宝物庫

□連鎖終着点
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『なんだよ、それ』

電話の向こう。成歩堂の声はこれ以上ない程苛立っていた。私は確認していた資料から視線を逸らす。無意識のうちに、溜息が一つ零れ落ちた。いけない、と思った時には手遅れだった。溜息を聞いた相手は余計苛立ち、電話越しに熱を伝えるかのような怒声を響かせた。
『お前がどうしてもって言ったんじゃないか!』

「まあ、それは。そうなのだが」

どうしても。

いつも、声を掛けるのは私の方だ。当然といえば当然で、私の方から彼に、どうか付き合って欲しいと頼み込んだのだから。晴れて恋仲――互いに思い慕う、相思相愛の関係かと聞かれれば首を傾げざるを得ないが――になれたのだが。

彼から誘われたことは一度もない。誘うのはいつも、私だ。それすら断られることがザラで、この度の約束もなんとか私が押し切って取り付けたものだ。今、その約束を自ら断っているのが惨めで仕方がない。

「済まない。急な仕事が入った」

『……ああ、そう』

この数ヶ月。甘い空気が漂った日が、幾つあっただろうか。……私の覚えている限り、成歩堂に思いを伝えた日、一日のみだ。これでは、何のために私は彼に一世一代の告白をしたのかが分からない。何の、意味もない。
これが世の女性達であれば、一緒に居られるだけでも……、と考えられるのかもしれないが。
私には無理だ。友人であった時の方が、いくらか良かった。少なくとも彼に辛辣な言葉を浴びせられることはなかった。冗談交じりではなく、本気に聞こえるそれを。……
そのお陰で、なみなみと注がれているかのように疲労が溜まっていく。溢れ出すのは時間の問題か。知らず、溜息がもう一つ。

『――……ぎ』

最近、刑事にもメイにも心配される事が増えた。顔色がどうだ、体調はどうだ、疲労がどうだ。あの糸鋸刑事は暑苦しくも世話を焼こうとし大抵それが裏目に出る。メイは……いや、メイはただ嫌味を言っているだけなのかもしれない。遠まわしな心配ではなく、ストレートな嫌味を。

『……御剣』

遠まわしな。……せめて、遠まわしな愛情であれば。幾分か気も楽になる。しかし、考えてみればそのそも彼に期待する方が誤りなのだ。この関係は私の一方的な情愛の押しつけ以外に他ならない。私は彼に愛を捧げた。では、彼は? 答えなど、解り切っている。

『おい。聞いてるのか、御剣』

つい、考え込んでしまった。電話越しの声に気付いた時には、最早手遅れ。

『なんだよ。お前。電話掛けてきたと思えば約束が駄目になったって勝手に断ってきて、挙句に無視かよ。……何がしたいんだよ。本当』

詫びを入れようと口を開くが、成歩堂の声がそれを遮る。

『もう、いいよ』

呆れか、苛立ちかそれとも別の感情によるものか。彼が一言私に残した直後、単調な電子音が通話の終了を告げる。私は携帯電話を黙らせ、机の上へ投げ捨てた。

あの日、成歩堂に思いを打ち明けた時。成歩堂は確かに頬に紅葉を散らし、恥じらいながらも受け入れてくれた。それがどうだ。その翌日に会ってみれば彼は豹変し、睦言を紡ぐ事もなくただただ私を謗るだけになっていた。よく、結婚し妻になった直後に豹変する女性が居ると聞くが、それの類なのだろうか。……有り得るはずがない。現実から目を背けてどうする。
別れた方が、いいのか。
不意に、そんな考えが脳裏をかすめた。……これ以上考えるのは、時間の無駄だ。考えれば考えるほど。成歩堂の事を思えば思うほど、頭も胸も胃も痛み始める。

その痛みを引き摺ったまま迎えた翌日の法廷で、私は。不名誉な事に、新人潰しの異名を与えられる羽目になる。

「し。しかし。被告は彼女の為に罪を犯したのです。放っておけば、彼女の身に危険が及ぶ。それを恐れた被告が……」

「だが、その彼女とやらの話は、全て妄言。ただの偽りだった」

新人だとは聞かされていたが。青い。青すぎる。
……被告人が人を殺害した事実は、何をどう言おうと覆るものではない。完璧な証拠がこちらには揃っているのだ。ここまで苛立ちながらも長々とした弁護士の≪演説≫に付き合ってきたのだが。それも終わりにするべきだろう。

「その女性の家族及び知人へは既に聴取を済ませている。結果。彼女が脅迫されているという確証は得られなかった。……それどころか」

恐らく、弁護人は知っているのだ。被告が守ろうとした彼女とやらの≪正体≫を。

「脅迫していたのは、むしろ彼女の方だった」

裁判長が驚き、声を上げた。私は構わず続ける。
「被害者の醜態を撮影し、それを使い執拗な金銭の要求を繰り返していたそうだ。……耐えかねた被害者は復讐の計画を知人に話していた。それが、殺害される二日前。偶然で済ますには、出来過ぎた話だと思うがな」

「では、被告人は……利用、されたのですか」

「そうなるだろうな」

額に脂汗を浮かべながら、若い弁護人は次の言葉を探し、机上に広げた資料を睨みつけていた。

「しかし。しかし……、被告は。被告は……」

うわ言のように二つの言葉だけを呟き続けている。ただ一つ、向かいあう弁護士に同情する余地があるとすれば。
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