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□相談を受けました
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「ねぇ、リョータ…ちょっと聞いてくれる?」

深刻そうな顔をして、母さんがそんなことを切り出した。
父さんはここ数日朝早くから夜遅くまで仕事がつまっているらしく、オレが起きる数時間前に家を出ているらしい。
母さんに起こされて、朝食を食べ終わったあとのことだった。
今日は久し振りに部活のない日で、特にどこかに出かける予定もないため暇はあった。
母さんから相談されることもないし、物珍しさもあってオレは二つ返事で引き受ける。
どこか安心したように小さく息を吐いた母さんが、オレの隣に腰をおろした。

「…実は、リョーマのことなんだけど」

「父さんの?」

「そうなの。最近、仕事がつまってるでしょ?だから、ストレスがたまってるみたいで…」

父さんは大概母さんのことが好きだ。
だから母さんとの時間を大事にするし、仕事があるときだっていつもギリギリになるまで母さんの傍を離れようとしない。
仕事が早く終われば寄り道することなくまっすぐ帰ってくるし、先輩たちから聞く「普通の父親」像からはある意味かけ離れてると思う。
仕事熱心と言えば熱心だけど、仕事と家族のどちらを優先するかと問われれば家族と即答するであろう人。

だけど最近は、何の仕事か知らないが父さんが参加しなければならない企画があるらしく、そのせいで家にいないことの方が多くなっているのだ。
オレが寝ている朝早く外出して、オレが眠りについてから夜遅くに帰宅する生活が続いている父さん。
母さんと過ごす時間も必然的に少なくなっているし、思い返せばオレはここ最近父さんの顔を見ていない気がする。
母さんは朝だけは父さんの朝食を作るために顔を合わせているらしいけど、夜は父さんの希望からか父さんの帰宅前に眠りについているそうだ。
つまり、母さんも父さんの顔をあまり見ていない。

いまだにバカップル道を爆走している父さんと母さんにとっては、それは堪えられないことなのだ。

「でも、父さんの仕事まだ終わらないんでしょ?」

「そうなの。…少なくとも、あと一週間はかかるって」

ここしばらく続いている、オレと母さん二人だけの夕食。
父さんがいないだけで寂しい気がして、どこか暗い雰囲気が漂うような気がする。
オレたちでこんなのなんだから、一人で夕飯をすませる父さんはもっと寂しい思いをしているはずだ。

「一週間…か」

一週間、たった7日のこと。
けれど父さんのいない7日間というのは、今までの7日間よりも長いような気がする。
母さんはしゅんと肩を落として、僅かに眉を寄せている。

「母さん…」

「わかってるのよ?リョーマが、私たちのために頑張ってるってことは。…でも、やっぱり寂しいじゃない。リョータだってそうでしょう?」

「…まあ、否定はしないけど」

オレだって父さんのことは好きだから、父さんがいないのはあまり好ましい環境ではない。
母さんがいて、父さんがいて、ランがいて、オレがいる。
それがオレの望む「越前家」の日常なのだから。

「でも、父さんだって同じ気持ちでしょ?」

「うん…そうだと思う」

そうだと思う、っていうか確実だと思う。
母さんが友達の杏さんと遊びに行くときだって、たった数時間離れるだけであまりいい顔をしない父さんのことだから。
…もしかして母さんは、父さんがどれだけ母さんのことを想ってるか知らないというのだろうか?
いや、それはないか。
だって母さんも父さんが母さんを想うのと同じくらい、父さんのことを想ってるんだから。

「それじゃ、父さんと母さんでどっか遊びに行ったら?どうせこの仕事が終わったら父さんしばらく自由になるだろうし」

そう、忙しいのはどうせ今だけ。
父さんも母さんと二人で時間を過ごしたいだろうし、オレはまたじいちゃんたちの家に泊まればいいんだから。

オレの提案に、母さんはどこか困ったように頬をに手を添えた。

「……ううん。二人じゃなくって、三人で遊びに行きたいな。リョーマだって、リョータと一緒に過ごしたいはずだもん」

「え」

「そうだ、それがいいわ!」

自分の提案がそれほどよかったのか、母さんは嬉しそうに頬を緩めて両手の平を合わせた。
まあ、確かに三人でどこかに行くことはあんまりないけど。
でもそれなら父さんは家で過ごす方がいいんじゃないだろうか、とか思ったり。

「リョーマ、いつ帰ってくるかしら。いっそのことサプライズでもいいかな?」

楽しそうに話を始める母さん。
どうやら三人でどこかに行くのはほぼ確定らしい。

「せっかく遊びに行くんなら、温泉とかもいいかな。どう思う?リョータ」

「…まあ、いいんじゃない?父さん、温泉とか好きだろうし」

家には父さんが集めている入浴剤が大量にある。
全国の名湯のものらしく、父さんが学生時代から集めているらしい。
で、母さんも入浴剤にハマったらしく、オレが物ごころつく前から入浴剤はごく当たり前のように使用していた。

慰安目的でいくんなら、温泉っていうのはぴったりかもしれない。

「ってか、母さんが行きたいって言ったら父さん絶対行くと思うよ」

父さんは母さんのお願いとか聞くの好きだから。
別に母さんが口にしなくても、何となく欲しいものがわかるからってよくいろいろお土産買ってくるし。
オレもいろいろ買ってもらってるけど、やっぱり母さん宛の土産が一番多いと思う。

「それは分かってるけど、今回はリョーマのために行きたいの!…さりげなくどこ行きたいか聞いてみようかな」

「…頑張って。オレ、たぶん顔合わせないから」

「あら、でもリョーマはリョータのこと毎日見てるのよ?」

母さんはクスリと笑みを浮かべてそんなことを言い出す。
どういうことかと眉を寄せれば、母さんが笑みを湛えたまま説明する。
なんでも、父さんは毎日朝出発する前と帰宅してからの二回、オレの顔を覗いているらしい。
寝てるから当然なんだけど、全然知らなかった。

「あの人も、随分子煩悩になったから」

昔のリョーマからは想像もつかないわ、と続ける母さん。
…わかってたことではあるけど、父さんが母さんを愛してるように、オレも大事にされているらしい。
嬉しいけど、どこか恥ずかしい。
それを誤魔化すために、キッチンに飲み物を取りに立った。

だからオレは知らない。
母さんが微笑ましそうに目を細めて、オレの背中を見ていたことを。
そしてその後、オレがまだ小さい時に家族三人で撮った写真を愛おしげに見つめていたことを。



fin.
 

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