おニューtext

□愛しくて
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オペラク、ベクター×ルポ。





朝。ベッドに手をつき、むくりと体を起こした。ぎし、という音と布擦れの音がひんやりとした空気に触れて耳に届く。
ふと、私は己の横へ目をやった。私の隣で眠っているのは私の愛する人―――ベクターだ。彼と付き合っている。けれど、彼の本名は分からない。いつになったら教えてくれるのかと思っているのだが、なかなか教えてくれない。だから呼び名はずっとベクターのままだ。彼は時々だが、カリーナと呼んでくれた。
ベクターはまだ起きない。ベッド脇に置いてあるチェストの上にある時計も、カーテンの隙間から見える陽の光も一日の始まりを知らせているというのに。
じっとベクターを眺めていると不意に、彼が身じろいだ気がした。


「おはよう」

「―――」


ベクターが目を覚ました。そう思った。そっと声をかけ、彼の頬を撫でた。ベクターは僅かに微笑みを見せたようだった。それを見て、私の唇も緩やかな弧を描いた。
穏やかな朝。二人きりの寝室。彼と私の匂いしかしないような家。誰にも邪魔されない、二人だけの空間。なにもかもが尊く感じられた。


「朝食を作ってくる、待っててくれ」


私はそう言ってベッドから抜け出し、寝室を後にした。
一人、キッチンに立って料理をする。冷蔵庫の中から適当に野菜を取り出してまな板の上に並べていく。料理をすると頭の中が、思考が散漫になる。なにか、大切なものを失くした気がする。けれど、私にとって大切なのもはひとつだけだ。ぼやける視界の中で、緑色の柔らかいものを手に取る。それに包丁を入れる。瞬間、頭の中を何かが横切った。包丁を動かす度、なにかが思い出されるようだった。思い出したくないなにかが。


「…っ」


はた、と気付くとまな板の上の野菜が全て細かいみじん切りになっていた。これでは料理と言えるものが出来ないのではないか。そう思った。


「…まあ、スープでいいか。あと…パンがあるな」


近頃、作る料理といえばスープばかり。それとパンとサラダだったり、デリバリーを頼んだりしている。料理が出来ないわけではないのだが、気付くと食材が影も形もない状態になっているのだ。

―――ズキン

不意に頭が痛くなった。なにか。なにかが記憶の淵から這い出してくるようなそんな気がした。思い出してはいけない。気付いてはいけない。そんな気がした。

―――ズキン

なにかが瞼の裏に見えた。それと同時になにかが焼けるような匂いと鉄錆の匂いが鼻についた。キッチンを見回してみてもそれらを感じさせるようなものは見当たらない。
私は頭を軽く振り、気のせいだと自分に言い聞かせた。思い出せば、気付いてしまえば失うものがあるような気がするから。私は何事もなかったかのように、寝室へ向かった。
ベクターは相変わらずベッドに横になったままだ。私は彼の傍へ行き、彼の体を軽く揺さぶった。けれど、彼は何も言わない。無口な彼だからしょうがない。私は、そんな愛しい彼に小さく溜め息を吐いた。何も言わなくても、彼は柔らかな笑みを向けてくれる。


「ベクター、朝食ができたぞ。さあ、ダイニングに行こう」


そう言ったが、ベクターは動こうとしない。ここに居たいのだろうか。そうだ。きっと、この間の仕事や鍛錬で疲れたのだろう。今日は何もないのだから、別にベッドの上で食事を採ろうとなんら問題もない。私はキッチンに戻り、朝食をそれぞれ皿によそい、寝室へ持っていった。そして、チェストの上に持ってきた朝食を置いた。


「どうした、食べないのか?」


問いかけるも、ベクターは何も言わない。そういえば、昨日も何も食べてない。一昨日もそうだ。どうしたのだろう。空腹ではないのだろうか。だが、このまま何も食べない状態では体が弱ってしまう。それではいけない。私はなんとかして食事を採ってもらおうと思った。食べなくては死んでしまうから。

そう……死んでしまうから……。

唐突に寝室のドアが開かれた。そこから現れたのはいくつもの戦場を共にしてきた仲間達だった。


「なんだ…?」

「いい加減目を覚ませ、ルポ!」


ベルトウェイがベクターを肩に担ぎ上げた。ベクターは力なくだらりと腕を垂らしている。私は乱暴に扱われるベクターを守ろうと手を伸ばしたが、バーサとフォーアイズの二人に阻まれる。


「ベクター…ベクターっ!」

「しっかりしなさいルポ!ベクターはもう居ないのよ!」


頭が、ぐらぐらする。
ベクターが居ない?バーサは何を言っているんだろうか。ベクターはそこに、ここにいるというのに。おかしな奴だ。
頭が、頭が割れそうだ。ズキズキと頭が痛む。何かを思い出そうとしているのか?ダメだ。ダメだ。ダメだダメだダメだダメダメダメダメダメダメ。


「…っ…くぅ…」

「さぁ、思い出しなさいルポ!何があったかを…!」

「何………」


ああ、何かが這い上がってくる。じわりじわりと浸食していく。
頭に浮かぶのは銃声飛び交う戦いの中、不意を突かれた私にコンバットナイフを振りかざす敵兵。それに気付いた時にはもう遅かった。そう、思われたのに。私は視界を何かに遮られた。その何かに気付くと、それはぐらりと体を横たえた。私は敵兵を亡き者にし、崩れ落ちた体を抱き起した。
ああ、ベクター。何故、お前はこんなところで寝ているんだ?
まさかまさかまさかまさかマサカ!
抱き起した時にはもう既に彼の呼吸が、脈が、心音が、消えていた。
彼は、私を守って死んだ。私が、私がきちんと周囲を確認していればこんなことにはならなかったのに。私が、ベクターを、彼を殺したんだ。


「―――――っ!!」


急に胃液が込み上げてきた。私は堪えきれず、そのまま嘔吐した。信じられない、信じたくない。そんな気持ちが私をダメにしていた。
私は服が嘔吐物で汚れるのも構わず、その場に膝をついた。
信じたくなかった。愛しい彼が死ぬなんて、考えたくもなかった。だから私はそんな忌々しい記憶を排除し、ベクターの亡骸と暮らしていたのだ。

私は―――


「っ、ルポ!!」


私は脱兎の如くキッチンに駆け込んだ。震える手で、包丁を握った。そのまま、刃先を首にぴたりと付け、そして……。

ぐらり、体が前に倒れていく。ゆっくり、ゆっくりと水中を漂うかのように緩慢に。

最後に、見たものは、私に微笑みかけるベクターの姿だった―――。





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