RESET 〜明日照婆娑羅伝〜

ノ幕「猜疑と逅」
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ざん!と鋭い音が空気を裂く。同時に、ヘタの部分を切り離された橙色の実がぼとりぼとりと落ちて転がった。

「ィよっしゃあ!メシだメシー!」

横で待機していたイッスンが、切り落とされた柿の実に飛び付き、自分の体の何倍もあるそれをかじり始めた。
アマテラスはと言うと、他の実をぱくりと咥え上げて、いそいそと道の端へ歩いていく。辿りついた先にあった木の幹に寄りかかって座る、真弓にそれを差し出した。

「……いいよ、あなたが食べて」

緩く微笑んで告げたが、アマテラスは退かない。咥えたままの実を、ぐいぐいと押し付けてくる。

「真弓ー、諦めな。ソイツは受け取るまで引き下がる気は無いぜ」
「……だけど」
「何遍も言ったろォ?今のアンタとアマ公は一蓮托生なんだ。腹が空いちゃァ戦は出来ねえ。アマ公が万全で妖怪をとっちめるためには、アンタもそれなりに腹ごしらえしてもらわないと困るんだっての」

しゃくしゃくと柿の実を食みながら、イッスンがそう言った。
その言葉に真弓は眉間へ皺を寄せたが、やがて小さく溜息を吐いて、片掌を出す。すると、アマテラスは待ってましたと言わんばかりに、口に持っていた柿をそこに乗せた。

「……いつも、ありがとうね」

礼に背中を一撫で。それだけでアマテラスは、きゅうん、と嬉しそうに鳴いた。
くるりと尾を翻して、再び先ほどの柿の木へと向かう。狙いを定めて、尻尾の墨で黒い線を一筋流した。ざんっ!とやはり切れ味の良い音がして、枝に一つだけ残っていた実が見事に切り落とされる。
もう何度も目にした光景に改めて感心しながら、真弓は手に納まった小ぶりな柿を袖で軽く拭き、確かめるように果皮へ歯を立てた。



* * * * *



行く宛もなく、境内を降りて獣道を進んで早五日。こうして所々に生った自然の食材を糧にして、なんとか繋いでいるが、そろそろ限界が来ていた。
元々、妖気に冒された自然の中で、食べれる程度までまともに育った植物の存在自体が珍しい。二日目に川を見つけて魚取りを試みたが、ぬらぬらと濁った水面を目の当たりにすると、即行で引き返した。
イッスンは元来体が小さいから、豆粒のような木の実一つでも十分腹は膨れる。しかし、神の化身であるアマテラスはともかく、体は普通の人間同然の真弓にとっては、切実な問題となりつつあった。
毒気で人々も威勢を失くし、夜な夜な鬱蒼とした林をすずろ歩く強盗まがいのような連中に鉢合わせずに済んだのは、不幸中の幸いとも言えよう。同時に、人の気配のある民家を見つけて宿を借りるといったことも出来ないわけだが。
さらにもう一つ、今現在浮上している悩み所は、真弓の足である。
さすらいの旅絵師というイッスンと、狼の容姿を借りるアマテラスは、長距離を数日かけて歩くという事に何の支障も抱かない。しかし、生前は都会暮らしで、通っていた高校の往復ぐらいしか歩く機会のなかった真弓は、彼らに比べて格段に脚力も持久力も持ち合わせていなかった。その上、言わば死に装束としてこの世界まで着てきた、濃紺のブレザーと灰色のスカート、足に履いた固い素材の革靴自体が、旅巡りには極端に不向きだったのが災いしている。
二日目には靴擦れで、白いソックスへ血が滲んだ上に穴が開いて使い物にならなくなった。粘って歩き続けると、三日目には血豆が潰れて、筋肉痛と共に足裏をじりじりと蝕みまともに歩くことが困難になった。それでも我慢して引き摺るようにして先を行こうとすると、見かねたアマテラスに無理矢理背中へ乗せられ、運ばれる始末だ。
以来、真弓はなけなしの食糧を遠慮して、アマテラスに譲るようになった。当の本人は、頑として真弓に食べさせようと懸命だが。



吸い上げられる大地の栄養が壊滅的に少ないためか、水っぽいばかりで繊維がまるで詰まっていない果実。
痺れるように舌へ染み込む渋味で盛大に表情を歪ませたが、譲り受けた以上無駄には出来ない、と真弓はそれを懸命に丸呑みした。

「……だけど、ほんとに便利だね。すごく助かる」

頬を膨らませてもごもごと咀嚼しているアマテラスに話しかけると、自慢げに尻尾を振るって「わん!」と一声。

「そりゃぁそうだろうよ。こんなトボけたツラしてても、一応大神サマだもんなァ」

いつの間にか果実一個を丸々食べ終えた(体格の割に大食漢だ)イッスンがぼやいた。
今日のように、食糧を得るために度々アマテラスの筆しらべが役に立っている。初めに魅せられた≪桜花≫はその一つに過ぎず、もっとバリエーションがあるのだというような補足説明を、真弓はイッスンから授かっていた。
今さっき使ったのは≪一閃≫。直線に滑らせた墨跡に添って、鋭い切れ味の斬撃が放たれる。
ちなみに、穴の開いたソックスはぐりぐりと塗り潰された後に、新品同様の状態を取り戻した。これは、朽ちた物を蘇らせる≪画龍≫。
暗い夜中、道を照らしたり暖を取るため、集めた枝に「∞」を描いて火を熾すのが≪爆炎≫。炎を操る筆しらべ、≪紅蓮≫の発展型だそうだ。本来はもっと大きな火炎を生み出せるらしいが、アマテラスが加減しているのと、そもそも今はまだ力総てが発揮できないということで、ごくごく小さな火を灯す程度にとどまっていた。
無から有を作り出す神業を眺めるのが、この頃真弓にとってのささやかな楽しみとなりつつある。


 

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