fiction.

□intention
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いたい…イタい…痛い…居たい。
薄暗い部屋、豆電球の明かりすらチカチカと点滅する中に男のくぐもった声と水分を含んだ音が響いている。
男の腰に鈍痛が走れば、シエルの口には男の粘ついた精液が放たれた。
なんの躊躇もなく飲み込むシエルを、男は脱力しながら見つめていた。
「やることはやった。帰るぞ…」
テーブルに置かれた僅かな札束と紙切れを手にし、シエルは部屋をあとにした。外に出れば、先ほどまで雷が鳴っていた空から大粒の雨が降り注いでいた。
時間的にも人通りが少なくなっているため天気によりそれは更に皆無になっている。
そんな中に迎えに来てくれるような人影があるはずもなく、シエルは静かに岐路へとついた。
「おや、帰宅されたようですね」
「ん…誰が…?あんっ」
静かに開閉したドアの音に、セバスチャンはシスターである女を愛撫する手を止めた。
ポタポタと髪や服から滴り落ちる水滴の音や足音がドアの前を通過し、隣の部屋に入る音がすれば、再び女への愛撫を始めた。
「同居人が帰宅しただけです」
「んっ…なら聞かれちゃうんじゃ…」
「おや、恥ずかしいですか?聖職者であり汚れないあなたが私によって天使のような声を放つ…確かに刺激的ですね」
クスクスと耳元で笑われれば、女は教会のシスターであることを更に自覚されられながら体の熱が上がった。
薄い壁から漏れてくる女の甘ったるい声と、純白で汚れがない者を好むと強調するセバスチャンの声が漏れてくる部屋で、シエルは濡れた服を脱ぎ捨てベッドに潜り込んだ。
ようやく隣からの声も聞こえなくなり、雨水で冷えた身体が布団によりいくらか温まった頃、玄関が開閉する音が聞こえ、数秒後にドアをノックされた。
「失礼致します。お待たせ致しました坊ちゃん。湯浴みの準備が整いました。雨水に濡れたままではお風邪を引いてしまいます」
雨水で匂う髪も気になり始めていたシエルは、眠りかけた身体と頭を無理やり起こしドアを開けた。
「おやおや、濡れた服をこんな風に…しかも裸でお休みになられていたのですか?さぁ早く浴室へ」
床に落ちていたシエルの服を持ち上げ、セバスチャンはシエルの背を軽く押し浴室へと促した。
適温になった湯船にゆっくり浸かれば、体が徐々に温まっていく。ついでにあの男が残した感触さえも消えていくような気がする。
「本日もお疲れ様でした」
そういって丁寧にシエルの髪を洗うセバスチャンからは、先程の女の移り香がした。
毎回異なる香りから、毎回違う女を抱いていることは明白であった。
しかし、それをシエルがどうこう口を挟める立場ではなかった。
『契約の間、私にも食事をさせていただきます。あなたの魂をいただけるまで、聖職者である純潔の女性の生気を取り込む事をお許しください』
その申し出を受け入れたのはシエル自身である。
まさかそのやり方が性交渉とは思っていなかったため多少驚きはしたものの、それも最初のうちだけだった。
「本日の成果も上々だったようでようございました。あぁそれからお迎えに行かれず申し訳ありませんでした。ちょうど食事の最中だったもので」
「別に。お前に外で待たれるよりいい」
わざとシエルが事を終える時間を見計らって情事に没頭していたことなどわかりきっていた。
しかし一々それに反応を返していればセバスチャンの思惑通りになってしまう。
そう、セバスチャンは楽しんでいるのだ。自分の行動や言動に一喜一憂するシエルの反応を。
傷付けば滑稽で、求められれば幻滅する。
無反応のようでいて徐々に自分を意識せずにはいられず、孤独と絶望に麻痺した自分好みの魂へと調教する。それが目的なのである。
それに気付いているのかいないのか、シエルはいつしかセバスチャンの思惑通りの行動をとっていた。
他者と関係を持つことを赦したのもシエル自身であるため、その行動に対し咎める権利はない。
ただ一つ。両親を惨殺し、貴族階級であった自分を陥れた首謀者を見つけ出し同じような苦しみを味合わせる。
セバスチャンはその目的遂行のための駒ではあるが、最後のその時を迎えるのは自分の手でありたい。
そして、そこに辿りつくのも自分が持ち得るすべてを使ってでも自身でありたい。
でなければこの復讐に意味はなくなってしまうからだ。
だからシエルはセバスチャンを無闇に使うことはしない。
身体だろうが魂だろうが、使えるものはなんだって使う。
自ら汚れ、堕ちる方向へと向かいながらも、決して気高き魂はその輝きを失うことはない。
