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□約束の、日
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その日、聖域は9月にしては冷たい風が吹いていた。

天気も悪く、明け方は薄く霧も出ていた。

近くの森に雷が落ちたと雑兵達が噂している。


聖域全体がどこか落ち着かない雰囲気だった。



「ーーーえ?
今……何、と……」

「アイオロスが聖域を裏切った。
追い掛けて始末してこい。」

「ア…イオロ、ス…が……」



頭が霞がかったように言葉が理解出来ない。

あのアイオロスが、聖域を?

アテナを裏切った?

どうして?

あの笑顔は、偽物だったのか…?



「早く。
奴はまだ聖域から遠くは離れておらん。
今ならば追跡も容易かろう。」

「な…何故、俺なのです……?」

「…信頼しておるからだ。
シュラ、お前ならばアテナを裏切ることはない。
反逆者を許しはしないと。」



心臓がドクリと脈打った。

そこからはあまりよく覚えていない。

気が付いた時には腕と腹が血にまみれていた。

どうやって磨羯宮に戻ってきたのか…


アフロディーテが泣きながらすがっていた。

デスマスクは……どんな顔をしていただろうか。

俯いて聖衣の血を拭っていた。

この手に残る斬った感覚と泣きたくなるような感情だけは覚えている。

悪天候はこの後3日は続いた。










「ーーーーとどめだ、アイオロス。」

「……シュラ、」



言いかけてアイオロスは言葉を止めた。

今のシュラは正気ではない。

何者かに操られているのだろう。

先程から同じ言葉を繰り返している。


避けきれずに受けた傷から流れる血が止まらないでいた。

きっともう長くはもたない。

でもアテナだけは。

この世界の希望である彼女だけは、必ず守り通す…!


最後の力を振り絞って立ち上がる。

どこまで逃げられるだろう…

そう考えた時、目の前に真っ白な光が溢れた。



「な…んだ…?」

「………シュラ、アイオロスは私が貰う。
貴方は聖域へ帰りなさい。」



凛とした女性の声だ。

その声に操られるようにシュラが私に背を向けて歩き出す。

何がどうなっているんだ…



「君は、一体……」

「おいで。
こっちよ。」



ゆっくりと彼女が歩き出す。

導かれるように彼女を追うと一人の男がいた。

彼女が微笑み彼を指差す。

男も驚いているようだが、何故だかそれが当然のように私から赤子を受け取った。

アテナである、赤子を。



「 この子は数百年に一度現れるというアテナの生まれ変わりです。
どうか、どうかこの子を頼みます…
この世界を……頼み、ます……」



彼はアテナを守ってくれるだろうか…

大事にしてくれるだろうか…

どうか、どうか、彼女の行く先に幸多からん事を。







「ーーーこの子は…」

「城戸、光政ですね?」

「貴女は…」

「私は……この子達の身を案じここまで来ました。
貴方にこの子達を預けたい。」

「しかし私は…」

「貴方にしか、頼めないの。
どうか、頼みます。
約束の時がくるまで、彼女にふさわしい教養を。
彼には安寧の地を。」

「彼…は、生きているのですか?」

「私が死なせない。」



女性が彼を抱き締めると優しい光が溢れ出す。

彼の顔に赤みがさして、呼吸が整う。

と、冷たい風が吹いて氷の塊が現れた。



「なっ、どうやって?!」

「これは聖闘士、アテナの闘士の力。
彼はこれより長い眠りに入る。

よいですか、城戸光政。
くれぐれも世界の行く末を頼みます。」

「おぉ……
これは神の啓示なのでしょうか?
貴女は神の御使いなのですか?」

「…いいえ。
貴方と同じ、人間です。
運命は貴方を選んだ。
それだけなのです。」



空には相変わらず雷鳴が轟いている。

しかしその場だけは澄んだ風が吹いて、美しい光が差し込んでいた。

彼女はきっと天啓だ。

一瞬で瀕死の者を癒し、神々しい光と風に包まれていた。

私はアテナを沙織と名付け、死にかけていた少年、アイオロスをクレタ島へと運んだ。

氷漬けの少年なんて遠くに運ぶには手段が限られる。

それにクレタ島にはギリシア展開の拠点の一つにしようと土地を買ってあった。

そこに誰にも知られぬよう匿おう。

いつかアテナとして彼女が必要になった時に見付けられるよう、手筈を調えて。

それまで彼女を守る闘士も…



天啓の彼女、

いやもはや彼女であったかも判らない


残り少ないと知れている私の人生に意味があったとしたのならば

それはきっとあの瞬間の為だったのだろう


私の終わりの始まりが雷鳴と共に響き渡った。






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