Book

□「一生やってろ!」
1ページ/1ページ






中学生になって、数ヶ月が経過した。
オレは男子テニス部に所属していて、これでもレギュラーだ。
テニスは父さんの影響でオレの記憶にもないくらい小さい時からしているから、父さんと母さんの母校である青春学園で迷わず入部したのだ。
父さんは元プロテニスプレイヤーで、引退した今でも時々テレビや雑誌にもとりあげられるくらい有名人だ。
学校では一応隠してるけど、先輩と顧問の先生は知ってるらしい。
というか顧問である手塚先生は、父さんの学生時代の先輩だ。
手塚先生もプロを目指していたらしいけど、諸事情で教師に転向したらしい。
母さんとも知り合いらしく、オレの試合を観に来た時に母さんが親しげに会話をしていたのはよく覚えている。

手塚先生は、強い。
母さんに聞いた話だと、学生時代は父さんよりも強かったというのだから驚きだ。
オレの知ってる父さんは、世界ランキング上位に食い込んでるプロと戦っても負けることのない、強い人だから。
というかあと一勝すれば世界ランキング1位確実って時に引退したらしい。
それは父さんだけじゃなくてじいちゃんも同じことをしているらしく、父さんは普段のじいちゃんを毛嫌いしてるけど、そういうところは親子だと思う。
父さんも、じいちゃんのテニスを目標にしてらしいから。
ずっとじいちゃんの背中だけを追い続けていた父さんにストップをかけたのが手塚先生なんだと母さんは嬉しそうに笑いながら言っていた。
正直母さんが言う父さんの負け試合というのは想像もできないけど、中学生の時はじいちゃんに毎日負けてたみたいだから…今のオレみたいな感じだと思う。
毎日毎日父さんと試合して、毎日毎日ボロボロに負けさせられる。
それで、「まだまだだね、リョータ」なんて笑うんだ。



「リョータ、今日は午後から練習でしょ!?いい加減に起きて朝ご飯食べなさいっ」

オレの一日は、母さんに叩き起こされるところから始まる。
朝に弱く目覚まし時計では起きられないところは父さんからしっかり受け継いでしまった。
今も父さんは朝に弱く、毎日母さんに起こされているようだ。

布団を引っぺがされて渋々起きれば、時間は午前八時過ぎ。
午後の部活では十二時に家を出れば十分間に合うし、正直こんな時間に起きても意味はないと思う。
…母さんに文句を言うと、父さんが怒るから言わないけど。

父さんは、大概母さんのことが大好きだ。
手塚先生曰く昔からバカみたいに仲が良かったらしいけど、結婚して十数年経過してる今でもその仲の良さは健在らしい。
というか昔より拍車をかけているらしい。
恋人から夫婦という関係にグレードアップしたからじゃないかと先生が言っていたからたぶんそうなのだろう。
なんにせよ父さんと母さんの考えはいまいちよくわからない。

着替えるのはあとにするとして、オレはパジャマのまま部屋を出る。
扉を開ければ、やっと起きたのかといわんばかりに少し呆れた顔をしている愛猫のランがいた。
ヒマラヤンという種類のランは、父さんが昔飼っていたカルピンという猫の娘にあたるらしい。
名前をつけたのは母さんで、ヒマラヤンの"ラ"と"ン"からとったのだとか。
ほあら〜と独特の鳴き声をするランは、そういうところもオレの見たことがないカルピンとそっくりだと母さんは笑っていた。
二階にある部屋から、リビングのある一階に降りる。
ランは後ろからトテトテと小さく足音を立ててついてきて、扉を開ければオレより先にリビングに入っていった。

「おはよう、リョータ」

「…はよ」

一度オレの部屋に来てオレを叩き起こしていった母さんは既にリビングに戻ってきていて、いつものオレの席の前に朝食を並べていた。
父さんと母さんは既に食べ終わっているはずだが、朝食はすべて湯気が立っていて、わざわざ母さんが温めなおしてくれたんだとわかる。

