第二部

□第二十二話
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シャン・ドゥの街からは、首都カン・バルクへ向かえるモン高原、北のリーベリー岩孔へ繋がる王の狩場……。
そして、船を使い行き来のできるソグド湿道と闘技場…そして、ラコルム街道……以上の五箇所へ行ける。
闘技場は置いておいて、モン高原・王の狩場は今の俺でも狩れる手頃な魔物がいる。
しかし、ソグド湿道には凶暴な魔物が沢山いた。
俺に右腕があれば、ソグド湿道で魔物狩りもできたのに……後悔先にたたずとは良く言ったものだ。
それでも一旬…一週間を過ぎているからか、感覚も戻ってきている。
ゆくゆくはソグド湿道で鍛錬するのも一つの手だろう。
まあ、今の俺ではまだせいぜいモン高原と王の狩場か、シャン・ドゥ寄りのラコルム街道の魔物を狩るしかできないのだが。
勿論、左を右同様に完璧に使うことができるようになるには随分の時間を要するだろうが、それも仕様がないことだろう。
全ては身から出た錆だ。

(さて……どうするべきかな)

現在、王の狩場の入口まで来ている俺は迷っていた。
勿論、行くか行かないかで。
今は、火霊終節地旬(サンドラ・ジョヌ)十六の日。
日本風に言えば、九月十六日といったところだろうか。
一週間も経ったのだ……無理矢理にでもステップアップをしなければならない。
それに――と、首飾りを弄る。

(――オリジンの力を、扱えるようにしなければ……いつマクスウェルと戦うか分からないからな)

よし、と気合を入れて、王の狩場へ足を踏み入れた。

(――オリジンを召喚するには……)

開けたところで足を止める。
この短期間で、精霊術と精霊の召喚についての本を読み漁った。
なんとか、折角の力を最大限に引き出して、使いたい。
そうすれば、未だいささか迷いのある剣を誤魔化せるだろう。
俺に霊力野は無いが、すっと心を落ち着かせて、オリジンに呼びかけた。

「――全ての源流を司る、偉大なる王威よ。契約者の名に於いて現出せよ」

足下から強烈な光がフィールド上に広がり、陣と成す。

「出で給え、オリジン!」

首飾りについている宝珠が一層眩く発光する。
おそらくこの宝珠が精霊界なるものと、この世界を繋ぐ道しるべのようなものなのだろう。
魔法陣が共鳴するように発光し、光が凝縮された。
風と共に、それが姿を現す。

「――無事に喚べたようだな、コノエよ」

屈強な男性の身体に、随分と動きやすそうな鎧を身に付けている。
背中には六対の翼があり、腕が四本。
剣は――二刀流。
耳にすんなりと入ってくるバリトンヴォイスが、王の狩場に響いた。
この精霊の鳶色の瞳は、嘘・虚実を陳(の)べることを良しとしない……そんな高潔な瞳だ。
だからこそ、俺もその瞳に答えるように率直に訊く。

「――オリジン、貴方の力の扱い方を教えてくれ」






 * * *






それは、彼にとってとても意味のあることだった。
使役された魔物でなく、ただの馬で駆ける――ただ、それだけのこと。
彼の立場からすれば、そのようなことをしている暇などない。
しかし、信頼している部下や慕う兵の心遣いを無碍(むげ)にはできないし、今日は民の誰もが彼を想って城には一歩も踏み入れない日。
節に一日だけの彼の休息の時。
今、彼はたった独りで彼のままでいれる。
ありのままの自分でいれる。
その日の彼――ア・ジュール王ガイアスは、いつもの紅い甲冑を身に纏っていない。
白いワイシャツと黒のスラックス、いつも彼の背中で疎(まば)らに靡(なび)く髪は、赤いゴムによって首元で括られていた。
その紅の瞳からは、いつもの鋭さが感じられない。
ただ穏やかに馬の駆る先を見つめていた。

(――休息するか)

水辺まで来ると軽やかに馬を降りて、手綱を放す。
馬はゆったりとした足取りで水辺まで行くと、しなやかに首を下げて水を飲み始めた。
ガイアスもまた、手で水を掬い口に含む。
此処王の狩場には清浄な水の湧き出る場所が数箇所かある。
ガイアスは幼少の頃、この地を何度も訪れたことがあった為、大体の場所は把握していた。

(――この場所も、変わらんな)

