short
□反対色に憧れた
3ページ/4ページ
老女のすぐ目の前に座席はあるのだが、そこには私と同年代の男子学生が平然と座っていた。
イヤホンを耳に突っ込んで、なにやら熱心にリズムをとっているらしく体が小刻みに揺れている。
私はわざとらしく「馬鹿ね……目がついてないのかしら」などと小さく呟いてみるが、あの男子学生も恐らく老女の存在には気付いているのだろう。
音楽を聴くことで、外部の気配に気付いていないふりをしている。
その様子を窺いつつ憤慨していると、不意に女子学生が男子学生に近づき、なにやら怒鳴っている。
人が多い為その内容自体は聞き取れなかったが、聞き覚えのある声に私はハッとして咄嗟に周囲を見渡した。
隣にいたはずの後輩がいない。
私は確信した。
あの席を占領する男子学生の横で声を張り上げているのは、私の後輩だ。
後輩に少し近づいてみると、会話の内容が明らかになってきた。
どうやら、男子学生に近づいた後輩はいきなり彼のイヤホンを引っこ抜き、老女に席を譲るよう注意を促したらしい。
そして音楽鑑賞の邪魔をされたと憤怒する男子学生と口論に発展している、というわけだ。
「アンタには、このご老人が見えないのかボケ!」
「うっせえな、勝手に人のイヤホン引っこぬいて説教とか何様だよ」
「何様でもねえよ! いいから早くそこ退けよ!」
極めて質の悪い口喧嘩ではあったが、後輩の暴言にも近い発言は正論であることに違いはない。
老女も心許ない様子で後輩を宥めるが、実のところは後輩の行為に賛同しているようにも見えた。
結局、男子学生は乗客の視線を一斉に向けられてようやく背徳感を感じたらしく席を退いたが、次の停車駅でそそくさと降りていってしまった。
すれ違った際に顔を紅潮させていることは分かったが、それが羞恥心によるものだったのか怒りによるものだったのかは定かでない。
男子学生が去った後の車内は、清々しい空気で溢れかえっていた。
老女は後輩に何度も頭を下げて感謝の意を表し、どこからともなく小さな拍手が聞こえたと思ったら、それは忽ち喝采へと変化していった。
私の目線の先には、件の男子学生とは比べものにならないほど綺麗に頬を染めてはにかむ後輩がいた。