねーか。デキてんだろうが?」

…うちのカマを否定するどころか、眼鏡はんとの関係を堂々と明かしよって…下僕と言うてたくせに、まるで本命扱いやんか。

紫煙を吐き出しながら呆れた口調で返す三蔵に、ヘイゼルは薄く笑った。

「ガトの事気にしてんの?うちのする事に文句言わさへんから安心して。ガトは真面目で毎回ワンパターンやからねぇ。眼鏡はんはそんなにいいん?けど、いくら好物でも同じものを食べ続けると誰かて飽きるし、たまには違うのも食べてみたいと思うもんやろ?」
「思わねぇよ。それに、お前みたいな安いビッチは願い下げだ。『ヤってみたらガバガバで締まりが悪い上、病気を移された』なんて話はよくあるからな」

鼻でフンと笑って馬鹿にする三蔵に対し、ヘイゼルは目を細めた。
手袋をはめた華奢な指先が、意地悪く歪んだ口元を誤魔化すようにその唇へと添えられる。

「ふーん。眼鏡はんは、ビッチじゃないんや?」
「…何が言いたい?」

低い声と紫暗の瞳が、静かな怒りと威圧を孕み返される。
しかしヘイゼルは、臆するどころか下卑た口元をより一層吊り上げた。

「赤毛はんの眼鏡はんを見る目つきが三蔵はんと同じやったからねぇ。道中に溜まった性欲の処理は、彼が一手に引き受けてるんですやろ?ぼんはまだ興味なさそうやけど、相手をするのも時間の問題って感じちゃいますのん?」
「本気で言ってんなら失笑もんだな。あいつは俺専用だ。俺が誰かと共有する訳ねぇだろ?これ以上つまらん事をほざくなら、その口に鉛玉を詰めて黙らせるぞ?」
「冗談やのに恐いわぁ。しゃあない、今日のところは諦めるわ。ほなおやすみ、三蔵はん」

睨みを効かせて銃をちらつかせる三蔵にヘイゼルは降参のポーズを取ると、言葉を後に踵を返した。
音もなく軽やかに去るその背中を見つめながら、三蔵は独り舌打ちを洩らした。


丁度その同刻、宿の小さな客用洗濯室に八戒の姿があった。
天井で不安定な点滅を繰り返す裸電球の下、丸椅子に腰掛けて独り静かに仲間の服を繕っていた八戒だったが、不意に人の気配を感じて手を止めた。

「夜中に裁縫どすか?三蔵はんは冗談で下僕や言うてはったんや思っとったけど、今のあんさん見たら納得や。こき使われるシンデレラみたいで、不憫で堪らんわ」

空調機も扉もない冷たいタイル張りの空間に、ヘイゼルは肌寒いと言った様子で態とらしく腕を摩りながら足を踏み入れる。

…彼は僕が妖怪だと確信している筈。
嫌悪の対象に積極的に近づく目的は、ロクなものではないでしょうに…

八戒は小さな溜息を落とすと、社交的な笑みを作るのも面倒だと言うような素っ気ない態度で言葉を返した。

「好きでやってる事なんで、そんな風に思われるのは心外ですよ。眠れない時は、裁縫なんかに集中するのが一番ですから」
「合理的なストレス解消法やね。ぼんのストレス発散法は、身体を動かす事やろ?ガトが今相手してるわ。三蔵はんも、えらい不機嫌な様子で一人煙草してたしなぁ。今日うちが言った事が原因で、あんたらを眠れない程落ち込ませたんなら堪忍やで?」

ヘイゼルはそう言うと、偽善的な笑みを向ける。
一々癇に障る男だと、八戒は内心舌打ちをした。

『したら、どなたが身代わりになってくれます?』

妖怪ならば、無害で無抵抗な子供であっても排除しようとする無差別な残忍性。
そして、大切な者を失わないで済むなら、罪のない者を犠牲にしても構わないとするエゴ。
執着ともいえる彼の信念は、忌まわしい己の過去を否が応でも思い出させる。

『薄っぺらい道徳心を偉そうに振りかざしているが、仲間の死に直面した時も果たしてそんな綺麗事を言っていられるか?』と、見下ろしてくる碧眼がそう嘲笑しているように見えるのは、単なる被害妄想ではないだろう。
八戒の口元から、疲労感漂う重い溜息が漏らされた。

「思ってもいない事を口にしないで下さい。目が笑ってますよ。…何ですか、さっきから人の顔をジロジロと」
「ちょっと聞きたい事があってな。内密で話たい事やねん。ここでは邪魔が入るかも知れんから、うちの部屋に一緒にきて欲しいんやけど?」

