RESET 〜明日照婆娑羅伝〜

ノ幕「黎明のき」
1ページ/4ページ




ちょんちょん、と頬を申し訳程度につついてみる。
──動かない。

「いっつまで寝転がってんだコノスットコドッコイ!!」
「いたい!」

ぷすっ、と針のような剣を突き刺した途端、白い髪が揺れて弾かれたように跳ね起きた。



* * * * *



「うぅ……痛い、何……あれ?痛い?」

刺された頬を押さえたまま、確かめるように呟く。
きょろり、と見回すと、そこには薄く霧の垂れ込めた、寂れた境内が広がっていた。

「…………ここは」

見覚えがなく、眉根を寄せる。ひゅうっ、と冷たい風が降り落ちて、寒気で体がぶるりと震えた。

「わん」

不意に、へたり込んだままの足元から鳴き声。視線を落とすと、つぶらな黒の瞳と目が合った。

「……い、ぬ?」
「わうん」

呟くと、違うよ、と言わんばかりに首が横に振れる。普通の犬にしては大きくて体格が良い。ということは、

「……狼?」
「わん!」

その生き物は嬉しそうに吠えて、ごく自然な動作で頬にすり寄ってきた。正直を言うと、動物にはあまり触り慣れていない。
いつもだったら咄嗟に振り払っていたところだが、目の前の狼の様相に驚いて動くことが出来なかった。
体を覆うのは、純白のふさりとした毛並み。見間違いでなければ、額や目元、体の一部に赤い隈取りのような紋様が走っている。そして背には、炎を纏って回転する、青錆色の金属の円盤。面には精巧な文様が刻んであった。以前、歴史の教科書の中で見た銅鏡に似ている、と思った。いずれにしても、普通の狼じゃないことは確かだ。
ぼんやりと何の反応も示さないことを訝ったのか、狼が鼻先を引いて、顔を覗き込んでいる。心配、してくれているのだろうか。

「……あの、ありがとう」

とりあえず礼を言って、撫でてやろうとおそるおそる手を伸ばす。どこらへんを撫でれば機嫌を損なわずに済むのか勝手が分からず、一瞬指先が泳いだが、首の後ろの辺りをさすってみると、気持ちよさそうに目を細めた。
──かわいい、かもしれない。
そう思った直後、突然何かが眉間をべちりと引っぱたいた。

「うッ!?」
「オイコラァ!せっかく叩き起こしてやったのに、人を堂々と無視して和んでんじゃねェやい!」

ひりひりする額を押さえて怒鳴り声の方を見ると。
白い狼の鼻筋の上で、ぴょんぴょんと淡い緑の光が飛び跳ねている。しかも、その中に小さく人影のようなものが浮かんでいた。見間違いかと思って目を軽くこすったが、変わらなかった。

「なァに人をジロジロ見てんでィ!挨拶の一つもできねェってのか、この礼儀知らずが!」
「へっ、あ、ごっごめんなさい」

虫のような人影に怒鳴られ、思わず謝った。手に刺繍針みたいな剣を持っていて、それをしきりに振りかざしている。どうやら、さっきはこれで顔を刺して起こしてくれていたらしい。道理で痛いわけだ。
なんだかもう、非現実的な出来事が目の前に所狭しと並んでいるけど、いちいち問い詰める気も起らなかった。
ひとまず、一つだけ確認しておきたい。

「あの……ここ、どこ?」
「あァん!?」
「あ、いや、なんでもないです……」

思い切り「馬鹿にしてんのか」と言いたげな不平な声が返ってきたので、すぐに撤回した。

「やーれやれ。このイッスン様がわざわざ出向いて迎えに来てやったってのに、なんだよォ。えっらい根性の無い小娘だぜィ。肝心の大神サマは噂に聞いた通りのポアッとした不景気なツラの毛むくじゃらだ。これじゃあ先が思いやられるってんだ!」

イッスン──と、言うらしい、この虫のような小人は。

「しかしまァ……背に腹は代えられねェってもんでィ。そうだよなァ、サクヤの姉ちゃん!」

不意に、イッスンがあさっての方向に呼びかけ、狼がくるりと首を巡らせる。思わずそれにつられて、視線を動かした。
薄闇の漂う境内の隅に、一本の大木が佇んでいる。相当な歳月を経てきたのだろう。葉や花はついていないが、注連縄を回され、節くれだったその姿には、不思議な貫録が感じられた。
ふわり、と空気の流れが変わる。大木が薄紅色の光を灯し、まるで水彩絵の具が滲んで広がるように淡い色を噴き出した。目を疑った直後には、そこに一人の女性の姿があった。
長い黒髪に、桃色を基調とした着物。凛とした面立ちは整っており、思わず見とれそうになる。不思議なことにその女性は、ふわふわと宙に浮いてこちらを見下ろしていた。

『──これ、イッスンよ。仮にも我らが慈母・アマテラス大神になんたる口を利くか。たとえかの第七代天道太子の血と技を引き継ぐ者といえど、許されませぬ』
「へへン、オイラは事実を言ったまでよ。大体、この辛気くせェ空気を切り抜けるには、ちょうどいいくらいってなモンでィ!それよりよォ、サクヤの姉ちゃん。毛むくじゃらはともかく、こっちの髪の白い小娘の方がよく分かってないみてェなんだ。かるーく説明くらいはしてやってくれよ」

髪の白い小娘?
サクヤ、と称される女性へかけたイッスンの言葉で、初めて気づかされた。
風になびく自分の前髪を一房拾い上げると、まるで色素が根こそぎ抜け落ちたかのように真っ白になっていた。染めたり脱色した覚えはないのに。

『──お初にお目にかかります、異世(ことよ)よりおわしました我らが慈母の器よ。私は、このナカツクニの木精・サクヤ。長きにわたりこの世を見守って参りました、しがない精霊の一柱にございます』
「……なかつ、くに」
『さよう。人々は日ノ本、と今では呼んでおります』

ナカツクニ。日ノ本。どちらも、時代は違えど自分の暮らしていた国を示す異称だ。
だけど、異世とはどういう意味なのか。

『差支えなければ、どうかそなたの名をお教えくださいませ』

すうっ、と目の前に降りて尋ねてきたサクヤに呆然としつつも、唇は素直に答えていた。

「……丹色、真弓」
『真弓様……アマテラス大神の器となり得た異世の神子よ。どうか、あやかしに毒され荒んだこのナカツクニに蔓延る闇を、祓う手助けをしていただけませぬか』

足元で、白い狼が呑気に欠伸をした。


 

次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