頂き物

□特別な旋律
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「………ん、よし」
 先程書き上げた書状を見直して、書き損じが無い事を確認する。
 そしてそれを綺麗に折り畳み…一息吐いた。
「ふう。こんなもんか…やっと終わった…」
 ずっと書類と睨めっこしていた所為か目がチカチカする。
 両手を思い切り上に伸ばして凝り固まっていた背筋を伸ばした。
「もうちっと早く終わりゃぁな…」
 思わずポツリと零れた言葉は、先程部屋を訪ねて来た原田達の誘いを断った為だ。
 近くの神社で祭りがあるから一緒にどうか、と彼等は言った。
 しかし土方の手元には明日の朝一番で届けなくてはいけない仕事があったのだ。
「今頃、楽しんでりゃいいが」
 仕事があるから行けないと断った時、寂しそうな表情を見せた少女の姿を思い起こす。
 そのまま黙って居れば、ならば自分も行かないと言い出しそうだった彼女を無理やり追い出したのだが…。
 ちゃんと楽しめているのか気になるのは仕方がないと思う。
 彼女は自分の事よりも周りの事ばかり気にかける。
 
「もっと甘えさせてやりてぇんだが…それは俺の役目じゃねぇし」
 土方は、新選組の鬼でなければならない。
 多くの隊士をまとめる為には非情にならざるを得ない場面があって。
 それは局長である近藤ではなく、己の役目なのだと自負している。
 だからこそ、彼女を甘やかしてやれるのは自分の様な男ではなくて原田の様な男の方が適役なのだろう。
 それが分かっているのか、たまに土方を見て困った様な呆れた様な顔で笑うのだ。
「しかし仕事が終わると、無償にあいつの淹れた茶が飲みたくなんだよなぁ…つか、さっきから独り言ばっかじゃねぇか俺は…はぁ………ん?」
 自分の独り言の多さに項垂れかけた土方だったが、不意に聞こえたその【音】に思わず耳を澄ます。
 それはいつもの様に縁側の方から聞こえて来る。
 とんとんとん、と小さな音。
 この新選組の幹部ばかりが住まう棟でこの様に小さな音を立てて歩く者は一人しか居ない。
 しかしその音を立てるものは今ここには居ないはずなのだが。
 だが、その音は土方の部屋の前で止まり、次いで、かたりという音も聞こえた。
 廊下に何かを置いたのだろう。
 そして、
「土方さん、お茶を淹れて参りました」
 と耳に馴染んだその声がかけられた。
 いつもなら『おう』と答えている所なのだが、居ないと思っていただけに返事をする機会を逃してしまう。
 それを不思議に思ったのか、障子戸の向こうに見えている影が小さく首を傾げる様に動く。
「土方さん?雪村ですけど…。………いらっしゃらないのかな?」
 後から聞こえた声が少し残念そうに聞こえたのは、きっと間違いではないはずだが。
 そう思いつつも土方は返事を返さないまま静かに立ち上がり障子戸に近付く。
 そして、しゅる、と静かな音を立てて彼女との間を隔てていた障子戸を開いた。
「ふわっ!?ひ、土方さん??」
「お前」
「お返事が無かったのでいらっしゃらな」
「原田達と祭りに行ったんじゃなかったのか?」
「あ…いえ。あの…お断り、したんです。お洗濯物も畳み終わっていませんでしたし…」
 突然開いた戸に驚いた様に目を丸くしていた少女、千鶴は土方の問いかけに視線を逸らしながらそう答えた。
「俺の事は気にせず行って来いって言っただろうが」
 千鶴の態度でそれが嘘である事は容易に分かる。
 きっとそれは原田達にも分かったはずだ。
 それでも彼等は千鶴の言葉に頷き『なら、しゃぁねぇな』とでも言って千鶴を置いていったのだろう。
「それに…私は…土方さんのお小姓ですし…」
「………ったく」
「すみません」
「お前ぇは気が利き過ぎて、時々俺の事を陰から覗き見て監視してんじゃねぇかって本気で思うぜ」
「ふえぇぇっっ!?」
「ははっ嘘じゃねぇんだ、これが。…丁度お前の淹れた茶が飲みてぇって思ってたとこなんだよ」
「あ…はい。熱い内に、どうぞ」
「悪ぃな」
「いいえ」
 差し出されたお盆の上から土方好みのお茶が入った湯飲みを受け取ると、そのまま土方は縁側に出てきた。
「すっかり日が暮れちまったな」
「もう弦月(ゆみはりづき)が南の空の高い位置に昇ってます」
「もうそんな時期か。後七日もすれば十五夜…中秋の名月が拝めりゃいいけどな」
「お団子を作るって平助君と約束しているんです。土方さんにもお持ちしますね」
「楽しみだな」
「ふふっ」
 湯飲みを持ったまま庭先に足を垂らす様にして土方が縁に腰をかけると、千鶴も少しだけその側に寄り一緒に夜空を見上げた。
 あんなに暑かった京の夏も、もう時期姿を潜めそうな初秋の夜。
 時折吹く風がひんやりとして気持ちがいい。
「祭、本当に良かったのか?」
 千鶴のお茶を何口か飲んで、土方が千鶴を振り返って尋ねる。
「はい。お祭は好きですけど…」
「ん?」
「小さい頃父様に連れて行ってもらったことを思い出してしまって…ちょっと寂しくなっちゃったんです」
「鋼道さんと…か」
「飴細工や金魚すくい、色々楽しんだ記憶がありますけど…一番心に残っているのは父様と二人で聞いた祭囃子でしょうか」
「祭囃子か」
「笛や太鼓に鼓に三味線などで奏でられる御囃子がとても好きで。私その場から動こうとしなかったそうです」
「囃子…か」
「一度だけ、御神楽舞も見たことがあるんですよ。とっても綺麗でした」
「囃子なぁ…」
「土方さん?」
「ちっと待ってろ」
 まだお茶の入った湯飲みを縁側にことんと置いて、土方は部屋の中に戻っていった。
 千鶴は首を傾げてその様子を見守る。
 待てと言われたら待つ、それが千鶴だ。
 ただ、それでも何かごそごそと探す音が聞こえてくればやはり気になる。
 何となく部屋の中を窺い見れば、何やら土方は押入れの中から小さな行李を出して中を探っていた。
「お、あったあった」
 どうやら探し物は見付かった様で、それを手にした土方が千鶴の側に戻ってきた。
「なんですか?それ」
「これか?これは…」
 先程の場所にまた腰をかけて、手に持っていた布に包まれている物を広げて見せた。
「笛…ですか?」
「ああ。竜笛っていうんだが。実際見るのは初めてか?」
「はい。御囃子は遠くから見てましたから…」
「暫く吹いてねぇから間違ったり音を外したりしたら勘弁な。ま、笑って許してくれ」
 え?と驚く千鶴を縁側に置いて土方は縁の下にあった草履を履いて庭に出た。
「大したモンじゃねぇから期待すんなよ?」
 こちらを振り返った土方はそう言って、手にしていた竜笛に口を近づけ、奏で出した。
 突然の演奏に千鶴は口を開けたまま土方を見詰める。
 高く低く。
 流れる様な旋律。
 暖かく優しい音だと、千鶴は思う。
 しかもそれを奏でるのは新選組の鬼副長といわれる人なのだから更に驚きを隠せない。
 太鼓や鼓、三味線もない、笛だけの演奏。
 それでも弦月の薄明かりの下で聞く楽は心にすうっと沁み込んでいく。
 ふわりと吹いた風が土方の髪を宙に舞わせた姿に、
「綺麗…」

