文
□粘着質な彼
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このままではいけないと思った。だから、さっぱりあきらめようと思った。
「は、」
「今までありがとうございました」
顔を見ないように腰を折って深く頭を下げる。
ひどく息がし辛かった。のどの奥から声が漏れてしまいそうだった。でもそれじゃあ自分から言っといて格好がつかないから耐えた。
目の奥もひどく熱かった。痛いくらいだった。でもここでこぼしてしまってはいけないと思った、からすばやく上を向いてのどの奥に流してしまった。
今だけ。今だけ我慢できれば良い。帰ったら出せるだけ出してしまおう。こういうときに我慢をするのはよくないと誰かが言っていた様な気がする。どっちでもいい。とにかく今だけ、我慢できればいいのだ。
これで最後にするから。
彼が動く気配はまだ無い。行くなら今のうちだ。
「帝人ちゃん…」
「じゃあ、さようなら」
一刻も早くこの部屋から出て行かなくては。語尾が震えてしまった。早くしないと、もう耐えられそうに無い。早くも視界が歪んできた。嗚咽が漏れそうになり奥歯を強くかみ締めた。ドアはすぐ目の前だ。このノブを回したらもうここには来ない。昨日悩みに悩んで決めたんだ。早く出て行かなくてはいけない。そう考えるのに手はうまく動いてくれなくて。体も動けない。なんか背中があったかい。いつも感じていたぬくもりがそこにあるのがわかる。振りほどかなくちゃならないのに女で非力な僕には到底かなわない力で抑え込んでいるから、ついに抑えていたものが溢れてしまった。今日はアイラインは引いていないけど一応メイクはしてあるからこれ以上ひどい顔になる前に出なくちゃならない。
「離して…」
「帝人ちゃんさぁ」
低い声だった。でも怖いっていうには頼りなくて、弱いっていうには有り余る声だった。
なんか余計に泣けてきて下を向いてきつく目を閉じた。自分が鼻を啜る音がよく聞こえた。貧相な胸の辺りで交差している腕の力が強くなったような気がする。もうなんかよく分かんない。わかんないついでにこれが夢だったらと考えた。また僕はこの部屋に何気なく訪れて彼にコーヒーを入れて、彼に甘えて甘えられて夕食を食べて彼に送られて帰る。そんなことがしたかった。
「俺のこと、まだわかってないのかな」
続いた彼の言葉にまだ許されるかもと考えてしまう自分が、どうしようもなくかわいそうだった。
俺は売られた喧嘩は丁重に買った上で徹底的に叩き潰す主義なんだ。
「だからそんなことさせねぇよ」