頂き物

□果敢ない夢で目が覚めた。
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ふるり、小さく千鶴は身を震わせたのち重い目蓋を開いた。
幸せで、それでいて今はもう遙か遠くに消え去った日々の夢。
二度と触れられぬ幸福の残滓。
無意識にだろう零れる涙を拭って、千鶴は寝台から凍える空気へと身を翻した。
今は、この冷たさに助けられる。
過去ばかりを追いかけるつもりなど毛頭ないのだから。
むしろ、そんなことばかりをしていたら皆にどやされてしまう。

「特に沖田さんは容赦なさそうですし」

恐らく、「皆に託されたものを忘れて昔ばっかりに浸ってるんなら斬っちゃうよ?」とか真っ黒な笑顔で脅されるに違いないのだ。
それはご容赦願いたい。
そうこうしているうちに、皆起き出したらしい。静かながらさわさわとした生活音が壁越しに感じ取れる。
ぱしりと自らの頬を打って気合を入れる。
仕事はそれはもう山のように積まれているのだろうから。
身を切る寒さの中で身支度を整え、隣室である土方の部屋へと小さくノックをして返答を待つ。
ちょうど三十を数えるあたりまでに返答がない場合、千鶴は容赦なくその扉を押し開く。
あぁ、また今日もか。
ため息と共に、千鶴は灰ばかりになった暖炉の中へと薪を放りこむ。そして、机に突っ伏すようにして寝息を立てる土方の肩を揺す振った。
一応肩には毛布がかけられているのを見ると、凍死への予防策はとられているらしいが、風邪を引くのは眼に見えている。
だというに、千鶴の忠告を聞き流して、千鶴が眠りについた時間に抜け出して仕事をしていたらしい。

「土方さん、起きてください」
「…あ゛?」

不機嫌そうに眉が寄せられ、彼が顔をあげた。
千鶴を視界に納めると、ゆるく頭を振って起き上がる。

「何度目ですか!お風邪をお召しになってしまいますから止めてくださいと何度いったら聞き入れていただけるんですか?」
「うるせぇ、自分の体のことぐれぇ自分で…」
「お判りになられていないから、体調を崩されるんです。今度こそ本当に凍死してしまいます!」

ほら、唇が真っ青です、と手鏡を土方に向ければ、真っ青な唇をした土方が写りこんだ。
流石にぐぅの音もでなかったのか、押し黙る土方。

「今すぐ温まるものをお持ちします。ですから、ほんの少しでかまいません、お休みになられてください」
「平気だ、それより…」
「駄目です。そんな青白い顔で会議に出席なさる気ですか?榎本さんに追い返されてしまいますよ」

千鶴は容赦なく土方の言葉を切って捨てる。
これくらいしないと、彼は休んではくれないのだ。それがどれだけ周囲に心配をかけているのか、そろそろ理解してほしいのだが、と千鶴は困ったように目尻を下げた。
その表情を見た土方は、冷たくなった指を彼女の頬に伸ばした。

「泣いたのか」
「…え?」
「泣いたのかって聞いてんだよ。跡が残ってるじゃねぇか」

どうやら、柔らかな布で拭き取ったくらいでは彼の眼は誤魔化せなかったようだ。
気まずそうに千鶴は視線を下に落とす。

「…夢を」
「…夢?」
「夢を、見たんです。皆で、お花見にいった時の夢を」
「…」
「懐かしくて…」

全てを言い切る前に、土方は千鶴を引き寄せた。
そうすれば、彼女は大人しく彼の腕に身を寄せた。

「あったけぇなぁ…子供みてぇな体温しやがって」
「土方さんが冷え切ってるんです」
「そうか…なら、俺が温まるまでしばらくこうしてろ」
「…はい」

ふとした瞬間に落ちてくる優しくそれでいてどこか悲しくなる記憶の欠片。
いつか、笑いながら穏やかな微笑とともに思い返すことができるのだろうか。
今は千鶴も、そして己も無理そうだと土方は自嘲の笑みを浮かべながら目を閉じた。




end
 

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