暁の微笑

□欠如
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ここ最近、兄と会うことは少なくなってしまった。
兄は直江さんをはじめとして、千秋さん、門脇さんって人たちとすぐ何処かに行ってしまう。
学校も早退したり休んだり……相当単位がやばいだろう。
さすがにおれは学費を出してくれてる父の負担にならないよう、ダブらないように最近はきちんと出席しているのだが。
ときどき教師に引き止められて聞かれる。
「おまえの兄はどうした」、と。
もともと法律で双子は同じクラスにはなれないから、クラスの様子はわからないけれど。
聞かれるのに慣れてしまって、「来てないんですか?」と逆に聞き返すのがいつもだ。
彼らがいま、何を思って兄を連れまわすのかおれは知る術を持っていなかった。
ある日、ゆったりと道を歩いていたら知っている声が誰かと口喧嘩しているようだ。
めったに声を荒げないそいつが口喧嘩している様に興味を示したおれは発信源へゆったりと歩み寄った。

「成田」

おれの声に気づいたそいつは、助けを求めるようにおれに言う。
もう一人は、ぎょっとした顔でおれを見ている。

「景夜!聞いてくれよ!千秋が高耶を東京に置き去りにしてきたって!」
「は?」

それは聞き捨てならぬ台詞だった。
その千秋、という男が誰かはわからなかったが、おそらくおれを凝視しているやつのことだろう。

「……それ、本当かよあんた」

少し睨みつけるように言うと、我に返ったそいつは慌てて頷いた。

「あ、ああ。あいつも子供じゃねーんだから、一人で帰ってこれるだろ」

普通に考えればそうだろう。
だが、たまに家に帰ってくる彼の様子を考えれば――そんな安易なものの考えができるはずがない。
酷く塞ぎこみ、たまに何かを諦めているような切ない表情を見せる。
あの状態の高耶を勝手に連れまわしておきながら、そう言ってのけるこいつがとても許せなかった。

「――あんた、それ、本気で言ってんの?高耶が、あの、不安定な状態で、一人でだって?」
「ああん?できんだろ、それくらい。それよりオマエ……」
「それよりだって?馬鹿言うんじゃねえ……ッ!」

さもどうでもよさげに言う男に、おれはとうとうブチ切れた。

「成田!こいつらだよな、最近高耶を連れまわしてるやつらって」
「え、うん」
「――あんたらが現れてから、高耶は変わった。悪い意味で。家に帰ってくることも少なくなって…!」

おれはいくらブラコンといえど、妹も大事だ。
その妹が、美弥が、最近寂しがっている。
理由は簡単だ。
『高耶がいない』
おれたちの生活の中心といえる、高耶という存在が欠如し始めて、なんとか保っていた均衡が崩れつつある。

「頼むから、おれたちの家族をとらないでくれよ……なんで、お前たちは皆しておれたちから高耶を奪うんだ……!」

その言葉に、男は吃驚したようにおれの顔をみた。
小さく男が何かを呟いたようだった。

「とりあえず、俺、東京まで高耶を迎えに行ってくる!」

成田は、俺の顔を覗き込んで「もちろん景夜も行くでしょ?」と問いかけた。
もちろんだ。
いかないわけがない。
兄の周りで何が起こっているのかわからない。
だけど、彼はどこにいようとおれのたったひとりの片割れなんだ。
成田が踵を返す。すると成田の目の前に少年が一人立っていた。

「成田、譲さんですね?」
「え?あ、はい。そうですけどっ」

成田が言葉を続ける前に、少年が成田を昏倒させる。
気が付くといつの間にか周りを黒スーツに囲まれていた。
男―千秋といったか、と少年の間で仙台やら仇やらと言葉が飛び交うが、おれにはさっぱりわからない。
とりあえず、成田に身の危険があると兄が悲しむから――おれは成田を抱える男に襲い掛かろうとした。
――そこから、数時間の間の記憶が、おれにはない。
ただ、記憶が途切れる少し前に聞こえた声は妙にはっきりと覚えていた。

「この者、現代人のくせになかなかの霊能力の持ち主のようだ」





 * * *





思えば、昔から兄はおれを苦手というか嫌っていた節があったように思う。
気が付くと複雑な感情の混ざった目でおれを見ていたのを、薄々だが気が付いていた。
なぜ嫌っていたのかはわからない。
だっておれは、いくら一個から分裂した片割れといえど、所詮は思考回路の違う一人の人間だから。
兄のおれに対する疎ましさ、嫌悪、嫉妬……そういった類の感情の中身など知らない。
知ろうとして解るものでもないし。
だけど。
それでもやはり、兄がおれを疎ましく思う事によっておれの心は確実に傷ついていたのだ。
しかし、兄は『転機』まで周りによく可愛がられていたと思う。
おれと正反対に、明るくてかわいい兄と妹。
おれは人付き合いが下手だからかもしれないが、周りからも親からもあまりこれといった愛情は受け取っていない。
そう思いこんでるだけかもしれないが、すくなくともおれにあのころのいい思い出はないに等しかった。

中学在学中、父が酒と女に溺れ、おれたちに暴力を振るうようになった。
少し前に母は、父ではない別の男のもとへと去っていった。
冗談じゃない。
なんて無責任なんだ。
兄は、両親が離婚してからとうとう全てが嫌になったのか、グレてしまった。
見てられなかった。
荒んだ目だ。
美弥だけは守ろうと、隣の家に預けてあても無いのに町を彷徨う。
ああ、とうとう逃げたんだと思った。
逃げ場なんてないのに、闇雲に逃げてしまったんだな、って。
気を張りすぎたのだ、兄は。
大好きだった父を、憎しみの対象としてみるのにも。
大好きだった母を、心のどこかで呼びつづけることにも。
全てに気を張りすぎて疲れてしまったんだ。
その行動は、しょうがないことだった。
おれは暴力をふるう父が、逃げ惑うしかない兄が、泣くしかない妹が、男のもとへと去った母が。
とてつもなく、とてつもなく愛しくてしょうがなくなった。
知っていた。
知っていたんだ。
暴力をふるう父が、最終的に悔いて流す涙と懺悔の言葉を。
逃げ惑うしかない兄が抱える、精神的なダメージと、諦めきれない愛情への執着を。
泣くしかない妹が、いつかまた皆と仲睦まじく過ごす夢をみていることを。
男のもとへと去った母が、実はまだ、父を兄を妹を…深く、深く愛していることを。
おれは、知っていたんだ。
だから尚更だろう。
酔った父が、とうとう包丁を振りかざして高耶と美弥にそれを向けた時。
高耶と美弥を背中に庇って、両手を広げたおれは、わざと父の刃を肩に受けた。
全部知っていたから。
本当は誰一人、こんな生活をしたくないって。
だから――父さん、と。
この小さなひとを血で汚れるなんてことも構わずに、包み込んで。

「おかえり、父さん。」

近所の大人と家裁の弁護士の人を尻目に、そう言って、包み込んで。
父が泣き崩れたあの顔を、おれは今でも覚えている。
かすれた声で何度もただいまと繰り返して。
高耶と美弥を呼んで。
ただいまと繰り返して。
痛みに気を失ったおれは、翌日、病院の白いベットで独りで目を覚ました。
そう。
それも知っていた。

 お れ は 結 局 ひ と り だ




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