パラレル〜現役の「彼」がグレルの上司だったら〜
□P
1ページ/3ページ
「これ、本物ですか?!」
グレルが感極まった声をあげる。
「そうだ」
意図がつかめないから、ありのままを伝える。わざわざ捏造する必要が、どこにあるというんだ。
俺たち死神が見るシネマティック・レコードは、いつだって人間たちの生(き)のままの記憶の記録だ。聖も濁も浄も穢も、取り分けられることなく渾然一体となっている。人間の生(せい)の、そのままに。
何がそんなに特別なものに見えるのやら、俺にはわからない。
「こんなレコード、見たことない……!」
だが……こんなグレルの顔は、見たことがない。
シュルシュルとフィルム状のレコードを巻き取る作業と同時進行で、その内容をチェックするグレルは、昂奮状態のままだ。瞳孔が開いて、眉は吊り上って、頬は上気して……いつもとはまったく異質なテンションの上がり方をしているのが見て取れる。
「だって、こんなにも……ロマンティックで、エキサイティングで、ドラマティックで、……くぇrちゅいおp;が:ふじこzxcfgvhびゅじ;pなんですヨ!」
何だか理解不可能な単語を連発しているな。
「こんなのって、普通ありえないじゃないですか! ああッ! アタシすっごいもの見ちゃった!!」
このレコードの持ち主、つまり、今まさに死にゆかんとしている人間は、ごく平凡な市井の男だ。
いつも通りの進め方で、数日のあいだ対象に張り付いて調査した。結論は、「人間世界に、何一つ影響力を持たない人間」。だから今日、予定通りに魂を狩り取って、レコードを回収した。
ふむ。レコードを見る限り、若い頃はなかなか整った容姿を持っていたんだな。老境を迎えた今は、見る影もないものだから、調査中に、グレルが興味をひかれることもなかったんだ。
レコードに記録されていた、青年時代の姿や言動を、気に入ったらしい。そこまで特別な価値のあるものかどうか、正直なところ俺にはわかりかねるんだが。ともかくグレルは、すっかりのめり込んでいる。
「こんなにイイ男だったなんて……っ!」とか何とか、握ったこぶしを震わせてつぶやいている。
「イイ男でも、いつか変わり果てて、枯れ果てて、死んでいくのネ……」
ほぅっと息を吐きながら、言うものだから。
「人間も、死神もな」
いま、お前の目の前にいる男だって、いつどうなるかわからないぞ。人間に比べれば耐久性があるが、明日、何が起こるかわからないのが世のことわりだ。死神とて、それからは逃れられない。
そこまで言葉にするほどの関係性は持っていないから、そこは口にしないでおいた。
しばらく黙って、小刻みにプルプルしていると思ったら、おずおずと俺の腕に手のひらを乗せてきた。珍しい。いや、初めてだな。こいつの方から触って来るのは。何を思ってか、手袋まで外して。
何度かスーツの袖を往復した指は、肩口から首筋にまで上がって来る。
少し低い位置から見上げる形で、心なしか不思議そうな目つきで。
「どうした?」
「……体温、あるんですネ……」
そりゃあ、スーツの生地越しには感じなくとも、指でじかに首筋に触れれば、いくぶんか温かみは感じるに決まっている。依然、意図するところはわからないが、こいつの意識が俺に向いているのは、悪くない。
「生きているからな」
目の前で死にゆく人間を見ていれば、多少なりとも死生観に敏感になって当然だ。そして、生をひときわ感じるのは、肌と肌との触れ合いだ。
目の前にある赤い頭をサラリと撫でてみる。珍しいことに、払いのけようとしない。短気な小型犬みたいにくってかかっても来ない。もっと触っていいのか? 少しばかりコシがあって、きかん気な印象をもたらす手触りは、持ち主そのものだ。毛先まで水分が行きわたって潤っているのは、手入れのたまものだろう。生きが良くて、俺好みだ。そう。俺は気に入っている。
この、仔犬みたいに元気が良くて表情も体もピョコピョコ動かしっぱなしで、自我も事意識も人一倍なのに、意外に律義でマジメな面もある、こいつのことを。気に入っているからこそ、俺の手元で仕事も何もかも教え込んでやりたいと思ったんだ。
それにしても。
昂奮状態のまま、この俺にペタペタ触るなど、頭の固いお偉方に知れたら、不敬罪に問われかねない。当人たる俺が、許可しない限りは。こんな特別扱いをしてやっているのだと……こいつは気付いてもいないんだろうな。
我知らず、ふっと笑いが漏れる。
「あ……」
「ん、どうした?」
「もともと美形だと、笑顔はますます……って、いいい一般論ですッ! あくまで!!」
何か言いかけたと思えば、真っ赤になって背中を向けてしまう。要は、俺の美貌に酔って、照れているということか?
今頃になって?
からかって怒らせてみても面白いが、よそう。教育係という立場上、仕事に意欲を燃やしているところに水を差すわけにもいくまい。あくまで建前は、な。
.