その他BL

□モミジとキス
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・人狼大作戦回の後の話
・捏造設定あり





 クラウスに頼まれた少々ハードな“おつかい”の仕事を片付けたザップは、一仕事終えた解放感にふああと大欠伸をしながら事務所へ繋がる扉を開けた。人々が帰路につく時間帯で、世界は濃い橙色に染め上げられている。ザップも「これが終わったら直帰してくれて構わない」とクラウスから言われていたのだが、本日の宿を確保できなかったので事務所に泊まろうと思い事務所へ戻ることにしたのだ。
「荒事になると思う」とクラウスが言っていた通り血法を使って暴れる羽目になった。疲労はそれほど無いがとにかく面倒臭い仕事で、ザップはエレベーターの壁に寄り掛かりながら深く溜息を吐いた。
 面倒ではあったが神経を使う仕事だったわけではない。敵の下っ端の中にやたらタフで何度吹っ飛ばしても「まだまだあ」と血反吐を吐きながら起き上がってくる異界人がいたのだ。
「折角雇ってもらったんだ、役に立ってみせる」と張り切って向かってくる下っ端異界人を前に、ザップは「おうおう試し切りの役に立ってもらおうじゃねえか」と何度も斬ったり蹴り飛ばしたりした。だが、再生能力がすさまじい体質の異界人らしく、何度倒れてもしつこく起き上がってくる。それでも痛みや精神的ショックは残るらしく手足はガクガク全身ボコボコ、何故立ち上がれるのが疑問なほどだった。そんなボロボロの有様でも「まだまだあ」と向かってくるのだ。
 仕事は仕事なので容赦はしないが、ふらふらと手を前に突き出し、最近歩き出した幼子のような覚束ない足取りでこちらに向かってくる姿に、ザップはなんともいえない気分になって顔を顰めてしまった。
 結局斬る気が失せてしまい、タコ殴りにして気絶させるに留め、近くにあった縄で柱に括り付けて帰ってきた。重要情報も与えられていない下っ端中の下っ端だろうし諸々の後処理はそれ専門の構成員に頼んだので悪いことにはならないだろう。
 到着したエレベーターから降り、凝った気のする肩をぐるぐる回しながら廊下を歩いて執務室のドアを開ける。橙色と影の色が落ちる広い執務室の中には誰もいない。時間も時間なので全員帰ったのだろう。小うるさい後輩達に文句を言われることなくくつろぐことができると思ったザップだったが、テラスに繋がる窓がひとつ開いているのを見て少々落胆した。
 執務室を留守にするとき、戸締りは厳重に行われる。ひとつでも窓が開いているなら誰かがいるという証拠だ。折角広い執務室を独り占めしてごろごろできると思ったのに、とザップは顔に不満を浮かべて窓へ近づく。誰かトイレにでも行っているのか、はたまたテラスにいるのかを確認しておきたかった。
 ザップはひょいとテラスを覗く。
 霧と夕暮れの世界の中、逆行で黒く染まるビルの群れや光を反射して煌めく無数の窓が見える。なにも変わらないHLの風景。だが、明らかにいつもと違うものがひとつ。
 手摺に両腕を乗せて項垂れる、辛気臭い男の背中。
 ザップは、この人かあ、と内心大きく溜息を吐いた。普段は伊達男だなんだと構成員達から言われる副官は、ザップが仕事に出る前からずっとこんな調子で落ち込んでいる。
 こちらの気配にはもう気付いているだろうし、放っておくことも出来ないのでその背中に声を掛けた。

「スターフェイズさあん、いつまでそうしてんすかあ」
「……俺は疲れてるんだよ……お前の相手をしている心の余裕もない……」

 張りの無い弱々しい声にザップは「そうは言いますけどねえ」と肩を竦め、橙の世界の中で黄昏る男へと近づいていく。隣に並ぶと三十二歳のしょんぼり顔を覗き込むように腰を曲げた。

「そんな風に、俺落ち込んでまーすって辛気くせえ顔してる上司がいたら声かけざるを得ないでしょうが」

 どんだけヘコんでるんすかと訊ねれば、スティーブンは腕に載せていた顎を持ち上げちらりとザップを見、不貞腐れた声でもう一度「うるさい」と文句を言った。
 その頬に走る大きな傷痕――よりも色濃く刻まれた赤い掌の痕が、本日のスティーブンの落ち込みの理由である。
 人狼局が担当した事件と、完全に存在を希釈させたことで消失寸前の危機に陥ったチェインの帰還。同じ力を持つ仲間達の中でも頭一つ抜けた実力を持つ不可視の人狼、そんな彼女をこの世界に留める為の楔は“スティーブンが突然チェインの部屋を訪れること”だった。
 そして、その符牒の通りチェインの部屋のドアを開けたスティーブンが見たのは、衝撃的なほどの汚部屋と、とんでもない表情でゴミを片付けるチェインの姿だった。

「……本当に、一体どうして俺がこんな目に……」

 数カ月水やりを忘れられた植物のようにしなしなとした様子でスティーブンはぶつぶつ呟く。ザップが一仕事終わらせに行く前にも話は聞いてやったのだが、気分は下降したままのようだ。
 左側に立つザップからは、伊達男の顔に刻まれた赤いモミジが良く見える。実に濃い赤だ。スティーブンの顔面にこれが刻まれて数時間は経つというのに全く色が薄くならない。どれだけの力で引っ叩かれたのか想像するだけで背中がぞっとする。それでもそこはザップ・レンフロで、最初は深刻に聞いていたが所詮他人事、しかもライブラ一の伊達男の身に降りかかったのかと思うと少々面白かった。その感情を少しでも顔に出せば確実に蹴られて凍らされるので、ザップはぐふっと吹き出しそうになるのを顔の下に隠しながらスティーブンの隣に並んでいる。