自分がうんと幼い頃、一族の男達と狩りでこの場所で野営をしたこともあれば、妹と休息がてらこの場所を訪れたこともある。
幼少、ガイアスはアウトウェイ族の族長の息子として生まれた。
アウトウェイ族は、二大部族が一、ロンダウ族の流れを汲む下層の下級一族であったのだが。
当時、ガイアスはアーストという名前であった。
つまりは、アースト・アウトウェイ……それがガイアスの本名である。
しかし、その名はファイザバード会戦後に自らを戒め、残ったたった一人の家族を護る為に封じた。
否……捨てたと言っても過言ではないだろう。
とはいえど、何節かに一回……妹とは王の仕事という名目上で会っている。
妹といえば――現在は此処から近いシャン・ドゥを本拠地として歴史教師をしているといったか。
しかし、自分の今の格好もそうだが……軽々しく会っていい相手ではない。
いまだに自分に反抗意識を持つ部族もいるのだ。
何のために“世界を牽引する者(ガイアス)”と名乗ったのか……全てが無駄になる。
ガイアスは、馬が食事を摂る姿を眺めながらシャン・ドゥにいる血を分けた妹に思いを馳せた。
そういえば、と思い立つ。

(――あの青年は、どうなったのか……)

遠目から見ただけであるから、確定ではないが……。
何年か前に謁見に来た妹に着いて来たあの少年――いや、今は青年だったか。
謁見の間までついて来たものの、扉より先に入ってこなかった黒髪の少年。
それが誰かというのは、既に調べはついていた。
降って湧いた見知らぬ少年は、四年で立派な青年へと変化している。
そして、今ガイアスを取り巻く問題の一つになっているのだ。

(ニホン族……か)

ウィンガルの数度の報告で、本物のニホン族であることは掴めた。
しかし、ガイアスがなぜウィンガルやジャオに彼――コノエ・カスガの監視を命じたのか。
それはひとえに、妹であるカーラの為であった。
ファイザバード会戦……あの大戦で、カーラは婚約者を亡くした。
カーラはいまだに婚約者を殺した者がガイアスであると疑っている。

(……否)

津波の到来を予知し上の者達に訴えたガイアスだったが、身分の低さ故にとりあって貰えなかったが為に多くの犠牲者が出た。
そして、己の訴えをとりあわなかった者の中にカーラの婚約者もいたのだ。
呑まれる荒野、呑みこむ大津波――喘鳴(ぜいめい)、悲鳴……正に阿鼻叫喚。
あれほどの地獄を見たことがなかった。
今も目蓋を下ろし、念じればより鮮明に思い出せる。

(あれは俺が殺したも同意義か)

己にもっと力があればと……何度悲嘆し、憤慨し、もがき苦しんだことか。
そして、挙句の果てにカーラからの疑いの眼差しは――幼かったガイアスの心をも少しずつ少しずつ蝕んでいったのだ。
しかし、どんなに疑われようとも怨まれようともカーラはガイアスの可愛い妹である。
完全に繋がりを絶つことができない己にもどかしさを感じている、そんな最中に最愛の妹が男を拾った。

(好機だったのだ)

コノエという少年を拾ってから、疑いの眼差しどころか昔のような慕う眼差しを見せるようになった妹。
もう、自分が妹にそのような表情をさせることができないというのに、いとも簡単にやってのけた男。

(――あれに、あのような表情を戻させた……彼には感謝をしている)

妹の凍りついたものを融かして、カーラの大切な者になった青年。
コノエ・カスガが旅に出たことを、寂しそうにもどかしそうに受け入れた彼女。
もう、カーラにファイザバード会戦の時と同じような思いをさせたくはなかった。
勿論、ジャオやウィンガルが思ったことが全て違うとはいえない。
だから。
だから、ガイアスは妹の心を救い上げてくれたコノエを、側にいれないカーラの代わりに部下を使い見守っていた。
しかし……。

(――片腕を無くしたとは……)

ふと、人間の気配にガイアスは知らず知らずのうちに俯いていた顔を上げた。
足音が聞こえる――が、すぐに何かが水に落ちる音が響いた。
馬が興奮したように鼻を鳴らした。

(!)

馬を宥め、いつでも抜刀できる状態で立ち上がると音の方向へ歩く。
――自分よりも艶やかな黒髪が、視界に入って目を見開いた。





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