最遊記外伝

□願わくば…
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観世音菩薩は暇つぶしに訪れた金蝉の部屋で、見慣れない書物を目にした。

「何だこれは?」
「下界の漫画と云う物らしい。天蓬から借りた」

金蝉は事務机で書類に目を通しながら、面倒臭そうに答えた。

「…ふぅーん。お前が他人から物を借りるなんて珍しいじゃねーか」
「何勘ぐってやがる?…暇つぶしに、奴のお勧めを借りた迄だ」

菩薩の含み笑いを睨みつけた金蝉は、再び視線を書類に戻して言葉を返した。

「へぇー。面白いか?」
「まぁな。漫画は初めてだったから読み方を理解するのに少々手間取ったが、あいつが色々教えてくれた。漫画に限らず、下界の話は面白いな。あいつが下界に興味を示すのも理解出来る」

書類から顔を持ち上げて話す金蝉の様子に、菩薩は驚いた表情を一瞬みせた。
しかし次の瞬間には口角を吊り上げて、いつもの人の悪い笑みを向けた。

「無口なお前から、そんな台詞を聞けるとは思わなかったぜ。奴の事を理解出来て、ますます好きになったか?本を借りるなんて、良い口実を考えたな」
「っ⁈…そんなんじゃねーよ‼」

金蝉はムキになったように声を荒げて立ち上がった。
そんな金蝉を宥めるように肩に手を掛けた菩薩は、息がかかる程に顔を近づけると、真実を覗くように瞳を捕えた。

「そおかぁ?他人の心配をして俺に相談したのは、あれが初めてだったじゃねーか。それとも悟空の影響か?チビが来てから、お前は変わったな」
「…煩ぇ。用が無いならとっとと帰れ。暇つぶしは他でしろ」

肩の手を振り払った金蝉は溜息混じりにそう言うと、再び椅子に腰かけて書類に目を通し始めた。

「名案だな。暇つぶしに、俺も天蓬元帥から本でも借りるとするか。一度あの綺麗な顔を、間近で拝見したかったしな」
「…何?」

その言葉に驚いた金蝉が顔を上げると、菩薩はニヤリと笑って踵を返した。

「待て、ババァ‼下心見えまくりなんだよ。襲うつもりじゃねーだろうな」
「襲うかよ。…しかし、合意の上なら構わんだろ?お前が奴に惚れているなら手は出さねーが、違うなら遠慮しねーよ。さっき否定したもんな。それとも撤回するか?」

焦る金蝉を肩越しに振り返った菩薩は、からかうように言葉を返した。

「…好きにしろ」

乱暴に座り直した金蝉は不機嫌な顔でそう言うと、心の中で毒付いた。
どうせフられるに決まってる。

「あぁ、好きにさせてもらうさ」

勝ち気な発言を残して菩薩は部屋を後にした。


「よう。天蓬元帥」
「…観世音菩薩様。こんな処まで、一体どうしたんです?」

ノックもせずに気軽に声をかけながら部屋に侵入してきた人物に、ソファーで本を読んでいた天蓬は瞳を瞬かせた。
菩薩程の高い身分ともなれば、普段滅多に御目に掛かる事は出来ない。
見る機会があるのは神事などの盛大な祭り事の時位だ。しかも遠目に見る事が許されるだけで、無論声などかける事は許されない。
女性らしい豊満な胸を裸同然な衣服で晒け出しながら不敵な笑みで歩み寄るその様は、下界のアマゾネスを思わせた。

「暇つぶしだ。面白そうな本を元帥から借りれると、甥に教えてもらったんでな」

金蝉の事を愛おしそうに甥と呼ぶ菩薩に、警戒心を解いた天蓬は和かに微笑んだ。

「そうですか。一応一通り何でも御座いますが、どんなジャンルが好きですか?」
「…美人だな」
「美人?…あぁ、グラビア誌でしたらこの辺に…」

品定めするような菩薩の視線から手前のテーブルに目を移した天蓬は、乱雑に積まれた書物をゴソゴソと掻き分け始めた。

このはぐらかし方は天然か?それとも計算か?金蝉も手強い相手に惚れたもんだぜ。

探し物を中断させるように、真っ赤なマニキュアを施した指先が天蓬の顎にかけられる。
驚いて振り向く天蓬に、菩薩は男女のどちらともつかない中性的な声音で甘く囁いた。

「ちげーよ。あんたの事。間近で見る方が、ずっと美人だと思ってよ。なぁ、俺とヤろうぜ?」
「…唐突ですね。遠慮しときます」
「即答かよ」

呆気に取られながらも静かに言葉を返す天蓬に、菩薩は愚痴ると愉し気に目を細めた。
次の瞬間、菩薩の二本の指が天蓬の肩を軽く押した。
見かけを裏切る強い衝撃で、天蓬の体は容易くソファーに沈んだ。
逃げる間も無い程の早技でその上に乗り上げた菩薩は、掴んだ両手首で肩をソファーに押し付けて動きを完全に封じると、獣のように瞳をギラつかせた。

「恋人でもいるのか?それとも火遊びは嫌いか?痩せ我慢するなよ。俺の躰に興味はあんだろ?」

…凄い自信だな。
捲簾を上回るであろう性への関心は、両性具有ならではのサガなんだろうか。

己の危機的状況を何処か他人事のように分析した天蓬は、露骨な台詞にさえ感心した声を上げた

「…噂以上にストレートな肉食系ですね。生憎ですが、僕の興味は今、別の処にありますんで…」
「それは上層部にあるのか?金蝉から聞いたぞ」
「…」

爪と同じ真っ赤な色の唇を吊り上げながら探りを入れるように見下ろす菩薩に、天蓬は無言で睨みつけた。

「そんな目をするなよ。あいつはお前さんを心配してるんだ。変な事に首を突っ込んで、事件に巻き込まれないかってな。上層部に興味を示すのは、辞めておけ」
「…貴方は、何か知っているんですか?」

