fiction.

□a deceit
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「あの状態からの形勢逆転?すごいねシエル…だけど一つだけ忠告。あんまり人の部屋のモノをむやみやたらに触らない方がいいよ、ここはトランシー家。シエルの家よりは少ないだろうけど刺客は来るからね。短剣の刃に猛毒が仕込んであったりね…」
汗が伝う頬を拭いながら、アロイスは笑みを崩さない。
「お前にしては上手いハッタリだな…仮にお前が言う仕掛けが本当だとしても、その時はお前も道連れにしてやる」
ドクドクと出血し続ける傷口を気にも止めず、シエルはアロイスを徐々に追い詰めていく。
「あぁ、それでこそ私の坊ちゃん…」
聞き慣れた甘美な声が室内に響くと、シエルとアロイスの間に黒衣の影が音も立てずに現れた。
「セバスチャン?まさか…だってお前は」
「えぇ、ですが気が変わりました。というかただの気まぐれの類だと思ってください」
苦虫を潰したような表情を浮かべたアロイスの様子やセバスチャンの放った言葉から察するに、シエル抜きでなにやら密約が結ばれていたことは確かなようである。
「クロードはどこ!!」
「あぁ、ご心配なく。彼ももうすぐこちらに現れるでしょう」
「あとで話しを聞かせてもらう。覚えておけセバスチャン」
「イエス、マイロード」
相変わらず他者をあざけ笑うような表情のまま、セバスチャンはシエルを一瞥しお決まりの返答を返した。
「クロード!クロード何してる!!」
いくらアロイスでもセバスチャンに一人で適うわけがない。
下手をすれば瞬殺される可能性すらある状況に、アロイスは声を張り上げてクロードの名を呼んだ。
「そんなに焦らずとも、主人が深手を負わされ…いえ、死に損なった今の状況でアロイス様に危害は加えません。我々はこれで失礼致します。また後日ゆっくりと…」
シエルが命を下す前に話しをとりまとめてしまうと、セバスチャンはシエルを抱え窓から飛び出しトランシー邸をあとにした。
「くそっ…途中まではうまくいってたのに、あのクソ悪魔なんでしゃしゃり出て来やがった!」
「お呼びになりましたか、旦那様」
窓から消え去った悪魔に罵声を浴びせているアロイスの耳に、己の契約者である悪魔の声が聞こえた。
「…どうゆうことか説明しろクロード」
「それは、お呼びになったのにすぐ私が現れなかったということについてでしょうか」
「そうじゃない!お前はセバスチャンと密約していた!それをお前は俺に話した!!そうすることであいつらに先手を打った。セバスチャンともそう取り決めていたんじゃないのか!!」
まだ怒りがおさまらない様子のアロイスの様子にやや大きめなため息をつきながら、クロードは続けた。
「シエル・ファントムハイヴを拉致し我が屋敷にて拘束。それも計画のうちとして処理される筈でしたが…旦那様とシエル・ファントムハイヴのやりとりを伺っているうちにセバスチャンミカエリスの口元が緩み、気がつけばお二人の部屋に…」
「それをお前はただ見てたのか?」
「セバスチャンの思惑がはっきり読み取れなかったため、行動を観察しておりました」
悪魔は気まぐれを起こす存在だと付け足され、アロイスは花瓶を叩き落とした。
「俺たちが先手を取った、それでセバスチャンに苦痛を与えられるはずじゃなかったのか!」
シエルの魂をセバスチャンの手に入れる事をギリギリで妨げ、永遠に手中に入る事を不可能にする。
それがセバスチャンにとっての一番の苦痛になるはずだとアロイスは考え、クロードもそれに同意した。
今回の計画も、本来ならばセバスチャンの目前でアロイスに渡しておいた指輪に再びシエルの魂を封印し屋敷の蜘蛛の餌にする運びだったのだ。
室内での会話はセバスチャンに聞こえぬよう結界まで張っておいた。計画がバレるはずがなかった。
だというのに何故このような事態が起きてしまったのか。
「旦那様がシエルファントムハイヴの相手をしている最中、私はセバスチャンミカエリスと屋敷の外で剣を…いえ、食器を交えておりました。仮にも主人を連れ去られたのですから、当然の行動でしょう。その時、放ったナイフが結界に当たりわずかに歪みが出来てしまいました。その時丁度、シエルファントムハイヴの声が漏れてしまったのです」
「なに…?」
セバスチャンが耳にしたのは恐らく後半の部分だろう。何者にも屈しない姿勢がセバスチャンを動かしたのだろう。
「クソっ…」
わずかなミスでも命取りであることは解っていたつもりだった。
少なくともシエルを生きたままセバスチャンに渡してはいけなかった。シエルの口から密約が漏れてしまえばすべてが無になる。
「それで、お前がここに来るのが遅れた理由を教えろ…主人の命に逆らった理由を」
「旦那様に囮にまでなっていただいて時間を稼いでいただいたのですから、効かぬという結果があれば私、さらに誠心誠意旦那様にお仕え致しましょう。あぁ、それから遅れた理由はもう一つ…」
「なんだ。まだなにか?」
クロードが、だいぶ怒りが収まり始めたアロイスの前に運んだ台車にかけた布を引き上げるとそこには綺麗なマドレーヌが並んでいた。
「お茶の時間が間近でしたので急いで焼き上げて参りました」
「お前っ…もういい。サッサと支度しなよ」
「御意」
空気を読めているのかいないのか解らないクロードの行動に、アロイスは思わずため気をついた。
「坊ちゃん、到着致しましたよ。すぐ手のひらの手当てと解毒、それからお身体を綺麗にしお召し替えを。その後お茶と致しましょう」
「あぁ…」
普段と全く変わらず執事としての仕事をこなしていくセバスチャンを後目に、シエルは何故トランシー家に自身がおり助け出されたのかがまったく解らなかった。
ケガをしたのは自ら傷つけたからだという認識はある。しかしそれすら理由まではどうしても思い出せない。
ついさっきの事だというのに不自然過ぎるが、セバスチャンすら問いただしてこないため重要視するほどではないのかとも思った。
一通りの事を済ませ、カップに注がれた紅茶を口に流し込んでようやく落ち着いた。
「毎回毎回易々と誘拐されて…お助けする此方の身にもなって頂きたいものですね。あなたは大事な」
「餌だから…だろう」
自分の言葉が終わる前にシエルから告げられた単語に、セバスチャンは思わず唇の端を吊り上げた。
「えぇ。丹念に仕込み熟成させてきた獲物の品質を落としたり、ましてや横取りされるなど…私の晩餐である自覚がおありならば、もう少し気を付けて頂きたいですね。まぁ、器であるお身体が多少汚される程度でしたらかまいませんが」
暴行され、多少の傷が器に付くぐらいで中身に影響が出るような仕込みはしていないのだから…と、セバスチャンはシエルの身体を見下ろした。
「悪魔や死神にだけはお気をつけください。人間程度のお相手ならあなたは慣れておられるでしょう?」
私と会う前に散々相手をしたのだから、と告げたセバスチャンに、シエルは不適な笑みを浮かべた。悪夢の1ヶ月の間に、自分は確かに汚された。その痣は今だに背中に刻まれている。今さらこの身体が苛まれたところで誰も傷付かない。無論自分自身でさえも。
「今晩はごゆっくりお休みください…」
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