最遊記

□密約
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「昼間から一人でビールを飲んでいるそこの赤毛のお兄さん。君、八戒君の同居人だよね?」
「誰だ?あんた」

賭博が賑わう夜になるまでの時間潰しの為に入った喫茶店で、中年男性が声を掛けてきた。
細身で標準的な背丈。中途半端な長さの髪を適当に掻き上げて作った様な髪型と、地味な眼鏡に相応しい、大した特徴もない薄い顔立ち。無精髭が生えている口元には煙草が添えられている。ヨレヨレのワイシャツは、襟元のボタンがだらしなく外されていて、くたびれたネクタイはそれより下の方で緩く結ばれいた。
態とらしい位に“いい加減な性格”を主張する男の顔は、この辺では見かけた事がない。

「三蔵の知り合い」

不機嫌な俺の問いに笑顔を向けながら、許可なく俺の隣の席に座った。
すると、店のおばさんが寄ってきて男に注文を聞く。

「お姉さん、僕冷コーね」

語尾の全てにハートマークが付きそうな軽い口調。
人の入りが少ない暗い雰囲気の店で、他の客と顔を合わせたくないかのように、奥の席で壁際の方を向いて座っている俺からは、露骨な程に“一人にしてくれオーラ”が出ていた筈。
それにも関わらずに気安く声を掛けてくる奴だ。ロクな者ではないだろう。

「ヘェ。で、何の用?」
「三蔵と八戒君てさぁ、付き合ってんだって?」

その不躾な内容に、俺の口へとグラスを運ぶ手が止まる。そのままグラスをテーブルに置くと、煙草を咥えた。

「…ふーん。初耳だなぁ。その話、誰から聞いた?」

無表情で質問を返す俺に、男は下卑た口元を吊り上げる。

「とぼけちゃって。いつも慶雲院から帰ってくる彼の首筋にあんなに痣がついてても、知らない振りするんだ?」
「⁈何者だ?てめえ」

噂話ではなく、実際に見ていたかの様な口ぶりに、俺は警戒心剥き出しで立ち上がった。
商売柄、元々敵は多い。だが八戒の日常を調べているであろうこの男は、そんな雑魚ではなく、もっと厄介な相手に違いなかった。
三蔵の依頼を受け始めて、色々と危険な事に首を突っ込んだツケなのかも知れない。

「やーん!そんな恐い眼で見ないで欲しいなぁ。君の味方になりたいだけなのに」
「ぁあっ⁈」

大袈裟にホールドアップしてみせる男に、俺は苛立ちを露にした。正体も明かさずに、よくもまぁ、抜け抜けと味方だと言えたもんだ。

「君は不憫だよね。わざわざ雨の中、瀕死の八戒君を拾って、懸命に懐抱して彼を救ったのに、三蔵に易々と奪われちゃってさ。鳶に油揚げをかっさらわれるなんて、どんな気持ちか教えてよ」

俺はゾクリと鳥肌が立った。
俺を馬鹿にする軽薄な口調に紛れて、一瞬だが強い殺意を感じたからだ。
それは奴が三蔵というフレーズを吐いた直後だった。
隠したくても滲み出てしまう程の強い悪意。
もしこいつが三蔵の敵ならば、今の俺たちが束になっても敵わない。そんな気がした。

「…俺の味方になりたいだと?何が目的で俺等の事探ってんのか知らねーが、ざけた事抜かすんじゃねーよ‼俺はあいつの事を何とも思っちゃいねぇ」

敵だとしたら目的を素直に言うはずがない。
そして、ターゲットは俺か八戒だ。だから、八戒を巻き込まない為に俺はそう突っぱねた。
話はこれでお終いだと言う様に、席を離れようとする。
しかしそれは叶わなかった。

「話はまだ終わっちゃいないよ?」

男は笑顔で俺の背後から肩に三本の指先を掛けると、軽く席に押し戻す。
傍から観たらそんな光景だが、その完璧な気配を断つ三本の指先から、並外れた素早さと桁違いであろう力を見せつけられて、俺は冷たい汗が額から滲み出るのを感じた。

「ふぅーん。でも八戒君は君の事、好きなんじゃないかな?三蔵よりも」

危険なこの場から一刻も早く立ち去りたい一心だった俺に、思いも寄らない事を告げる。

「?有り得ないだろ」

敵に弱みを握らせない為に、あえて表情を変えずに否定した。
しかし本音は、俺達の事を嗅ぎ回るこの男が、何故そう思うのか知りたかった。
そんな俺の心を見透かすかのように、男は頬杖を付きながら嬉しそうに話を続ける。

「そもそも彼が、三蔵を本当に好きかも疑わしいよね」
「…はぁ?好きだから抱かれてんだろ?嫌なら抵抗するはずだ。あいつの方が確実に強えだろうし」

敵の口車に乗らない様に、言葉を選んだ。

「妖怪だから、人間より強いと?半妖の君よりも?」

下手すれば生い立ちまで調べ上げていそうなその口ぶりに、思わず言葉を詰まらせた。

こいつは明らかに人間だ。
なのに制御装置をしない妖怪よりも遥かな強さを秘めているという事実は、先ほど直接思い知らされた事だけではなく、男から微かに滲み出る、得体の知れない不気味な気配が証明していた。視線を外すと一瞬で殺られる。
そんな恐怖を抱きながら、視線を合わせたままゆっくりと頷くしか出来ない俺をよそに、男はアイスコーヒーに少量のミルクを垂らした。

「力以外で相手を屈服させる事もできるでしょ?弱みに漬け込んだり。彼の弱みは…闇の様に黒くて重い罪の意識かな?少量の光なら呑み込んでしまう程のね。こんな風に」

グラスの黒の中に白い液体が筋を描く様にゆっくり沈むにつれぼやけ、半ばで濃い茶色に濁る。
表面上はミルクで白く覆われているが、底は依然黒いままだ。
俺達では、八戒の心の奥底の闇を消し飛ばす事など不可能だとでも言うかの様に。
思わず舌打ちがでる。

「有り得ねぇよ。三蔵はそんな卑怯な真似はしねー。八戒も、前を向いて歩き出してんだ」

三蔵はいけ好かない相手だが、最高僧の器であると認めている。
どんなに八戒から弱味を見せられても、プライドの異常に高いあいつが、それにつけ込むなんて真似をするはずがない。
八戒を救おうとしているのも事実だからだ。

「普段の三蔵と八戒ならね。だけど精神が脆い時は別人だよ?夜の雨、2人共苦手なの知ってた?」

その言葉に、ドクンと心臓が高鳴った。
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