最遊記外伝

□眠り姫
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天蓬は自分の物とは違う苦みの強い煙草の匂いで目覚めた。
どうやらまた読書中に寝てしまったらしい。
ソファーに寝たままの状態で、煙草の匂いのする方に顔を向けた。

「あれ?またいらしてたんですか?捲簾」
「おはよ」

向かいのソファーには両腕を背もたれに広げて長い脚を組み、偉そうな態度で煙草を燻らす捲簾がいた。
煙草の匂いの中に微な硝煙の匂いを嗅ぎ取った天蓬は、睡眠不足がまだ解消されていない怠い身体を起こして、不意に自分を起こした捲簾に小言を言う。

「いくら僕の部屋が射撃場との通り道にあるからって。僕の部屋は喫煙所替わりですか」
「嫌かよ」

捲簾の不満気な顔に、天篷はニッコリと微笑む。

「いえ。掃除もして頂けるし、助かってますけどね。あ、喉乾きません?」
「…完全に俺を家政婦扱いしてるよな」

そう言いながらも捲簾はソファーから立ち上がると、コーヒーを作る為に流し台へ向かった。

「そんな人聞きの悪い。世間では、僕達夫婦関係って言われてるそうですよ。部下達が言うんですよ。僕の部屋、こんなに見違える程毎日綺麗に片付けられて、まるでいい奥さんを貰ったみたいだって」

天蓬はソファー越しに捲簾の給仕姿を見ながら、ニコやかに声をかけた。

「差し詰め俺は、押しかけ女房ってか?」

捲簾は慣れた手つきでコーヒーメーカーに豆をセットしながら、呆れたように溜め息をついた。

「フフ。そんな事も言ってましたね。大将色に部屋が染められてきてるって。貴方の煙草のストックが何時の間にか本棚に置かれてたり、その本格的なコーヒーメーカーや豆の種類だって、貴方が選んで買って来てくれた物ですしね。貴方が女性だったらお嫁さんにしてたのに。残念」
「俺ってそんなに魅力ある?」

二個のコーヒーカップを両手で掴みながら天蓬に近づく捲簾は、そう言いながらウインクしてみせた。

「えぇ」

天蓬は差し出されたカップを手に取ると、筋の通った高い鼻に近づけて眠気を飛ばす香ばしい香りを楽しんだ。

「掃除は勿論、事務仕事も手伝ってくれて、下界からガラクタを持って帰って来ても、小言は言うけど捨てないで置いていてくれるし。縛らないで自由にしてくれる良妻賢母って感じでいいじゃないですか」

向かいに座った捲簾は、文句をいいたげな視線を天蓬に向けていた。
しかし、カップの中の濃い琥珀色を見つめたまま話す天蓬はそれには気づかないで、眼鏡が湯気で曇るほどの熱い液体を一口飲むと、苦い酸味に吐息を漏らした。

「彼等はね、僕の事を1人にしたら、いつか本に埋れて窒息死してそうだって心配してくれて、お見合いでもすればって言うんですけど」
「あんたみたいな夫は、直ぐに愛想尽かされそうだな」

眉を八の字にさせて苦笑いする天蓬に、捲簾はそう言うとコーヒーを口にした。

「それ以前に、こんな僕を受け入れる女性なんていませんよ。…貴方も結婚とは無縁そうですよね」

突然苦手な方向に話が進みだしたと思いながら、捲簾は冗談混じりに答える。

「まぁ、俺も縛られるのはヤだし。それにほら、1人に絞っちゃうと、世界中の女性が泣いちゃうでしょ?」

茶化すような捲簾の言葉を聞いているのかいないのか、天蓬は顎に指をかけて真剣に考えこむ。

「1人で何でも出来ちゃうと、結婚する必要性なんて感じませんか」

疑問形ではなく断定する口調で、何処か1人で納得しだした天蓬。

「お前の結婚の基準て、不便かそうじゃないかみたいだな。俺が言うのも何だが、結構ドライよね」

捲簾は自分を分析しだした天蓬の意識を逸らす為に、顔を引き攣らせながら意見を述べた。

「失礼な。一生側に居たいと思う位、愛せる人が現れたら、結婚するとは思いますよ?そういう貴方は?」

またまた食い下がる天蓬にうんざりしながら捲簾は答える。

「わかんねー。永遠に続く愛情なんて信じてないし。一生の約束なんて、責任重過ぎって感じで簡単に覚悟も出来ねーよ」

そう言って怠そうに紫煙を吐く捲簾に、天蓬はクスリと笑った。

「でも、そう思える相手に出会えたら、この退屈な人生も楽しいものになるのかもしれませんね」
「…」

何処か遠い目を向ける天蓬に、捲簾は言葉を詰まらせた。

「さてと、僕はこの本を読み切ろうと思うので、ここに居てもいいですけど、邪魔しないでくださいね」

天蓬はそう言うと、膝の上にある本を手に取りページを捲りだした。

「俺も読書でもすっかな。あんたのお勧めの本貸してよ」

捲簾の予想外の言葉に、天蓬は思わず顔を上げた。

「本、読むんですか?エロ本なんて無いですよ?」

真顔で天蓬は即答した。

「馬鹿にすんな。…あんたの気に入った本でいい」

捲簾はムッとして溜め息混じりにそう言うと、天蓬は嬉しそうに微笑んだ。

「じゃあ、コレはどうです?ホラー系ですが、貴方の好きそうなシーンもありますよ」

天蓬はテーブルの上で乱雑に積まれた本の中から、一冊を取り出した。

「へぇ。サンキュ」

捲簾は口角を上げて、天蓬の持つ本に手を延ばす。

「本読みながら、寝ないで下さいね。風邪引いても知りませんから」

捲簾が受け取ろうと掴んだ本を天蓬は離さないで、そう釘を刺した。

「…あんたが、それ言う?」

捲簾はガクリと項垂れ呟いた。


暫くすると、天蓬のページをめくる音が聞こえない事に気が付いた。
天蓬は器用に座ったままの姿勢で寝ていた。

「おい。やっぱ寝てんじゃねーか…しゃあねえなぁ」

捲簾は軽く舌打ちしながらも天蓬を起こさない様にそっと抱きかかえると、隣の寝室に運んだ。
天蓬を仰向けでベッドに降ろす。死体の様に、全く微動だにしない天蓬に溜め息をついた。
捲簾はベッドに腰を降ろすと、隣ですやすやと寝息をたてる天蓬の前髪を静かに撫であげる。
女の様にきめの細かい肌、長いまつ毛、同じ男とは到底思えない程中性的なその寝顔に目を細めた。

「あんまり無防備だと、襲っちまうぞ…」

独り言の様に囁いた捲簾の口元には、何処か諦めたような笑みが浮かんだ。

通りついでと言って、用もない部屋に寄る。
普段読まない本を借りる。
どうでもいい口実まで作って、少しでも傍に居たいと思うなんて、自分のキャラではないだろう。
知り合って二ヶ月程度のこの男に、こんなにもハマっている自分が笑える。
こいつが女だったら、無理矢理孕ませてでも結婚したかも知れない。…いや、か弱い女ではないから、強く惹かれたのか…

全く、相当やっかいな眠り姫に出会ったもんだ…

捲簾は自嘲すると煙草を唇から外し、幸せそうに眠る天蓬の額に、優しくキスを落とした。

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