最遊記外伝

□白詰草の髪飾り
1ページ/6ページ

人生死ぬまでが暇潰しだと言ったのは誰だったか。しかし天界人は寿命がない。その為、退屈な日々を持て余している者は少なくない。
俺もその一人だった。あいつと出会う前は。
今はあいつの世話を焼くのが俺の暇潰しみたいなもんだ。人の暇潰しの方法は様々だが、飽きずに続けられる手っ取り早いのが噂なんだろう。
天界はそのせいかくだらない噂が広まりやすい。
根も葉もないドロドロした不倫話や政治的権力争いによる陰謀臭い噂はそこらじゅう溢れかえっていて、時には自分も巻き込まれていたりするから正直ウンザリする。
いつもは興味のない噂話の真意を突き止めたくなったのは、あいつの噂だったからだ。
天蓬の住む棟の階段の踊り場や渡り廊下で、すれ違う者たちの話題を捲簾が耳にしたのはついさっきだった。
あいつを崇拝している部下達は勿論、西方軍に飛ばされた俺を品性のかけらも無いと下げずんだ堅物の東方軍の奴らでさえ、俺に気付くのが遅れるほど興奮を隠せないように話していた。
男達の色めき立った口調の会話は嫌でも耳に入ってくる。
さっき廊下などですれ違いザマに珍しい天蓬元帥の姿を観たと言うものだ。
捲簾は天蓬のいる事務室のドアをいつも通りノックする事無く開き入った。
無言の部屋を見渡す。
奥の壁際の机には書物が高く積み上げられ、今にも崩れそうなその隙間から、辛うじて天蓬の頭頂部と煙草の紫煙が見えた。
壁の時計は4時を刺そうとしていた。春特有の柔らかい陽射しが差し込む静かな部屋に、時計の針の動く音と紙の擦れる鈍い音が響く。
天蓬はこの時期軍事報告書の提出期限に追われ、私的な書物で雑然とした机に書類を置くスペースを辛うじて作り、苦手な報告書と向き合っていた。
捲簾はズカズカと足音をわざと立てながら天蓬の横顔が見える位置まで移動した。
しかし天蓬は捲簾の気配に気づく様子をみせないで、業務に取り掛かっている。
趣味の本に没頭している時ならいくら側で呼んでも返事が返って来ない事は多々あった。
しかし今は公務の中で1番詰まらない作業と愚痴ていた報告書記載の最中だ。
あわよくば書類を俺に押し付け、息抜きに出かけようとするこの男が、この作業で人の気配に気づかない程集中できるわけが無い。
きっとこの書類は残念ながら俺に回せない物なんだろう。
知り合ってそう長くはないが、いつもヘラヘラとした笑顔に隠されている微妙な表情の変化さえもわかる様になってきた。
その端整な横顔は氷の彫刻の様に無表情で、奴の機嫌が良く無いのがわかる。
俺は横顔を見下ろす程の距離まで更に近づいた。
視線を落とすと、手にしている書類がやはり天蓬本人以外代用の効かない物だと判った。
だからといってわざと無視されては良い気はしない。
「てーんーぽう」
至近距離でわざとゆっくりと大きな声で呼ぶ。
天蓬は溜め息をつくように煙草の紫煙を吐き出し顏を上げた。
「観てわかるでしょうが、この忙しい時に、何のようです?」
穏やかな口調だが、トゲを含んだ言葉といつも以上に美しい弧を描いた口元が、邪魔してくれるなと無言で言い放つ。
見上げた天篷と目が合った捲簾は驚きのあまり、咥えていた煙草を一瞬落としそうになったが、気を取り直し直ぐに何時もの皮肉った笑顔をみせた。
「べっつにぃ?暇潰し」
男前と称される得意の余裕の笑みで捲簾は天蓬と視線を交えたまま煙草をふかした。
成る程ねぇ。
捲簾は心の中で呟いた。
先ほどまでは右顔しか見れなかったので気づかなかったが、今正面から天蓬の顏を捉えた事で捲簾は噂の真相を初めて理解した。
天蓬は左耳の少し上に白詰草の花飾りをつけていた。
あまりにも似合い過ぎて黙ってると女にしか見えない。しかも極上の。
この姿の天蓬と話した西方軍の部下達に、何故花飾りについて触れなかったか聞くと、キレ者で名高い元帥が故に、何かの罠と考えられ、訊ねるのを躊躇してしまったという。
さすがに想像以上のこの容姿を見れば、そう思うのも仕方ない。
現に俺がその話題に触れるのを躊躇しているからだ。
捲簾はただ無言で天蓬の顏をくいいるように見つめていた。
そんな不可解な捲簾に先に痺れを切らしたのは天蓬だった。
余程機嫌が悪いのだろう。
お得意の社交的スマイルを崩し、珍しく露骨に嫌な顏をみせた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