小説

□奏
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そして、確実に彼を意識するようになったのは昨日のあるテレビ番組だった。

それには、世界的に有名な女ピアニストが出ていた。
名前は宮内 あかり。
年は40代前半かな。どうにも好きになれない人だった。
優しそうな顔立ちなのに、その裏にはどす黒いものが隠れているような気がする。
と言ってもテレビで見るだけだし…実際は優しい人なのかもしれない。
ただ、彼女の綺麗な弧を描いた真っ赤な口から発される声は、中性的で魅力的だった。
そして、彼女が奏でる音は尊敬していた。

しばらくすると彼女はピアノを弾き始めた。
あぁ、私の好きな曲だ。

画面が、彼女の手のアップになる。
白く細く長い指は華奢で、どうしてこんなに力強い音が出るのか不思議だった。
…あれ?

私はソファーから起き上がった。

宮内くんの手に似てる。
肌の色を抜けば、そっくりとも言える。
思わず目を擦った。

「…嘘でしょ」

信じられない。まさか親子?
いや、親子だからって手が似るとは限らない。でも親子じゃ無いのなら、そっくりすぎる。
名字も一緒だし…でも『宮内』って人は多いか?
よくよく見れば、顔も似てる気がしてきた。あぁ、もう分からない。
バクバクと心臓が大きな音を立ててるのが分かった。
何を慌ててるんだろう。
彼とこの人が親子だからって私には関係ない。そうだ、関係ないんだ。

すでに弾き終わっていた彼女は、キャスターに質問されていた。

『息子さんはピアノをお弾きにはならないのですか?』
『あぁ…あの子は、ピアノに飽きてしまって。それに、もう高校生ですもの』

高校生。高校生?そう言った。
その息子は宮内くんだろうか。もし宮内くんだったら、彼はピアノが弾けることになるじゃないか。
でも、もう飽きたって──。
なんだ、良かった。ホッとした。

彼がピアノを弾けたなら、私のクラスでの立ち位置は危うくなるじゃないか。
合唱コンクールでの伴奏役。ピアノしか無い私にとっての唯一の出番。
これが無かったら、私はただの地味女になってしまうんだから。

大丈夫だ。安心して大丈夫だ。
彼はもう飽きてる。もう弾くことは無いんだ。

チラリと壁にかかっている時計を見ると、すでに5:30になっていた。
ヤバイ。6時からピアノだった。

私は急いで家を飛び出した。
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