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□なかったはずのあるもの
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わたしが通っている立海大附属中学にはとても大きなテニスコートがある。
テニス部がとても強いから当たり前なんだけれども、問題はそこじゃない。
では何が問題なのかと言うと、この学校では校舎に辿り着くまでにテニスコートの前を通らなければならなかった。
一般の生徒、つまりわたし以外なら何の問題もなくそこを通ることができるだろう。
だが、わたしの場合は。
「あっ!なまえーーーっ!」
「げっ、丸井っ…!」
目立つ赤髪がこちらを振り返った瞬間、わたしは全速力でダッシュする。
しかし、図書委員にしか所属していないわたしに全国区のテニス部レギュラーが追いつけないはずもなく。
「捕まえたー!お前、なんで逃げるんだよぃ!」
「あんたが追いかけてくるからでしょ!だいたいが、あんなに女の子に群がられてたくせに何でわたしが通っただけで気づくのよ!」
「愛の…力?」
「疑問系で返されてもわかるわけないでしょ!」
バシッと持っていた本で頭を叩いて丸井に背を向け、わたしは教室に入り自分の席に座った。
「おーおー、今日も随分荒れとるのぅ」
「またそうやって他人事みたいに…雅治も何とかしてよ、あれ」
視線を向けると三つほど隣の列の些か前方で丸井がこちらを凝視しているのに気づく。
「さあな。ただ、チャラいブンちゃんがあんな異常に興味示しとるんじゃからお前さんは特別なんじゃろ」
「丸井だってあんたにだけはチャラいとか言われたくないと思いますけどね」
にやっと笑った目の前の男は仁王雅治。
何だかんだで幼い頃から一緒にいる幼馴染みってやつだ。
「あー…何で丸井はわたしなんかに付き纏うんだろ…」
「教えてほしいかっ!?」
「うわあっ!?」
気配もなく丸井が突然、わたしと雅治の間に現れたもんだから椅子ごと後ろに引っくり返るところだった。
「まったくもう…驚かせないで」
「わりい…でも俺がなまえに付き纏う理由はな!」
正面で雅治がにやにやしているのが非常に気にくわないが、わたしはなんとか無視して丸井に続きを言うように促した。
「それはなまえのことが大好きだからだ!」
盛大などや顔の丸井に、開いた口が塞がらない。
いや、なんとなくそんなようなことだとは思ってましたとも。
ただ、こんな教室でそんな冗談は堂々と大声で言うものじゃないでしょ。
「ぷっ…はははっ!」
雅治は何故か大爆笑。
うん、死ね。
クラスメイトも完全に野次馬顔でこちらを見ている。
「ちょ、丸井…冗談もほどほどにー…」
ここは一先ずこの場を切り抜けることが先決だと思ったわたしは丸井の腕を掴んで力の限り引っ張った。
連れてきたのは図書室。
もうすぐ授業が始まるこの時間に人気はまずない。
「なまえって意外と力強いんだな!」
「うるさい!」
丸井は口をふくらませる。
幼稚園児か。
まあそれはともかく。
「なんであんな大声であんな冗談いうの」
「は?お前、冗談だと思ってるわけ?」
あれ?怒ってる…?
声のトーンがいつもより低い気がする。
なんて呑気に考えている間にわたしは壁に追いやられていた。
「ねえ、俺のことなめてんの?」
「いや…べつになめてるわけじゃ、」
丸井の腕が目の端にうつる。
「ねえ、毎日毎日俺もう疲れてきたんだけど。お前、鈍すぎて」
「な、なにいって…」
瞬間、目の前の景色が全て消えて唇には優しい感触。
次に見えたのは丸井の顔。
だけどそれはいつもの明るい笑顔じゃなくて、雅治みたいに意味を含んだ怪しい笑い。
「俺、本気だから。もうわかってると思うけど全力で振り向かせてやる」
ああ、とんでもないやつに好かれてしまった。
そう思ったと同時にわたしはどうしようもない胸の鼓動に気づいてしまった。
end
2013.3.5
ひなた様リクエストでした。
……甘くならない。すいません。