それどころか、一歩ずつ暗闇へ歩を進める程、闇が濃くなればなるほどに光は強まって行く。
最高の食材は既に手中に納めたあとは、充分な下拵えとその調理のみ。
セバスチャンは時間をかけ、手に入れた新鮮な魚を水槽に入れ、その時が来るその日まで観賞用として楽しむ。
セバスチャンにとってシエルとの時間はその程度のものでしかない。
「新たな情報は役に立ちそうですか?」
「まぁな…明日は子爵の社交界に忍び込む。手配しておけ」
「御意」
翌日、セバスチャンは子爵が開く夜会へ侵入する手筈を整え、女装を施したシエルをエスコートした。
「ではお嬢様、お時間になったらまたお会い致しましょう。何かお困りになられましたらいつでもお呼びください。できるだけすぐ駆けつけますので」
「ふん…食事も程ほどにしておけ」
「御意」
深々と頭を下げたセバスチャンを一睨みし、シエルはターゲットの元へと向かったが、途中で立ち止まりセバスチャンの様子を伺った。
するとその容姿に惚れた淑女に既に八方を囲まれている。
「…助ける気などないんだろう、悪魔…」
シエルは小さくそう呟き、ターゲットの元へと再び歩を進めていった。そんなシエルの様子を見つめ笑みを深めるセバスチャンに気づかぬまま…。
「おや、こんなところでお一人かなお嬢さん」
「えぇ。少し人混みに飽きてしまって…」
ターゲットに目を付けられるような位置に1人で立ち尽くしていると、シエルの思惑通りに声をかけてきた。
化粧もドレスもすべてターゲットの好みに合わせセバスチャンが揃えて施した最高の餌が役に立ったのだ。
「それはそれは、ならば私と一緒にテラスにでも出てみようか。少しは気分が良くなるかもしれない」
ターゲットの男性に誘いを受ければ、シエルは屋敷の奥へと向かっていく彼へとついていった。テラスに出るという目的であるはずなのに、会場からも外からも遠ざかっていく。
「少し待っていてもらえるかな。軽く顔を洗いたいのだよ」
「解りました」
なにやら甘い香りが漂うお香に灯を灯せば、浴室へと姿を消した男性を見送りシエルは持参した布で鼻と口を覆った。
シエルが待つように指示された部屋から半開きのドアのもう一つの部屋を見れば、重厚なベッドが薄明かりに見えた。
お香の香りに倒れた自分をベッドに連れ込んだ丸腰になった男性に実弾を撃ち込み尋問する。
いつもと同じ手筈で事を進め、頃合いを見計らって迎えに来たセバスチャンとともに屋敷をあとにする。
シエルの中でのシミュレーションも終わり、あとは男性が再び部屋に入って来るのを待つだけ…と思っていたが、予想に反した物音が男性が消えた浴室から響いてきた。
「ぐぁっ」
風を切るような音と、何かを貫いたような音とターゲットの悲鳴、そして崩れ落ちた音。
「なんだ…」
口を布で覆ったままシエルは慎重に浴室へと続くドアを開けた。そこにはボーガンの矢に腹部を貫かれた男性が床に崩れ落ち倒れていた。
「これは…毒でも塗ってあったなら即死だな」
「っ!?」
男性の脈拍を測るため手を伸ばすと、何処からともなく剪定バサミが伸びてきた。
「失礼。魂回収前の器に触れてもらっては困る」
声が聞こえた方を見れば、そこには眼鏡をかけたスーツ姿の男が月光に照らされていた。
「お前は…」
「自己紹介は仕事の後で…」
シエルを一瞥し、男は横たわった人間に向かい分厚い手帳を広げながら先程の剪定バサミをかざし、何かを品定めでもするようにじっと見つめていた。
そして、片手で眼鏡を上げ直すと剪定バサミで空中をチョキンと音を立てた。
「何を…」
「申し遅れました。私死神派遣情報協会のウィリアム・スピアーズと申します」
剪定バサミで差し出された名刺を受け取り、シエルは眉をひそめた。
「死神…なんの冗談だ」
「こんな良い年の男がこのような剪定バサミを片手にそんな名刺を渡しているのです。冗談にしては自分の価値を下げるだけでメリットがない行動をわざわざ女装した男児にしますか」
「っ…」
淡々とした説明と、自分が女装をした男だと見抜いたウィリアムにシエルは死神という目の前の男の言葉に鋭さを感じた。
「なぜ死神がここにいる」
「この男は今日毒殺される予定でしたので、魂の回収及び審査に来たのです」
「魂の回収及び審査…」
もしシエル自身が悪魔と契約していなければ到底信じられる話ではなかったが、セバスチャンとの取り引きとして魂を差し出している以上目の前にいるウィリアムという男の話を疑う余地はなかった。
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