「今日もいつもと同じ時間に終わるの?」

「だと思うよ」

顔と手を洗ってから椅子に座れば、新聞を読んでいた父さんが話しかけてくる。
問いながらガサッと音を立てて新聞紙を閉じるあたり、気になる記事はなかったようだ。
別に父さんは熱心に新聞を読む人じゃないし、時々興味のある内容を適当に読むくらいだと思う。
そもそも新聞なんて何が面白いのかオレにはわからない。

「はい、どーぞ。冷めないうちに食べてね」

「ん…。いただきます」

こと、と目の前に味噌汁の入ったお椀が置かれた。
昼食と夕食は何になるのかわからないけれど、朝食は基本的に和食だと決まっている。
何でも父さんが和食を好きだかららしく、ご飯と味噌汁に焼き魚というのは基本変わらない。
それでも毎日は飽きないようにと味噌汁も白味噌、赤味噌、合わせ味噌としょっちゅう変えてくれる母さんの料理は本当に美味しい。
父さんも母さんにがっつり胃袋を掴まれているからか、どこかに外食しようといいだすのは母さんの誕生日くらいだ。
誕生日は家事をさせたくないらしく、その日は父さんが掃除や洗濯をしてオレが手伝って、夕食は家族全員で外食というのが毎年恒例になっている。

「…そういえばリョータ」

「んー?」

「もうすぐ、校内ランキング戦でしょ?調子は大丈夫?」

オレが朝食を食べ始めたのを確認して、母さんが父さんの隣の席に座った。
一人息子であるオレの隣には誰も座らず、父さんと母さんが隣同士というのもすっかり見慣れた光景だ。
母さんは本当はもう一、二人息子か娘(オレの弟か妹)が欲しいらしいけど、父さんはそれを良しとしなかったそうだ。
母さんがいないときに理由を聞けば、なんでもオレの時に難産だったらしく、あんなに苦しむ母さんをまた見るのは嫌だからと惚気交じりの返答が返ってきたのはよく覚えている。

「まあ、一応。父さんにも練習付き合ってもらってるし…」

「ならいいんだけど。…あなた、くれぐれもリョータに無理はさせないでよ?」

「わかってるよ。練習で怪我したら元も子もないし」

「……あなたが言うの、ソレ?」

母さんが呆れたように小さく息を吐いた。
それは確かにと内心で同意する。
聞いた話だけど、父さんは中学生のころ随分と無茶な試合をしていたらしい。
大会で瞼を怪我したり、練習の影響で記憶を失ったり。
記憶を失った後遺症(?)で、父さんの兄だというリョーガ兄ちゃんのことも一時忘れていたらしい。
リョーガ兄ちゃんはオレからしたら伯父さんなんだけど、初めてあったときに伯父さんと呼んだらこめかみを思いきり押されたから兄ちゃんと呼ぶようにしている。

「そういや、父さんもやってたんだよね?ランキング戦」

「まあ、あれに勝たないと大会出られなかったしね」

「お父さんはね、仮入部の時からランキング戦に参戦してたのよ!」

オレの問いに嬉しそうに応えたのは、父さんではなく母さんだった。
ほんのりと頬が赤らんでいる母さんはオレから見ても美人だ。
父さんは「由梨…」と珍しく母さんの名前を呼んで、嬉々として語る母さんに小さく感動しているらしい。
この年中バカップルめ。

「…俺が勝てたのは由梨が応援してくれてたからだよ。もし由梨がいなかったら、俺、たぶん勝てなかったし」

「そんなことないわ!あなたはとても強いもの。きっと私の応援なんてなくても、勝つことができたはず」

「由梨……」

「あなた……」

じっと互いを見つめ合う父さんと母さん。
ほんのりと頬を紅潮させ、母さんは父さんの名前を呼びながら抱きついた。
父さんは頬を緩ませながら由梨…と愛おしそうに母さんの名前を呼んで抱きしめ返した。
やっぱり父さんと母さんは互いのことが大好きらしい。
ああ、もう。

「〜〜〜一生やってろ!」

せめて思春期の息子の前でくらい自重してくれ!
そんな意味を込めて叫び声をあげたオレは悪くないはずだ。




fin.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