困ったように片眉を少し下げて見せる菩薩に、鋭い視線を突き刺したまま天蓬は問いただした。

「知っていたら俺と寝るか?」
「納得いく情報でしたら、抱いて差し上げますよ」

菩薩の意地悪な質問に、天蓬は妖艶な笑みを返した。
強い意志を宿した瞳に、思わず菩薩は眉根を寄せた。

「…体を張ってまで真相を知りたいか。命を賭ける程の事か?」
「仲間を守る為ですよ。ここ近年、妖怪達の出没頻度は異常です。このままでは…僕はまた部下を死なせるかも知れない。その恐怖が、ある疑念を強めて僕を駆り立てるんです。下界の異常に上層部が絡んでいるのでは、と。白に越した事はないですが、黒なら殉職した彼の無念は、僕が必ず晴らしてみせます」

穏やかな笑みを浮かべる天蓬に、菩薩は内心舌打ちをした。

「お前の単独行動で、仲間に被害が及ぶとは考えねーのか?上層部に煙たがられてるお前の大将なんかは、真っ先にやられるぞ?」
「そうかも知れません。でも万が一そうなった時は、僕が全力で守りますから。この命に代えても」

静かな口調に秘められた強い覚悟に、菩薩は諦めにも似た溜息を落とした。

「気に入ったぜ。上層部のネタを持ってないのが残念だ」
「…そうですか。じゃぁ、そろそろ離してもらえますか?」

普段の余裕な顔に戻った菩薩に、天蓬もヘラっとした笑顔を向けて今一番の要求をやんわりと口にした。
しかし菩薩は人の悪い笑みを浮かべると、離れる処か、覆いかぶさるように顔を近づけた。

「気になった事があるんだが…この態勢で何故俺を抱くという発想になる?どう考えてもお前が下だろ?」
「………は?…僕は男ですし、貴方は女性でもありますから…」
「俺は雄としてお前に欲情してんだ。まぁ、男を抱きたいと思ったのはお前が初めてだけどな」

菩薩はそう言うと、天蓬の首筋に赤い舌を這わせた。

「…え⁈…っ…ちょっ…待って‼」
「昼間から何盛ってるんですか?観音様」

呆れたような声に二人が顔を向ければ、煙草を燻らせながら後ろ手に扉を閉める捲簾がいた。
ゆっくりと近づく捲簾を舐め回すように見つめた菩薩は、天蓬を組み敷いたまま下卑た笑みを口元に浮かべた。

「…捲簾大将か。間近で見ると、噂以上に良い男だな。折角だから三人で仲良くヤらねぇ?あんたには雌として抱かれてやるよ」
「天蓬を抱きながら俺に抱かれるってか?悪趣味だな」

眉間に皺を寄せて露骨に不快感を示す捲簾を、菩薩はフンと鼻で笑った。

「そう言う奴に限って、一度試せば病みつきになんだよ。両性具有に興味あんだろ?」
「そいつに手を出さないって条件なら、あんたを抱いてやってもいいがな。いい加減離してくんない?それ、俺のだから」

二人の静かな言い争いに割り入るタイミングを逃していた天蓬だったが、捲簾の最後の言葉にカッとなって声を荒げた。

「捲簾‼誤解を招くような物言いは…⁈」

天蓬は頭を反らして傍で佇む捲簾を仰ぎ見た瞬間、思わず言葉を詰まらせた。
菩薩に向けられた捲簾の瞳に、強い怒りが宿っていたからだ。
菩薩は天蓬から身を降ろすと、捲簾に意地悪く微笑んだ。

「ヘェ〜。足元を掬われるような、そんな事を言っていいのか?元帥の立場を考えてやれよ。ただでさえ変な処に首を突っ込んで、危ない身なんだぜ?」
「余計なお世話。こいつは俺が、命に代えても守り抜くからよ。それに、この事を言い触らす気はねーんだろ、金蝉の伯母様?」

捲簾は呆然と立ち尽くす天蓬の腕を乱暴に引っ張ると、見せつけるように胸の中に抱きしめた。

「…つまらねーな。もっとからかい甲斐があると思ったのに」
「あっさり引き下がらすには、直球が一番だからな」

捲簾は天蓬の頭を撫でながら、勝ち誇った笑みを見せた。
菩薩は苦笑いを浮かべると、真っ赤な顔で硬直している天蓬に声をかけた。

「天蓬、大将に飽きたら俺の処に来いよ。…お前達の行く末を、見届けてやろーじゃねーか」

菩薩は踵を返すと、肩越しにヒラヒラと手を振りながら扉に向かった。
その背中を驚いた様子で見つめていた天蓬は、菩薩の去り際に綺麗に微笑んだ。

「…ええ、存分に見せつけて差し上げますよ。僕達の行く末を」

独り言のように呟かれた静かな返事に、菩薩はフッと笑うと振り返る事なく部屋を去った。

己の命を省みず、信念のままに動くお前達が羨ましいぜ。天界で何が起きようが、俺は立場上、ただ見届ける事しか出来ないからな。

あいつらと話したのはそれきりだ。

気高く散った花達は、希望という種を守り抜いた。
酷い悪条件下に散り散りに産み落とされたその魂は、運命に導かれたように息吹き合い、寄り添うように美しく花開いた。
見届けるしか出来ない俺が、望む事はただ一つ。
その花達を少しでも長く、愛でられる事を…

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