最遊記外伝

□Last Smile
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敖潤が天蓬の執務室の前を通りかかった時、中で言い争うような声が聞こえた。
休日の朝から何事かと、躊躇いながらも中の様子を探る為に扉に身を寄せれば、信じられない内容が耳に入ってきた。

「痛い!もっと優しく入れて下さいよ!」
「てめぇが力を抜いて開けば済む事だろ?いい加減馴れろよ」
「こんなの僕はしたくないんですよ!なんで強要するんですか⁈」
「俺が楽しいからに決まってるじゃん。何でもやるっつったクセに文句は言わないの」

嫌がる天蓬の声に楽しそうな捲簾の声。
敖潤の脳裏に、あるシチュエーションが浮かび上がる。
まさか捲簾に何かの弱味を握られた天蓬が、無理矢理犯されているのでは⁈

バァァン‼
「捲簾‼貴様っ…は?」
「…何だよ」

扉をぶち壊す勢いで開けて怒鳴り込んだ敖潤は、二人の姿を見て言葉を失った。
淫らな格好の筈の二人が、その真逆の装いをしていたからだ。
ソファーに腰を掛けている天蓬は、ファー付きの白いロングコートを纏っていた。
珍しく眼鏡を外している天蓬は突如現れた敖潤に呆然と瞳を瞬かせ、その傍に佇む捲簾は色違いの黒のコートに袖を通しながら、訝しげな視線を向けている。

天界の季節は春だけだ。
真冬用のコートを着ている辺り、これから下界に降りると云った処か。なら、先程の会話は一体…

「敖潤。血相変えて、どうしたんですか?」
「…言い争う声が聞こえたので何事かと思ったのだが」

敖潤は己の早とちりに動揺しながらも、向けられた天蓬の瞳が先程まで泣いていたかのように赤く潤んでいる事に気づいた。

「元師、目が赤いがどうした?」
「…さっき捲簾にコンタクトレンズを無理矢理入れられたんで、充血してるんですよ。酷いと思いませんか?」
「てめえがビビって中々目を開けないからだろーが」

敖潤の質問に天蓬が恨みがましく答えると、捲簾がムッとした顔で反論する。

先程の会話の内容はそれか…紛らわしい

呆れて佇む敖潤に、天蓬は声を荒げて不満をぶちまけた。

「敖潤、聞いて下さいよ‼捲簾ってば、下界の僕の服装がみっともないって、コレを着ろとか眼鏡を外してコンタクトをしろだとか、あれこれ要求を突き付けてくるんですよ⁈」
「被害者ぶるなよ。期限切れの報告書の山を手伝ってくれるなら、後で何でも(エロい要求以外なら)受け入れるっつて泣きついてきたのはお前だろーが⁉」
「敖潤‼いつもの衣装の方が、良いと思いませんか⁈」
「往生際悪い奴だな。あんなオタク姿の隣に並ぶ俺の身になれっての。敖潤、今の格好の方がこいつには似合ってるだろ?」

期待を込めた瞳を向け同意を求める二人に、敖潤は眉を深く寄せた。
天蓬の瞳は度のキツイ眼鏡を外した為に普段より大きく顔を占め、あどけなさを感じさせた。
肩にかかる白いファーに引立てられたその顔は、まるで可憐な少女のようだ。

普段から天蓬に甘い敖潤。
ましてや気に入らない捲簾の肩を持つなど以ての外の筈。
それを見込んだ上で同意を求める天蓬の腹黒さも、敖潤にとっては可愛い甘えに見えてしまうのだから困ったものだ。
しかし天蓬の身なりが酷過ぎる事を日頃から残念に思っていた敖潤は、己の意見で今のような可愛い姿を今後も拝めるのならばと、心を鬼にして重い口を開いた。

「…あのオタク系と言われる服装よりは、今の方が似合ってると思うが」
「だよなv」

勝ち誇った口調の捲簾に対し、敖潤に裏切られた思いでガクリと項垂れた天蓬は、怒りで肩を震わせながら言葉を吐いた。

「貴方のコーディネートは周りの注目を浴びるから嫌なんです‼どこに行っても絡まれて…貴方はそんなのは大好きなんでしょうけど⁈」
「楽しいじゃねーか。俺達二人が並んでると、女子校生達がキャーキャー言って写メとるんだぜ?芸能プロダクションのスカウトマンが無理矢理名刺渡してくるわ…あぁ、アダルトビデオに二人で出てくれってのもあったなぁ」
「…何だと⁈」

思い出してニヤリと笑う捲簾に、傲潤は動揺を隠しきれずに声を上ずらせた。
説明を求める瞳を突き付けられた天蓬は、深く溜息を吐くと苛立ちながら答えた。

「このバカ大将は社会勉強だって言って、アダルトビデオの勧誘に乗るんですよ。おまけにそれは男同士のヤツだと知っても、からかいながら値段交渉まで話を進めて行くんですから」
「すげぇ値がついたじゃねーか。俺達の濡れ場を是非に‼って言うあの熱意に、危うく絆されかけたぜ」

