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□家で頻繁に聞く言葉
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オレがよく聞く言葉がいくつかある。
それは父さんと母さんの名前だったり、大好きとか愛してるとかそういう感じの甘ったるい言葉。
言わずもがなそれらはすべて父さんと母さんの二人が互いに言い合うものだ。
産まれた時から毎日のように聞いてる言葉だし、別にそういう言葉に対して何かを感じることはなかった。
母さんも父さんも、その言葉は本気で使ってると思う。
ただよく使っているから、言葉ならではの価値がさがるんじゃないかとか手塚先生が言ってた気がするけど…。
たぶん、父さんと母さんには関係ないはず。
だって二人ともお互いのこと本気で想ってるしね。
息子であるオレがいてもお構いなしにイチャついてるから、今のところオレは父さんと母さん以上にお似合いの夫婦やカップルはこの世に存在しないと思ってる。
「なぁ、越前よ」
「何スか」
部活中。
比較的仲の良い(と思われる)先輩が話しかけてきた。
ちょうど先生はその場にいなくて、部長と副部長もいないから少しだけなら話していても問題はない。
「お前…アレ、どう思うよ」
「アレ?」
先輩が指さす方に顔を向ければ、その先には同じテニス部員である男子と、見たこともない女子生徒が互いに抱き合っている光景があった。
それがいったいなんだというのだ。
「どう思うよ。彼女のいない俺らに対するあてつけか!?」
どうやら先輩はその事自体が気に入らないらしい。
この人、前オレん家来て父さんにテニス教えてもらいたいとか言ってたけどたぶん無理だと思う。
だって父さんと母さんは、あの二人の比じゃないくらいに仲良いから。
ハグじゃなくてキスとかもう当たり前の世界だよ。
「別に…いいんじゃないスか?」
「お前は悔しくないのかっ」
あの程度でいちいち悔しいとか思ってたらオレもうどうすればいいの。
ってか好きなら好きでいいじゃん別に。
周りがとやかく言うことじゃないでしょ。
「好きなら一緒にいたいと思うのが普通でしょ?ハグもキスも、当たり前なんじゃないの」
少なくとも、父さんと母さんの中では当たり前の世界。
だからオレにとっても当たり前だ。
互いに好きなら一緒にいたいだろうし、ハグだってキスだってしたいはず。
「…お前、彼女いんの?」
「父さんと母さんの話なんで」
「えっ」
テレビや雑誌でよく取り上げられてる父さんが、母さん命な嫁バカだって知ってる人はどれだけいるんだろう。
結婚して子供がいるのは広く知られてるらしい。
けど父さんと母さんの普段の様子とか見たら、もうみんな腰抜かすくらい驚くんじゃないだろうかとか思ったり。
「さっきの、全部父さんの受け売りなんで。オレは彼女以前に好きな人もいませんよ、先輩と同じで」
「う、うっせ!これから作るんだよっ」
好きな人はつくるって表現するのはおかしいと思うけど…まあいいか。
たぶん父さんと母さんの前で言ったら怒りそうだけどね。
二人とも自分たちが出会えたこと自体に感謝してるって常々言ってるから。
好きな人はつくるんじゃなくって、いつの間にか出来てるものなんだっていうのが母さんの持論。
気がついたら好きになってるって言うのが普通らしい。
「集合っ」
手塚先生が戻ってきたらしい。
部長の声が聞こえて顔を挙げれば、いつものように手塚先生が腕を組んでそこにいた。
部長の言葉に反応し、部員たちも慌てて部長と先生の方へ走って行く。
一瞬だけさっきのカップルに目を向ければ、彼氏の方が名残惜しそうにしながら離れているのが見えた。
「ただいま」
「あ、おかえりなさいリョータっ」
「おかえり」
部活も終わって帰宅。
玄関の扉を開けたとたんに飛び込んできたのは、玄関先で抱きついている父さんと母さんだった。
互いにぎゅうぎゅうと抱きしめ合っている二人。
父さんは今朝出かけるときに見た服装のままだから、たぶんついさっき帰ってきたばかりなのだろう。
「何やってんの?」
「充電」
オレの問いに答えたのは父さんで、躊躇うことも恥じらうこともなく堂々と言い放つ。
電子機器じゃないんだから充電って言い方もおかしいんだろうけど、何かもういいや。
「リョータ、ちょっとお父さんに何か言ってよ…!」
母さんはほんのりと頬を染めながら、それでもしっかりと父さんの背中に腕を回していう。
いや、母さんが少しでも止めようとする素振りを見せるなら手伝うけど…そんな気配ないし。
まあ母さんが止めようとしたら、敏感に察知した父さんのほうから離れるんだろうけど。
「…ガンバッテ」
「え、リョータ?」
まあ父さんも疲れてるだろうし、母さんとハグするのはいつものことだから。
オレはいったん床に置いていた荷物を持ち上げ、父さんと母さんの横をすり抜けて階段に足をかける。
そのまま振り返れば、やっぱり父さんと母さんは離れようとしないまま抱き合っていた。
…うん、やっぱりお似合い。
部活中に見たカップルよりも、父さんと母さんの方がよっぽど恋人らしく見える(正確には夫婦なんだけど)。
一応視線を向けても、二人は既に互いのことを見つめあっていて。
「…リョーマ大好きっ」
「俺も、由梨のこと好きだよ」
なんて言いながら、二人の顔が近づいて行く。
そしてあ、ヤバいなんて顔をそらす直前で二人の唇が重なった。
家で頻繁に聞く言葉。
それは父さんと母さんの名前だったり、大好きだなんて言葉だったり。
それから──
「リョータっ」
オレの名前、だったりする。
fin.