恋の歌を詠みませう。

□_明晰夢
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□俊平


「……らっ、……しひらっ!」


 誰かが名前を呼んでいる。

 それは、どこか懐かしい声で。


「俊平っ!」


 僅かに目を開き周囲を確認しようとした瞬間、大量の冷たき水が滝のごとく私の顔に流れ落ちてきた。一瞬にして、ぼんやりしていた意識がはっきりする。


「なっ、何をなさりますか!?」


 上半身を起こし、水をかけた相手に視線を移した。

 目の前にいる人物に、正直、驚いた。

 艶やかな黒髪、中性的で整った顔つき、優しい声色。


「章……真……殿」


 たらいを抱え、悪戯をした童のように笑っていたのは、菅原章真。


「いやー、実に愉快愉快! 浅い池に落ちて頭打って気絶したとか傑作! なっさけねーなぁ、俊平殿?」

「気絶……?」

「俺がお前を引き揚げたんよ。あー、腕とか肩とか痛い。あとで肩たたきしろよ」


 途中から彼の言葉が耳に入らなくなった。

 気絶していた? そんな馬鹿な。私は現代へと「たいむすりっぷ」をしていたわけで、気絶していたはずはない。

 見渡せば、桜も池も空も空気も草花も。何もかもが京のものだった。


「私はっ……どれほどの間、気絶していたのですか」


 訊くと章真は顎を撫でながら空を仰ぎ数秒後、「半刻ほどかな」と言う。

 私が現代で過ごしていたのは数日間だ。撫子殿に助けられ、撫子殿と笑い合い、先ほどまで着物について言い争っていたじゃないか。


「では……夢……?」


 千年以上あとの時代も、「ちゃり」も「しゃわー」も、あの気味が悪い着物も、……撫子殿も。

 確かにあれは現実だった。肌で感じる冷たさも、息苦しさも。

「すべて夢だったというのか……?」

 虚しくなってくる。

 野蛮で怖かったけれど、撫子殿はお優しい方だった。未来は騒がしく雅ではなかったが、あれはあれで楽しかった。

 だが、すべて私の夢。私の描いた絵空事。そう思うと、悲しくなってくる。


「もう一度だけ、もう一度だけお願いします……」

 もう一度だけでいい。同じ夢を見たい。見させてほしい、覚めない夢を。

 私は貴女にお会いしたい。


「撫子殿──っ!!」








おしまい。
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