百合
□近づく距離
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「キレー……」
思わず、声に出てしまった。
スラリと高い背に、長い脚。腰はきゅっと引き締まって細く、出るところは出ていて、女性ならば誰もが憧れるスタイル。力強い瞳、すっと通った鼻筋。薄い唇には妙に色気がある。
瞬きする間も惜しいくらい、彼女は本当に綺麗だ。
彼女が、この近くでドラマの撮影をすると聞いた時、きっと私は一生分の運を使ってしまったのだと思った。
ずっとずっと、憧れていた彼女。いつも彼女が出るテレビは食い入るように見つめ、いつか一目で良いから本物の彼女を見たいと願っていた。
それが、叶おうとしている。
だから、この日をずっと楽しみに待っていた。もうきっと、彼女をこんなに間近で見る機会なんてない。
数秒だって見逃せない。瞼にやきつけなければ、と憧れのあの人を目で追う。
今までテレビの中でしか見た事なかった憧れの人が、目の前に居るのだ。
いや、目の前にいると言っても、相手はドラマの撮影中。肉眼で見える距離ではあるものの、正確に言えば“目の前”ではないかもしれないが。
カメラの回る中、憧れの彼女は私が見慣れた地元の道を歩く。身近で何も感じなかった景色が、彼女が居るというだけで輝いている気がした。
「カット!」と監督の声が響き、彼女は芝居をやめた。
多くの見学に来た人たちにまぎれて、彼女を見つめ続けて居ると、こちらへと視線が向く。わっ、と少し周りの人たちがザワつく中で、ぱちっと彼女と目が合った、気がした。
――目、合った? 合ったよね……!
偶然でもなんでも、憧れの人を真正面から見つめたという高揚感で、私の心はいっぱいになる。
騒ぎ出したい気分だけど、迷惑になるだろうとぐっと堪えた。
それから暫くすると、嬉しい気持ちに、疑問が加わってきた。なぜなら、彼女が私から目を逸らさないのだ。
実は私では無くて、私の周りとか後ろとかに、何か気になるものでもあるのだろうか。
自分から目を逸らすのは惜しかったが、ちらっと自分の周囲を見渡す。
だが、特にこれといって、目をひくものは無かった。
おかしいな、と再び視線を戻すと、何故だろう。なんだか、彼女がこちらに近づいている気がする。
カツカツと彼女のヒールが音をたてて、私の居る方へ確実に近づいているのだ。
周りがざわざわ、と騒がしくなった。
さっきまで、あれ以上彼女を近くで見れることなんてないと思っていたのだ。だが、この状況はなんだろう。
ほんとに、目の前に。彼女が居る。
辺りは更に騒がしく、キャーと悲鳴のようなものまで聞こえる。でも仕方ない、それほどまでに彼女が近い。――何故か、私に。
動揺した私は、もう一度周囲にチラチラと目をやる。だが、やっぱり何もない。視線を戻すと、彼女の目がばっちり私を見ている。
――わ、私を見てるってことで良いのか……?
ぽっかり開いた口を戻している余裕なんかない。何が気になったのか分からないが、憧れの彼女が、目の前で、私を見つめている。それは現実だ。
「ねえ」
永遠のような気がしていた。本当は数秒だったのかもしれない。
私を見つめる彼女が、ようやく口を開く。
「貴女、名前教えて」
「……え?」
周りの悲鳴に似た歓声が、遠くに聞こえる。
彼女の言葉だけが、頭の中をぐるぐる巡った。
「一目惚れしたから。名前、教えて」
私の頭がさっきの彼女の言葉の意味を理解するよりも前に、もう一度彼女の、一層理解できない言葉が飛び出す。
私は彼女を見つめて、固まるより他に何も出来なかった。
――――憧れの人とゼロ距離になるまで、あと少し?
2013/07/05