 思わず言葉が零れる。
 目も心も、目の前の男に捕まってしまったのだと、初心な千鶴は気付けない。
 だが。
 急に目頭が熱くなり、ぽろぽろと溢れ出る涙は止める事ができなかった。
「千鶴?あ…おい、何泣いてんだよ」
「す、すみまっ…ふぅっ…わっ私もっ…よく分からなっ」
 
 突然泣き出した千鶴に驚いてしまい土方の演奏が中断される。
「悪い。何か嫌な事を思い出させちまったか?」
 土方の言葉に千鶴はふるふると勢い良く首を横に振って否定する。
「ちっ違うんです…ひっく…とても…綺麗な旋律で…温かくて優しくて…感動しちゃっ」
「ばぁか。んな素人の演奏に感動して号泣する奴があるか」
「いいえいいえ、とても綺麗です」
「ったく…仕方ねぇな。意外と感激家だった千鶴の為にもう一曲贈ろうか」
「嬉しい…です!」
 泣き笑いの状態の千鶴に懐から取り出した手拭を渡し、再び土方は竜笛に口を近付け。
 まるで唄うかの様に旋律を奏で出した。
 

「お?」
 土方が最初に竜笛を奏で出した時、自室に居た近藤が手元の本から顔を上げた。
「この音は…トシか」
 ぱたんと本を閉じ静かに縁へと出る。
「トシの笛の音は相変わらず綺麗だな」
 嬉しそうに零した言葉に、
「女の人を口説く為に身につけた技術でしょ?あれ」
 楽しそうな声で言葉が返って来た。
「総司もいたか。祭には行かなかったのか?」
「人が多い所苦手なんで」
「そうか。…しかし、珍しいな。トシが笛を奏でるとは」
「こっちに来てからは…初めてじゃないですか?」
「そうだな。ちょっと行ってみるか」
「お供しますよ、近藤さん」
 二人は気配を消して音が聞こえてくる方へと歩いてゆく。
 土方の姿が見える場所まで来た時、そこに居るのが土方だけでは無い事に気が付き歩みを止めた。
 優しい顔で笛を奏でる土方の正面には涙を拭いながらその演奏に聞き入る千鶴がいる。
「雪村君の為に演奏していたのか」
「ほらね。やっぱり口説いてるじゃないですか」
「総司」
「邪魔するのもなんか癪だし戻りましょう、近藤さん」
「後からからかってやるなよ」
「え〜、どうしようかなぁ」
「こらこら」
 気配を消したまま二人は遠ざかる。
 それに土方は気付かないまま笛を奏で続けた。
 その後も何曲か違う旋律を奏で、その夜の特別な演奏会は終了した。

 もちろん。
 翌日しっかりからかわれたのは、言うまでもない。


終わり
 

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