…この二人のアダルトビデオなら、史上最高のヒット作になるだろう…はっ⁈なんて事を考えてしまったんだ、傲潤‼しっかりしろ⁉

淫らな妄想を必死でかき消そうと頭を振る敖潤をよそに、二人の会話は続いていく。

「あの時ばかりは、下界で買った荷物を持って貰う事を条件に、貴方のあつらえた服装を着た事を心底後悔しましたよ」
「絡まれなさそうな場所なら文句ねーんだろ?今回は東京じゃねーから大丈夫だって」
「けどそこは今の時期、雪祭りをしてるんですよね?人の多い所となれば、東京と変わらないんじゃあ…」
「バァカ。そいつらの関心の目は雪祭りに向いているから、俺達が注目されない訳よ」
「話が今一つ見えてこないんだが、何をしに下界に降りる?」

蚊帳の外だった敖潤がやっとの事で話に割って入ると、天蓬は曖昧な笑顔を浮かべた。

「今日はバレンタインチョコを買いに行くのが目的でして」
「バレンタイン?…あぁ、去年お前達が下界の土産にとくれた、ハートの形に『愛』と言う字が彫られていたチョコの事か…」

天蓬から手渡される際に、大切な人や世話になっている人に贈る特別なチョコだと説明された敖潤は、義理か悪い冗談かと勘ぐりながらも…ひょっとしらた本命かも?と動揺して固まってしまった事を思い出した。

「シャレが通じないあんたには面白くもなかっただろうがよ、部下達はえれぇ喜んでホワイトデーにお返しまでくれたんだぜ?だから、今年もしないわけにはいかないっしょ?」
「…ホワイトデー?何だそれは」

捲簾が余計な事を言う度に敖潤から説明を求められる天蓬は、内心うんざりしながら困ったような笑顔を向けた。

「バレンタインデーにプレゼントを受け取った相手が、一ヶ月後にお返しをする日なんですけど。何処でホワイトデーの事を調べたのか、皆律儀に返してくれて…逆に申し訳ない気持ちになっちゃいました」
「そぉかぁ?俺はお返し目当てに義理チョコを配りたがる女子の気分が味わえて、楽しかったけどな」
「そうだったのか。何も知らずに礼を欠いてすまなかった。チョコを食べたのはあれが初めてだったが、美味であった。遅くなったが、次のホワイトデーに去年の埋め合わせをさせてくれ」

心底申し訳ないというように頭を下げる上官に、天蓬は苦笑いを浮かべた。

「本当に貴方は律儀な人ですねぇ。でも、気に入って頂けて何よりです。今年は面白さより、味重視で選ぶので期待していて下さい」
「あぁ。しかしチョコを買うために、混雑な場所に出かけなければならぬのは大変そうだな」
「ん〜ていうか、それ逆だわ。バレンタインチョコなんて、日本なら何処でも売ってるからよ。折角だから前々から見てみたいと思っていた雪祭りを、ついでに堪能する事にした訳。氷の彫刻が、夜にはライトアップされるんだぜ?」

上機嫌な捲簾の最後の言葉に、天蓬の顔が曇った。

「…え?今から行って、夜まで居るつもりですか?僕、寒いの苦手だから、あまり乗り気じゃないんですけど」
「寒い所で食べる本場のラーメンは別格だぜ?お前が雑誌で興味持ったあのラーメンを奢ってやっから、機嫌直せよ」
「あの店確か、常に行列出来てるって書いてましたよね。寒いのに外で並ぶなんて、耐えられませんよ‼」
「今日は何でも言う事を聞くんだろ?」

キレる天蓬に勝ち誇った笑みを見せる捲簾を見て、敖潤は思わず呟いた。

「…なんだか楽しそうだな」

天蓬は気付いてないだろうが、チョコを買うのは捲簾の口実で、これは正真正銘のデートだ。

捲簾はつまらなそうな顔の敖潤に視線を向けると、ニヤリと笑って言葉を返した。

「人生楽しんで何ぼよ?あんたと違って俺達現場の軍人は、いつ死ぬか判らない身だから。笑って死ぬ為に思い出作りは必要なワケ」

捲簾の言葉で天蓬は瞳を大きく見開くと、次の瞬間、何かをふっ切ったかのようにフッと口元に笑みを浮かべた。

「貴方に振り回されて散々な目にあうのもアリかもしれませんね。…死ぬ間際に、思い出し笑いが出来そうですから」
「…」

冗談めいた様子の二人の口から出た『死』と云う言葉に、私は妙な胸騒ぎを憶えた。

「やっと乗り気になったな。んじゃ、行きますか」

無言で佇む私に、捲簾は満足気な笑顔を肩越しに見せて緩く手を振ると、天蓬と並んで下界へと向かった。

これはあの事件が起こる数ヶ月前の、たわいもない日常の記憶。

今思えばあの時既に、二人は近づく死を本能的に感じ取っていたのかも知れない。
今だ遺体が何一つ出てこない状況で、彼等の死顔は知るよしもないが、きっとその顔は笑っていたに違いない。
何故なら死を直前に控えたこの私が、彼等の事を思い出すだけで自然と笑みが溢れるのだから。

生きて、生きて、生き抜いて…桜の花弁のように美しく散り去った彼等の生き様は、私の心を魅了した。

出来る事なら、次はあの花達を近くで…

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