Sweet Adult

□忘れ得ぬ記憶
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昔語り〜忘れ得ぬ記憶

いちばん小さな頃の記憶は、生まれた街の空の色。
冬のモスクワの、灰色の曇天。
あのことはいつも隣に母さんがいて、自分が特殊なんだと思わずに生きていられた。

―自分の顔なんて大嫌いだ。
この顔のおかげで食っている奴が言うのもアレだけど。
この顔は周りをずっと、不幸にしてきた。
俺の愛した人たちは、皆、この顔の所為で不幸になった。
―それに、思い出すんだ。
この顔を鏡で見るたびに、母さんのことを。

「あら、お久しぶり。今年もいらっしゃると思って、待っていましたよ」
「こんにちは。覚えていてくださって光栄です」
「あなたのような美しい方は絶対に忘れませんよ。たとえ、私たち『神の花嫁』でもね」
そう言ってシスターは笑う。
俺も、その笑顔に応えて少し笑う。

夏の初めと、秋の終わりに、俺は毎年ここを訪れる。
東京で一番大きな、正教会の聖堂だ。

俺は、"彼女たち"の墓に行くことができないから。
だからここで祈りを捧げる。

「おや、誰かと思ったら君じゃないか。そうか、もうそんな時期かね」
礼拝堂で一通り祈りを済ませると、外で神父に出会った。
「御無沙汰しています。神父様」
「君は確か、洗礼を受けているんだったね?」
「ええ、幼いころに」
「領聖(ハリストス)を受けていくかね?」
「いえ……、俺は今は、それを受ける資格はありません。実家の事情で、神道の学問も修めましたし」
領聖(ハリストス)は、キリストの尊体尊血になったパンと葡萄酒を頂くこと。
幼いころは、礼拝のたびに受けていたものだった。
「ふむ、君が神道とは、なかなか見かけによらんものだね」
「……よく言われます」
俺は曖昧な笑みを返した。本当は、神道の道に行かされた時、改宗しなければならなかったはずが、
なんとか今も母親と同じ宗教のままでいられる。
とはいえ、俺の職業はホストなんていう最高に低俗な商売。
到底神はお許しにならないだろう。
―そもそも、俺は神道だろうがロシア正教会だろうが、そこまで信心深いわけじゃない。
俺の罪を許されたいわけでもない。
ただ、安らかに眠って欲しいと祈りたいんだ。―俺の愛した二人に。
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