害虫扱いしている妖怪に、声を掛けて来たのはその為ですか…随分と虫がいい事で。

猫なで声のヘイゼルに対し内心そう毒付いた八戒は、視線を手元に戻し裁縫を再開しながら口を開いた。

「三蔵に聞けない内容ですか…何を企んでるのか知りませんが、貴方に協力する義理は無いんでお断りします」
「タダで話を聞こうとは思てへんよ。代わりにうちの力の秘密を教えてあげるさかい。眼鏡はんの治癒能力より優れたうちの蘇生能力、手に入れれるもんなら欲しいと思ってるやろ?」

餌をちらつかせて反応を楽しむようなヘイゼルの声が、八戒の手を止めた。
今の立ち位置同様の上目線からで気に入らないが、その内容は興味深いものがある。
八戒はまたすぐ針を進めると、ポーカーフェイスを保ちながら質問を返した。

「その秘密を知れば、僕にも使えるようになると?」
「可能性は他の誰よりも高いんちゃう?気功と魂、自分のか他人のかの違いだけで、生命エネルギーには変わりないやろ?実際は質量も桁違いに違うやろうけど、眼鏡はんならそれを使いこなせるようになるかもしれへんで?それに、聞きたいのは実はあんさんの事やから、三蔵はんに後ろめたさを感じる必要もないやろ?」

必死とも取れる売り込みをするヘイゼルを、八戒は漸く見上げた。

他人の魂を使い死者を生き返らせる。
あの衝撃的な光景が脳裏から離れない。
あの力が使えたらと、過去と未来に囚われて眠れずにいた僕にとって、この交渉は願っても無い事だ。
彼がどうして僕の事を知りたいのかは解せないが、例え己の過去を全て吐露する事になろうと、あの力が手に入るなら安いものだ。
だがあっさりと承諾する訳にはいかない。
交渉は主導権を握る事が、何よりも重要だ。
嘘やハッタリは常套手段で、手持ちのカードを実際以上に価値のある物に見せる必要がある。

「…僕の、何についてです?自分より劣る能力なんて、興味はないと思いますが?」
「うちの事、そんなに信用出来へん?それとも、うちと二人きりになるのが怖いん?例え眼鏡はんがどんなにいけすかん相手でも、三蔵はんのお供を殺る訳ないやろ?」

思いの外、中々進まない交渉に内心酷く苛立っていたヘイゼルは、挑発的な言葉を並べると馬鹿にしたようにフンと笑った。
途端に翡翠の瞳が据わる。
駆け引き云々は実のところ建前で、本心は似た者同士と意識した気に食わない相手を、泣きつかせる程に焦らしてやりたいという敵対心が大半を占めていた訳だったのだが…食わせ者な所も当然似ているヘイゼルの聞き捨てならない台詞に、八戒は完全に切れた。

「それは冗談のつもりですか?貴方一人で僕に敵うとでも?僕はただ、貴方の能力が僕達にとって本当に必要か判断しかねていただけです。けれど、そこまで貴方に舐められて断る理由もないですね。いいですよ、貴方の部屋へ行きましょう」
「流石、うちが認めたライバルの事だけあるわ」

裁縫途中の物を袋へと荒々しく仕舞う八戒に、ヘイゼルが満足気に呟いた。
その言葉をうんざりとした思いで聞き流していた八戒は、妖しい視線が頭上から注がれている事など知る由もなかった。


「椅子一つしかあらへんから、適当にベッドにでも腰掛けといて。うちワイン飲むけど、眼鏡はんも要る?」

先に部屋に入ったヘイゼルは後に続く八戒に肩越しにそう言葉を掛けると、窓際のテーブルに置かれているワインボトルとグラスを手にした。
普通は客を椅子に座らせるのが礼儀でしょうよと、ヘイゼルの横柄な接待に内心呆れた八戒は「お気遣いなく」と答えてベッドに腰掛けた。
ヘイゼルはグラスに注いだワインの香りを堪能しながら、足と腕を組んで無表情に見据える八戒に皮肉った笑みを向けた。

「ビンテージもんやのに、遠慮するなんて勿体無いなぁ。毒なんか仕込んでへんよ?」
「幾ら貴方が直接は僕に敵わないからって、そんな卑怯な手を使うとは思ってませんよ。真面目な話の場でお酒を飲む気分になれないだけです。ただ、どうしてもと仰るなら頂きますが?」

冷めた口調で嫌味を返され、ヘイゼルは腸の煮えくり返る思いでワインを一気に飲み干した。

「ほんまムカつくお人やで。どうせワインの味なんか分かりしまへんのやろ?そんなお人に高価なもんを本気で勧める訳ないやん。あー、めっちゃ美味いわ‼」

悪態をついてヤケ酒を見せつけるヘイゼルに、八戒は内心大きな溜息をついた。

「温厚なうちがこんなにムカつくねんから、三蔵はんもしょっ中あんさんに切れとる筈や。三蔵はん、赤毛はんは河童、ぼんは猿呼ばわりしてはりましたけど、眼鏡はんは何て呼ばれてますのん?」
「いい加減、不毛な会話は終わらせませんか?そんな事を聞く為に、わざわざ連れて来た訳ではないでしょ?」

