宝物庫

□連鎖終着点2
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「神聖なる裁きの庭に私情を差し挟むなど、言語道断」

執務室へと向かう途中、私は、鋭く突き刺さるような声に振り返った。

「……まさか、キミに言われる日が来るとはな。メイ」

メイは手に鞭を持ち、こちらを睨みつけた。私はただ、それが唸りを上げずに大人しく握られていることを祈るしかない。

「それ程、あからさまだったのよ。ヒゲがみっともなく震えていたわ。鬼気迫る法廷だった、と」

私情を挟んだつもりはない。……ないが。苛立っていたのは確かだろう。私らしくもない。黙っている私に何を感じたか。メイは眉を顰め、言葉を続ける。

「罪を憎むのは、勝手。だけど、十分に気をつけることね。いつ、どこで。何を切っ掛けにして。……恨みを買うか分からない」

キミこそ、と呟きそうになる。だが、それを言ったところで何になるのか。この話が長引くだけだ。苛立ちの原因がどこにあるか。考えるまでもない。あの男だ。これ以上、思い出したくない。考えていたくない。……できるだけ、思考の外へ追いやってしまいたいのに。
「キミは、わざわざそれだけを伝えに、私を呼び止めたのか」

言い返されるかと思った。しかし、意外にも彼女は言葉を失った。それから、気まずそうに声を紡ぎ始める。

「用件は、別よ」

私は黙って続きを促した。メイは、何かを言おうとしては戸惑うように唇を閉じ、を何度も繰り返している。珍しい事もあるものだ。一度目を閉じた彼女は、息を大きく吸い込んだ。そうして、こちらを見上げる。

「今日晩、何か。……用事。あるのかしら」

「いや、何もない。どうした」

私は驚いた。メイが、恥じらうように私から視線を逸らしたのだ。……恥じらう、ように? 何故。何があった。天変地異か、明日は矢の雨か。

「付き合って欲しいの」

体が、思考が硬直する。私はただ、鸚鵡のように彼女の言葉を真似るしかできなかった。

「つ。つき、あう……?」

まさか。一体、何が、どうなっている。硬直した思考が、何もかもを放棄させ、私はただ、その場に立ち尽くすだけの置物と化した。

「ええ。食事に」

メイの言葉で、ようやく体が解放された。

「あ。ああ……。食事、か」

考えれば分かった事だ。今日晩の予定を聞いて、それから、付き合えときたのだから。私は安堵を覚えていた。

「構わないが。……珍しいな。キミが」

「話があるのよ」

「話?」

「ええ。……成歩堂、龍一……の」

メイは、今一番聞きたくない名前を紡ぎ、目を丸くしていた。私の後ろを見つめている。嫌な予感が頭痛となって警笛を鳴らす。メイの視線を追い振り返ると、成歩堂が少し離れた場所に佇んでいた。私は思わず視線を逸らしてしまう。彼も同じく逸らしたように見えた。
「レイジ」

メイが私に近づき、囁く。

「今の話。無かった事にして頂戴」

それだけを言い残して、彼女は小走りで私の元から去って行った。私は呆然とそれを見送る。成歩堂は何も言わない。黙って立ち去る訳にもいかないだろう。かといって、平然と話ができるとも思わない。そもそも、何故ここに居るのだ。彼は。検事局に何の用だ。呟くように、彼の名前を呼んだ。

「成歩堂」

「……邪魔したみたいだ。謝るよ」

嗚呼。会話が続かない。しんと静まった空気が、痛い。意を決し、私は成歩堂に声を掛ける。

「何の用だ」

間を開けて、成歩堂が答える。先ほどのメイのように、躊躇いを見せながら、ぽつりと声を溢していく。

「昨日。言い過ぎた、と思って。だから、謝りに」

謝る? 成歩堂が?

今日は、珍しい事ばかりだ。明日世界の終わりだと告げられたら、何も考えずに納得してしまう程度には驚いている。
ただ、それで苛立ちが静まるかどうかは別の話だ。

「あと。……その」

私は続きを待った。成歩堂は私を見ずに、続ける。その姿にさえ、苛立ちを覚えてしまう。気持ちを落ち着かせようと溜息を一つ落とす。

「明日の約束、駄目になっただろ。だから。代わりに、今日。……どこか、食べに行かないか。御剣」

都合の良い話だ。あれ程こっ酷く私を謗っておきながら、今日になってまるで改心したかのようなこの態度。昨日の、あの会話さえなければ。私は喜んで承諾しただろう。
……今の私には、無理だ。

「済まない」

成歩堂が、小さく驚きの声を溢した。

「先約がある」

嘘だ。
彼には、メイが断りを入れたあの囁きまでは聞こえなかっただろう。

「それって、さっきの」

「聞いていたのか」

「……盗み聞きするつもりはなかったんだ」

彼は今、どんな気持ちでいるのか。落胆か、失望か。少し胸が痛む。私は何をしているのだ。彼の事を好いて、彼を繋ぎとめようとして。それが今はこうして突き放そうとしている。
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