百合

□呼ばせて
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「民子」

 不満げな顔がこちらに向く。
 唇を尖らせ、眉根を寄せている。悔しいくらいに整った顔だから、そんな風に不満を訴えても可愛いだけであるので、私には意味を成さない。
 表情を変えない私に、民子は益々眉間の皺を深くして、不満を全面に押し出した。
「……」
「何変な顔してんの。可愛いのが台無し」
 嘘だけどね。
 こんなことくらいじゃ、この子の可愛さは失われない。むしろ不機嫌顔もなかなかそそるものがあるのでたまにはして頂きたいとさえ思う。
 私より頭ひとつぶん小さな民子の可愛い顔を見つめていると、尖らせていた唇を開き、
「名前そのまま呼ばないで、って言ったじゃん」
 と呟いた。
「何で?」
 分かっていながら、至極真面目な顔で聞く。
「っ、知ってるでしょ!」
 そう、この子は自分の名前があまり好きではないらしい。
 昔、男子におばあちゃんの名前じゃん、民子おばあちゃーん、とからかわれてからコンプレックスになったようなのだ。からかったやつら、シメてやりたい。
 しかし、全然可愛らしい名前だと、私は思っているのだけど。私の贔屓目だろうか。
 民子が可愛いから、自然とその名前も可愛く感じてしまう、とかそういう。
 そうだな、確かに客観的に見るのは難しいかも知れない。なにせ私は民子が一番可愛いと思っているのだ。世界で。いや、宇宙で。
「上の名前で呼ぶとか。せめて民ちゃんとか」
 恨めしそうな民子の目。
「何で」
「……だからっ、」
 泣く手前。うるうるした瞳が、色っぽい。思わず頬が緩みそう。
 しかし今ここで笑うと確実に民子の機嫌を損ねてしまう。私は必死に真顔を保つ。
 潤んだ瞳が私を見てる。ああ可愛い。本当に可愛い。分かっている事だけれど宇宙一可愛いのだ民子は。それが世の定理。
 心の中では心底緩みきった顔で、けれどもオモテは友人曰く“黙ってたらクールな美人”らしい顔をしておくのだ。
 しばらく黙って私を睨んでいた民子の小さなつぶやき。
「なんで、呼ぶの」
「さあね。何でかな」
「皆、呼ばないでくれるのに」
「……皆、ね」
 含みのある私の言い方に、民子が気づいて不思議そうな顔をする。
 ふ、と小さな笑いが漏れた。
「やっぱり駄目。民子は民子」

 だって、ね、私が民子と呼ばなくなったら誰も民子と呼ばない。民子と呼んでいるのは今、私だけで、それなのに呼ぶのを止めてしまったら――。
 “皆”の中に埋まってしまいたくないのよ私は。
 だからね、
「民子以外で呼んであげない」
 私の言葉で、膨らんだ民子の頬が可愛い。愛しい。



 民子の全部が好きだから。
 ねえ、いいでしょう。貴女の特別になりたいのよ。
 だから名前を呼ばせて。





2011/04/10

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