文句と共にどうでもいい質問を寄越すヘイゼルに、八戒は非難がましい視線を向けた。

「せっかちな人やなぁ。いきなり本題に入る前に、世間話から入るのが普通やろ?いいから教えてや」

椅子にふんぞり返りながらヘイゼルは言うと、優雅な手つきでワインを口に運ぶ。
その様子に八戒はもう何度目になるか分からない溜息を落とすと、辟易とした口調でこう答えた。

「…八戒、ですね。僕はあの二人と違って、三蔵を怒らす事はしないですから。からかうあだ名が無くて、ガッカリですか?」
「…怒らす事はしなくても、ハリセンで突っ込まれた事はありますやろ?突っ込み上手な三蔵はんの事や、過去に一度もないとは言わさへんよ?」
「残念ながら、一度も無いですね。僕も二人が羨ましくて、態とボケて突っ込まれようとした事もあったんですが…呆れられるだけでハリセンは出してくれないんですよ。で、まだこんなやり取りを続けるんですか?」

敵対心からか不信感を露わにする相手に、八戒は優越感を秘かに抱きながら答えた。
ヘイゼルが多少なりとも三蔵に好意を持っているのは、誰の目にも明らかだ。
不快に満ちたアクアマリンの瞳が次の瞬間、冷笑するように細められる。

「…なんかムカつくわ。下僕や言うてた割には、えらい眼鏡はんだけ特別扱いやんか。あぁそうか、あっちの下僕の事やね?」
「⁈ちょっと何言い出…」
「ハリセンで突っ込まれた事はなくても、夜は散々に突っ込み入れられてるんやろ?三蔵はんから聞いたで?」

思わぬ返しに動揺した八戒は強い非難を口にしようとするも、それを遮るようにヘイゼルは言葉を重ねる。
不躾な質問に怒りを憶えた八戒は、睨みを効かせると静かに口を開いた。

「…下世話な話は辞めにして、いい加減本題に入って下さい。貴重な時間を無駄に費やす程、僕は暇人じゃないんですよ」
「分かったわ。お詫びにうちのペンダントの秘密、教えたるさかい。機嫌直して」

駆け引きではなく本気で交渉破談を匂わす八戒に、ヘイゼルはやれやれと言った様子でペンダントを首から外した。
微動だにせず猜疑心に満ちた視線を注ぐ八戒の前まで来ると、無言でペンダントを差し出した。

「触ってみ?眼鏡はんなら、何か感じるかも知れんよ?」
「…」

ヘイゼルはベッドに腰掛けると、躊躇う八戒を促すようにその膝上にそっとペンダントを置いた。
意を決した八戒がそれを手にした瞬間、妖力を吸い取られる感覚に襲われる。

「これは…っ‼…うぁっ⁈」

強力な磁力を発動したようなペンダントから指を離す事が出来ず、八戒は崩れるように自身の膝に上体を落とした。

「何や苦しいの?おかしいなぁ、人間には無害な代物やねんけど?けどまぁ、うちも眼鏡はん程ではないにしろ似た経験はした事があるさかい、稀に誤作動するんかも知れへんね」
「どういう、意味…っ⁈」

ヘイゼルは白々しくとぼけた台詞を吐くと、苦痛のあまり言葉を途切れさせる八戒の手からペンダントを抜き取った。

「これなぁ、直に触れた妖怪の妖力を瞬時に吸収しよるねん。ただし、相手がこれを直視してなかったり、手袋はめてたりして素手で触らなかったら能力は作動せえへんのやけど。うちも最初にちょっと気分悪くしてから、直で触れるのは控えてるけどな」
「…騙し…たんですか?」

あのまま手にし続けていたら、きっと命がなかった…

息を切らして睨み上げる八戒の問いに、ヘイゼルはクスリと笑いを洩らした。

「そんなつもりあるわけないやん。人間には無害の筈やってんで?けどもしかしたら、生命エネルギーを操る人間には反応しよるんかも知れんなぁ。貰い物やから、詳しい事はよう分からんのや」

そう言うとヘイゼルは八戒の上体をベッドへ乱暴に押し倒した。
すかさず片手で胸を押さえ付けて、もがく獲物を満足気に見下ろす。

「…っ⁈何…するんですか…‼」
「聞きたい事がある言うたやろ?三蔵はんを虜にする身体はどんなものか、うちより何がそんなにいいんか知りたいねん。話してくれなさそうやから、直接身体に聞く事にしたわ」

重度の貧血のように蒼白した八戒の顔が、より一層青ざめる。
ヘイゼルは下卑た笑みを口元に浮かべると、八戒の上着を胸までたくし上げた。
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