Novel

□第2幕*2部
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「あっちゃぴーっ!」
「……どうしたのよアイネズ」
 拘留場まであと少し、という時点でいきなり理解しがたい奇声を発した同行者に、いざっと気合を入れようとしていたアグライアは、溜息交じりというより、溜息の中に小さな呆れの呟きを入れた声をかけた。
「私、報告書あるの忘れてたぁ!」
「…………書いておいで」
 ペシッと額を叩いたアイネズは、感情の籠らないアグライアの声にも「ごめんにゃ〜?」と明るい声で答えると、眉を八の字に下げて微苦笑し、持っていた資料を渡して自分の来た道を早足で戻っていった。
「……全く」
 軽快な足取りの靴音が遠ざかっていくのを耳にしながら、アグライアは可愛い我が子をたしなめた後の母親のような苦笑を漏らす。仕方ない、手のかかる子ほど可愛いというやつだから。
 ふと。アグライアは規則正しく歩いていた足を止めた。特に理由は無いのだが、強いていうならば頭の中に思い浮かんだ映像がそうだろう。いざ一人になってみると、何故か昔の記憶が思い出される。
「……思えば七年かー、あの子達といるの」
 初めて出会った七年前は、なかなかこうして笑えてなかったかもしれない―――こそばゆくも思える過去を思い出して、これから重要な仕事だというのに、薄いルージュを引いた口元を笑みの形に歪めた。
 まだ大学生二年生だった時、今は亡き父親が用意してくれた警察職に早くつきたくて、仕方が無かった。この世界を救えるのは死刑宣告人(エクセキューショナー)≠フ名を受け継ぐ自分だけだと思ってたから。新しい夢を早く見たいとせがむ子供だった。それ故、大学なんていうのはただ自分を焦らすだけのものでしかなくて。最初の頃は不真面目に登校をしていた覚えしかない。
 だがそこで出会った二人の人物が、自分を変えたのだ。
 一人はフリードリヒ。あの優しい彼は七年前も優しかった。素直でなかったり、大人気なかった自分を何時でも彼は優しい笑顔で見守ってくれて、何かと不安定だった自分を元気付けて、傍にいてくれたのは大体は彼だった。
 フリードリヒはウェールズ地方から引っ越してきた生徒だった。わざわざウェールズからロンドンに大学へ行くため越してくる必要も無いのに、と問うたことがあったが、彼は「目的は特に無いけど、ただロンドンで探すものがあるんだ」と、それだけを簡潔に笑って答えただけだ。その探しものについて重ねて問うのも野暮な気がして、一度も聞いたことは無い。そんな辺鄙な通学だったが、フリードリヒの家はウェールズでもそれなりに有名なモンゴメリー家の息子で、そこの御曹司でもある彼をロンドンがつき返すわけも無く、大学では常に優遇な対応を受けていた。本人は苦笑交じりで「堅苦しいな」と言っていたが。
 大学を卒業してもフリードリヒは母国へ帰らなかった。探しものが見つかっていないらしい。そして今現在もそれについて情報も無く、アグライアが憧れに憧れていた警察職に共に就いて、死刑宣告人(エクセキューショナー)≠フ異名を受け継いだ彼女のサポートをしている。
 そんなアグライアからして、フリードリヒは友達以上の存在である、と思っている。だからといって恋仲というわけではないが、それが当たり前すぎて、根は恥ずかしがり屋のアグライアは何とも言えなくなってしまったのだ。なのでフリードリヒから何かないかと淡い期待も抱いていたりするのだが、現実は厳しい。彼はあの容姿の美しさからか、誰にでも優しい性格からか、もしくは両方からか、男女共に人気が他の者より逸脱している。故に良く共にいるアグライアは妬みの存在ともなっていた。死刑宣告人(エクセキューショナー)≠忌み嫌う人々は、あの優しいフリードリヒをたぶらかし、利用しているんじゃないかと疑い、裏でこそこそと噂するという何ともいやらしいことをしてくれている。だがアグライアは特に気にしてはいなかったのに、フリードリヒがそれについて一度だけあの優しい姿を剥ぎ取り憤慨したことがあって、それからは皆口にせず胸中におさめておくという賢い方法に転化したのであった。
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