RESET 〜明日照婆娑羅伝〜

支子ノ幕「翻弄の
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それは、小さな四つ葉の贈り物を手にした翌々日のことだった。

戦忍たる佐助は米沢城周辺を軽く巡回していた。城内には伊達軍の者たちが常駐しているし、かすがも共に滞在している。何より、紅蓮の鬼、独眼竜、竜の右目と二つ名で称せられ恐れられるほどの将たちが勢揃いしている以上、護衛一人が離れら程度で何かが起こっても当面の心配は無用と判断した。その中心にいる二人──もとい一人と一匹についても、有する能力だけを鑑みれば十分に戦力として通用する。自分の身くらいは守れるだろう。
"一人"のほうに関しては、少々心構えが追いついていないようだが。
しかし、かすがが今日まで奥州にとどまってくれているのは、佐助にとって意外な事実だった。主君上杉謙信至上主義を貫徹しようとしているくノ一のことはよく分かっているつもりだ。その彼女が──謙信からの言い付けであることを理由にしているとはいえ──こんなにも長く越後を離れ、仮にも他軍に属する自分たちと行動を共にするとは思わなかったのだ。しかも、アマテラスと真弓が甲斐に帰還するのを見届けるまで付き合うというのだから尚更だ。

「よほどお気に召したのかねえ、あの神様が」

すたん、と小高い松の木の枝に着地して、佐助はひとりごちた。風がゆるりと波打ち、髪や装束の裾を靡かせていく。周囲の枝葉が擦れ合い、晴れ晴れとした蒼穹に浮かんだ雲がのろのろと形を変えるのを眺めた。眼下に望む田畑へ植えられた緑も揺れている。

「……いや、違うか」

畦道を歩く農民たちの動きや雰囲気を何気なく観察しつつ、自答する。何の変哲もないあの顔ぶれの中に、刺客や間者が紛れ込んでいる可能性だって大いに有り得るのだ。

「アマテラスっていうより、真弓ちゃんのほうか……」

のどかそのものの風景に目を細めつつ、呟いた。
かすがは佐助と同じ戦忍だが、自分と違って物事に感情移入しやすい傾向がある。謙信への忠誠すらその一環に過ぎない。だからこの職業は向いていないと昔から指摘しているが、本人はてんで聞く耳持たずだ。平たく言うなら、優しすぎる。
だからこそ、かすがも気にかかっているのかもしれない。真弓のあの性格が。
──かすがと真弓には似通ったところがある、という考えを佐助はずっと抱いていた。
物腰はむしろ対照的とも言えるが、どちらも何かの為とあらば自分を顧みなくなるのだ。
かすがであれば、自らの主君のため。真弓はこれといって特定した対象はないが、殊更自分以外のことになると簡単に身を投げ出す。そこには異常なほど躊躇いが無い。だが、かすがのような懸命さや必死さが感じられない。かすがが「主からの下命を守らなければならない」という積極的で確固たる意志があって動いているのに対して、ただそうすべきだという義務感だけが頭に刷り込まれていて、息をするのと同等に当たり前の道理として行動に移している。
極論するなら、自分は誰かの盾になるための道具としか思っていないような。

「忍も道具とはよく言われるけど……命あっての物種って言うしね」

ぼそりと呟いた。
以前に「無茶はするな」と釘を刺したとはいえ、たぶん言うだけ無駄なのだろうとも思い始めている。真弓にとって、誰かの踏み台として動くことは"無茶"でも何でもないのだということが、ようやく分かってきたからだ。
忠告した時に見せられた真弓の目を思い出す。
似通ってはいるが、少なくともかすがはあんな目はしない。

──あんな、死んだような目は。
──何もかも諦めきったような目は。
それとも、一度死を味わったという常軌を逸した経験が、真弓をあんなふうに振る舞わせているのだろうか──

背後の木の群れから、ばささ、と野鳥が一斉に飛び去る音がした。
は、と息を止めて振り返る。野鳥たちの影は林を抜け、空へ吸い込まれるように舞い上がっていく。取り残されたのは静寂。
佐助は目を凝らし、耳を澄ませ、神経を張り詰めさせ、その静寂の中に潜む僅かな変化を読み取ろうとする。言うなれば、忍としての長年の勘が訴えていたのだ。
気を付けろ、何かがいる、と。

「………………」

殺気は無い。動きも見られないが、いるのだけは分かる。
しかし妙だ。害意があるのなら接近を仕掛けてくるだろうし、なければ距離を置くなり警戒を強めるなりするはず。だがその気配はどちらでもなく、そこへ縫い付けられたようにずっと居留まっている。余計なちょっかいは出されずに済むに越したことはないが、ここまで動きがないとかえって気味が悪い。

「………………」

佐助は眉をひそめて逡巡した後、思い切って目の前の枝に飛び移った。
葉の音を立てる事すらなく、最低限の体重だけを乗せて移動を繰り返す。近付くにつれて林に並ぶ木々の密度が増し陰が濃くなっていく。それでも相手は動かないので、ますます不審が募った。
だが気配の元に辿り着いたとき、その理由をようやく知ることとなる。
地面に広がる草むらの中に、夜闇をしぼって染み付けたような暗色が転がっていた。見つけると同時に着地すれば、嫌でも馴染みのある臭気が鼻をつく。──血の臭いだ。
横に立って見下ろした暗色は人の形をしていた。纏った装束は所々斬り裂かれ鮮血が溢れ出している。
五体満足で良かった、と佐助は呑気なことを思った。血や死体を見るのは仕事柄慣れてはいるが、どこかがもげたりした凄惨なものを目にするよりは断然マシだ。辺りの雑草を濡らした出血の量からして、もう息は無いだろう。口元を布で覆って顔立ちを隠しているのと、装束が目立たぬ暗色で機動性を重視した作りであることから、自分と同業であることは容易く察せられた。

「伊達んとこの黒脛巾(くろはばき)かな」

よっこいせとしゃがみこんで首を傾げる。腐臭もなく、流れた血も真新しいから、つい最近のものかなどと考えた。
弾かれたように動いた相手の掌が佐助の足首を鷲掴みにしたのは、その次の瞬間だった。

 

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