「椅子をぶつけられて、挙句にビンタだぞ……頬だけじゃなく歯まで痛くなってきた……」
「手首のスナップ効いてたんでしょうね」
「効いてた。風を切る音が聞こえた」
「うーわひっでえ」
「符牒通りにしたんだぞ……俺なにか悪いことしたか……!?」
「何遍言ってんすかそれ」

 嗚呼、と嘆きながらまた腕に顔を埋める。割と可愛がっていた部下の救出がきっかけでここまで理不尽な目に遭わされたスティーブンの気持ちは分からないでもない。だが、女なんてそんなもんだろうと思っているザップには落ち込んだきり浮上できないスティーブンの方が分からなくなってくる。本音を言うなら、ふたつの意味で呆れていた。
 そろそろ笑い話にできそうなもんだけどなという呆れと――ここまでされたのにまだチェインの心情を察することができないのかという呆れ。
“スティーブンが突然部屋を訪ねてくる”が符牒にされているならいくらなんでも察しがつきそうだがとザップは思う。更に、冷静さに定評のあるチェインが汚部屋を見られて絶叫し動揺のあまり椅子をぶん投げる、挙句ガチ泣き、人狼局の女性からはビンタとくれば尚更だ。その方向の話には鈍いらしいクラウスや童貞のレオナルド、まだそういったことに疎い様子のツェッドなら分かるが、スティーブンが「どうして、意味が分からない」と繰り返していることの方が、ザップには意味が分からない。
 大方年頃の娘が汚部屋を見られたことで大パニックを起こした程度にしか考えていないのだろう。チェインがそこまで我を忘れて大暴れした理由を深く考えていない。他人の恋だ、首を突っ込むような野暮はしないがスティーブンの察しの悪さには流石に渋い顔をしてしまう。
 なんだかなあこの人。そう思うザップの雰囲気の変化に気付いたのか、スティーブンが冬ごもりから出てきた熊のようにのそりと顔を上げてじっとりした目で睨んできた。

「なんだよその目は。馬鹿にしてんのか」
「してませんて、トゲトゲしすぎでしょ。つーかスターフェイズさんくらいの良い男なら修羅場のひとつやふたつ潜ってきたんじゃないんすか? 女にビンタされたくれえでそんなにいじけないでくださいよ」
「修羅場にならないようにするだろ普通は。大体な、ヒステリーには無縁ってくらい冷静で実力もあって信頼してる部下にこんな理不尽な目に遭わされてかつその姉貴分にビンタされても、少しもヘコむな落ち込むな、なんて言われたらお前だって無茶言うなって思うだろ」
「……いやアイツ結構ヒステリー起こしてません?」
「お前限定だろ。しかもそれは大半がお前の浅はかな行動がきっかけで起きてるだろうが」
「あれースターフェイズさんもしかしてこの怪我見えてません? これに関しては俺完全に被害者だと思いますよ? なにもしてねえのに窓から急にドガーンっすよ?」

 そう言って自分の両頬を交互に示す。片方には薄くなったがまだ残っている靴の痕、もう片方には大きなガーゼが貼られている。花瓶を持ってきたチェインの一撃によるものである。手摺に頬杖を突いたスティーブンは見向きもせず「例えばアイツはレオやツェッドには手を上げないだろ。彼女だって人畜無害な奴にはなにもしないんだよ。つまり日頃の行いの結果が出てるってわけだ」と返すだけだった。他の構成員が聞けばうんうんと頷くであろう正論にザップは「けっ」と悪態を吐いてみせた。

「まあ俺のことは置いといてっすよ、スターフェイズさん。天下の伊達男がちょっと女難に合ったからってぐちぐち言い過ぎじゃないっすか? 犬女も無事なわけだし、スターフェイズさんも鼻血とビンタくらいで済んでよかったって思った方がいいっすよ」
「……そりゃそうだとは思うんだけどなあ」
「大体ビンタくらいでなんすか、俺なんてしょっちゅう刺されてんのに」

 こことかこことかと腹のあちこちを指で示すと、スティーブンが「お前と一緒にするなよ」と溜息を吐く。話しているうちに少しはマシになってきたが、それでもまだ元気がない。ザップはああクソ、と頭を掻き毟りたくなった。いつもおっかない副官様だが、いつまでもしょんぼり顔で背中を丸められているとこちらの調子も狂うのだ。
 本当なら匙を投げてこの場を後にするところだが、今日はこの事務所に泊まるつもりでいるので放置するのも雰囲気がよろしくない。外に逃げて少し時間を潰すのも考えたが、戻ったときにまだこの男が事務所に居たら逃げた立場としては気まずいことこの上ない。今更別の寝床を探すのも億劫だった。
 さっきまで対峙していた異界人のタフさを見習って欲しいと心底思う。何度斬られても刺されても「まだまだあ」と立ち上がるあの凄まじい精神力が今のスティーブンには必要だ。欠片でもいいから分けてやってくれと、自分が散々攻撃して挙句柱に縛り付けた異界人を思い浮かべてザップは願った。
 そうこうしている間にもまた重たい溜息を吐いたスティーブンに、ザップは作り笑いを浮かべて右手でグラスを持つジェスチャーをする。



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