最遊記外伝

□エイプリルフール
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「天蓬、こんな所で寝てっと風邪引くぞ」

天蓬は肩を揺さぶられて深い眠りから無理やり目覚めさせられた。
起き上がる気力も無く、ソファーに仰向けのまま寝ぼけ眼で壁の時計を見上げると、針は3時を刺している。
その瞬間、天蓬の瞳は驚きで見開かれた。

「うわっ‼」

午後の会議をすっぽかしたかと、思わず間抜けな声を上げながら焦って飛び起きると、胸に乗っていた読みかけの本がバサリと床に落ちた。
ふと、視界の端に捕えた窓の外が、真っ暗な事に気が付いた。
深く安堵の溜息を吐くと再びソファーに腰をおろし、隣に突っ立っている睡眠の邪魔をした相手を見上げた。

「あぁ…捲簾。こんな夜中に何か御用ですか」

驚かされて(勝手に時間を勘違いをしただけなのだが)眠気が吹き飛んだ天蓬は、大した用で無ければ承知しないと言う様に座った目を向けた。

「偶々通りかかったら、あんたの部屋から灯りが漏れてたんで見にきただけ。…しかしまぁ、あんた何時きても本読んでるか、そのまま寝てるかのどっちかだよな」

呆れた声でそういいながら、捲簾は天蓬の隣に腰をおろして、煙草に火をつけた。

「…たまには仕事もしてますよ」

そんな事で態々起こされたのかと、密かに寝起きの悪い天蓬は嫌味を吐く。

「そう言う貴方は何故こんな時間に徘徊してるんですか?あぁ、女性を怒らせるような事をして部屋から追い出されたとか?」
「そんなヘマするかよ。…ちょっと寝付けなかったから、気分転換に散歩してただけ」

ムッとした様に唇を少し尖らす捲簾に、天蓬は毒気を抜かれた。

「意外ですね。悩みでもあるんですか?」
「そりゃ、まぁよ」

その言葉に、天蓬は大きな瞳を一層丸くした。

「本当ですか⁉貴方でも悩みがあるなんて驚きですね」

知り合って三ヶ月も経ってないが、仕事で毎日顔を付き合わせている。
捲簾という男の事は、それなりに熟知していたつもりだった。
一見いい加減に見える捲簾の心は凄く強い。多分僕よりずっと。
その気弱な返事は、自分自身を貫き通せる、揺るぎない強い心の持ち主のものとは到底思えなかったからだ。

「…あのね。人を能天気みたいに言わないでくれる?ほら、色男だからモテ過ぎて悩みは尽きないわけ」

捲簾は男前にニッと笑い、斜に構えた態度を見せた。

「ハハハ。でも東方軍に居た頃よりは、随分と女性問題が減ったと噂で聞きましたよ。こちらに来て、本命の人でも出会いましたか?」
「…かも知れねぇなぁ」

捲簾は溜息混じりに煙草を吐き出しながら、視線を天蓬から外した。
からかったつもりが予想外の返事に、天蓬の笑顔は再びかき消される。

「今日は驚かされてばかりですよ。エイプリルフールじゃないですよね?」
「エイプリ…何それ?」

聞き慣れない言葉に、捲簾は天蓬を見た。

「ご存知無いんですか?下界の一年に一度、嘘を吐いてもいい日の事です。その日は嘘を吐かれても、怒っちゃ駄目だそうです。人間て、面白い事を考えつきますよね」

いいながら、天蓬は煙草を取り出し口に咥えた。

「へぇー。面白いな。今日はその記念日にすっか」
「どういう事です?」

捲簾が差し出したライターの炎に天蓬は視線を落としたまま、火に煙草を近づける。

「天蓬、あんたの事が好きだ。付き合わないか?」

驚いて見上げると、捲簾は態とらしく余裕のウインクをして見せた。
突然の告白に、天蓬の口から煙草が落ちる。

「…ぷっ!あははは‼」
「そこ迄笑わなくても…」

腹を抱えて笑う天蓬に、捲簾は苦笑いを浮かべた。

女好きでプレイボーイを自負する男が、告白だなんて。おまけに相手は男の自分だ。
冗談でなければ一生聞く事のできない様な捲簾の似合わない台詞に、笑い過ぎて息絶え絶えになりながら天蓬は声を絞り出した。

「だって、そんな判りきった嘘、おかし過ぎて驚くより笑えますよ!」
「…あっそう」

笑い過ぎて目尻に溜まった涙を指で拭う天蓬を横目に見ながら、捲簾は手前のテーブルにおいてある灰皿で煙草を揉み消した。

「本当に貴方は面白い人ですね。いいですよ。今日が僕達のエイプリルフールにしましょう!毎年驚かせて笑わせて下さいね」
「…いいぜ」

天蓬の言葉に捲簾は人の悪い笑みを見せると、再度口に煙草を運ぼうとする天蓬の手首を掴んで降ろした。
捲簾のその不可解な行動に、天蓬は振り向く。

「?捲れ…っ‼」

言葉をかける為に口を開くと、捲簾は軽く其処に唇を合わせた。

「捲簾⁈何するんですか‼」

天蓬はソファーから勢いよく立ち上がり、手で口を隠しながら叫んだ。

「冗談だよ。今日は嘘吐かれても怒らないんだろ?」

焦る天蓬に対し、捲簾は余裕の笑みを浮かべる。
からかわれたと思った天蓬は、顔を赤らめながら睨み付けた。

「…これは流石に笑えませんよ」

立ち尽くす天蓬に、捲簾もソファーから立ち上がると真っ直ぐな瞳を向けた。

「でも、怒るなよ?」

そういった捲簾の口元は笑っていたけれど、

「捲…簾?」

捲簾の表情から目が離せない。

「どうしたんです?」

その表情は、まるで…

「…眠い」

捲簾はそう言うと突然大きな欠伸をして踵を返した。

「眠くなったからもう帰るわ」
「⁈…ちょっと待って下さい‼」

天蓬が呼び止めるのを無視して、捲簾は背中越しに手をひらひらさせながら軽い口調で言葉をかけた。

「おやすみ〜」

そして、そのまま振り返る事なく扉を静かに閉めて部屋から消えた。

「……」

静まり返った部屋で、天蓬が独りごちる。

「怒れる訳、ないじゃないですか。あんな顔されたら」

冗談めいた口調とは裏腹に、捲簾は泣きそうな笑顔をしていた。

「眠れないって言ってたくせに。僕を無理矢理起こしたくせに、先に眠くなるなんて。身勝手な人ですね…僕は逆に眠れそうにないですよ…」

落ち着こうと煙草を口にして窓を開けた。
溜息混じりに吐いた紫煙をゆっくりと眼で追う。
闇に紛れた紫煙の先には、三日月が雲を少しも寄せ付けないで冷たく輝いていた。
西へ傾き横たわる痩せた月が、まるで今の自分を嘲笑っているかの様に観えた。

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