Novel

□第1幕*2部
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「レディ、一つお聞きしたいのですがね」
 暫く走行したところで、パトカーの後部座席の真ん中に座っていたクレメントが不意に口を開いた。
「私はアグライア・フランク。アグライアで良いわ。で、聞きたいことって?」
「素敵な名前ですね。……ああ、名乗らずに失礼致しました、私の名はクレメント。クレメント・ルソー。クレミーで構いませんよ。……それでレディ・アグライア。昨日こちらでテロがあったとお聞きしたのですが本当なのですか?」
「……」
 相手の言葉にバックミラーを覗き込んだクレメントでなくてもわかるぐらいに、アグライアは怒りを露にした。一気にして氷点下に移動したかのように空気が冷たくなり、みるみるうちにハンドルを持つ手が力の入りすぎで白くなる。
「…………ええ、そうよ」
 暫くして感情のすべてを押し殺したような平板で、だが多少震えのある声が返ってきた。
「そうですか……出来ればで良いのですが、連行する前、そちらを見てはいけませんかね?」
「駄目よ」
 出来るだけ丁寧に言ったクレメントの言葉にも、アグライアは間髪いれず冷たく返す。しかし人ごみとテロでの車の渋滞のおかげでなかなか進まないことに、少なからずイラついているらしい。やや乱暴にハンドルを叩くという八つ当たりぶりを見せた。
「……そうですか」
 口元にどこか寂しげな歪みを見せ、クレメントはそれから喋らなくなった。
(……何なの、こいつら)
 アグライアは思わず小さく体を震わせてしまった。後部座席の三人の先程までの賑やかさは何処へやら、全く喋らなくなってしまったことに、逆に不気味さを覚えてしまったのだ。確かにあまり煩わしく喋ってほしくも無いのだが、それでもこうもだんまりだと、何か企みではあるのではないか、と疑ってしまう。今まで職業柄でたくさんの人々と関わったが、ここまで掴めない奴らは初めてだった。
「……」
 ちらりとバックミラーを一瞥し、食料の輸送車の後ろにオープンカーを連れたレッカー車がついてきていることを確認すると、アグライアは前を見た。そして硝子につく水滴に眉をひそめる。
「雨だわ……」
 誰とも無く小さく呟いて、今日傘を持ってきていないことを思い出した。最悪だ。確かに、朝思ったような大変な日になりそうだ、色んな意味で。
 そんな時だった。
「―――っ」
 最初に気だるげに顔を伏せていた金の美貌が、素早い動きで傘の柄を掴んで、弾かれたように顔を上げた。そして続くように狂犬を思わせる男の鋭い顔が自分の横の窓から外を見、最後に黒髪を揺らした男が後ろに振り返る。
「……どうしたのよ」
 やっぱりこいつら何か企んでるんだわ―――自分の油断を招いて逃亡をしようとしているかもしれない奴らの図には乗らない、とあくまでも冷静に、鋭い雰囲気を醸し出す団体に声をかけた。そして気付かれないように腰のホルスターに収まっている拳銃―――警告用の偽物だが―――を取り出し、何時でも警告を発せられるよう力をこめる。
 しかし返ってきた答えはアグライアの想像しえぬものだった。
「……レディ・アグライア。貴方、運転には自信がありますか?」
「い、いきなり何なの。答える筋合いなんて―――」
「良いから答えてください」
 拍子抜けしたアグライアの言葉を遮り、鋭い声が車内に響いた。今まで見てきたクレメントの姿からは考えられない覇気にビクリと肩を震わせると、それに気圧されるように、アグライアは小さく話し始める。
「い、一応あるわ……ライセンスもあるし…」
「それは良いですね。では―――思いっきり逃げて!」
 クレメントが叫んだのと、激しい爆音が耳の鼓膜を叩いたのはほぼ同時だった。
 いきなり頭を強打されたようなショックに見舞われ、一瞬視界がぼやけたが、その後すぐにバックミラー越しに景色を確認する。そこにあったのは、先刻まではなかったはずの広がるに広がった火の海だ。
「―――あ……」
 あまりのその様子に思わず震える声が漏れ、力をなくした手がハンドルを支えられなくなり、添えられるだけの形になってしまった。震える手に力が入らない。また最悪なことに石にでもタイヤをとられたのか、車体が大きく弧を描き曲がり始めている。それでも力は戻ってこない。
 駄目だ、もう……
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