その他BL
□ほしよむふたり
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小さな革袋からじゃらじゃらと星が落ちてくるのを、幼いザップは無意識に口を開いたまま見つめていた。
焚き火の光を反射してきらきらと光を振り撒く、冷たくて、ころころしていて、掌に握り込めるくらいの大きさのそれ。
色を砕いて混ぜたような石を地面に広げた黒い布の上に散らばらせ、骨張った怪物のような指が掻き回すのを見るのがザップは好きだった。
布切れの上に雑に放られた二十八個の鉱石や水晶の粒は星を表すらしい。それを一個無造作に放り投げ、ぶつかった赤と青の石が弾けて、また別の石を拾い上げる。一見規則性の見つからない動きでも、ひとつひとつに意味があるそうだ。
じゃらり、かちん、かちん。
ザップは星の欠片が立てるその音が好きだった。修行の最中には聞くこともない、耳に心地好い音。それを聞くと、今日も終わったのだと全身から力が抜けていく。
「なあ師匠、それってなんなんだ?」
稀に――本当に極稀にこの水晶達は革袋から取り出され、こうしてぶつかりあう。それを前々から不思議に思っていたザップは訊ねた。“師匠”がそれをするときは妙に昂っているというか喜んでいるというかわくわくしているというか、つまり機嫌が良いのも不可解だった。
現にいつもなら「下らぬ質問が出来る程に体力が余っているなら研鑽を続けるぞ」と地獄の宣言を受けるところだが、ザップの師匠は被った骨の奥にある目を僅かに細めただけだった。
――会話よ。
シャシャアと、常人には聞き取れぬ声でそれだけを言った。
すでにその声に慣れて、そして自らも同じ音で話すようになっていたザップは「かいわ?」と返す。
かちん。じゃらら。地面に頬杖をつくザップの目の前でまた星が弾けた。
――この辺りの化物は全て狩り尽くした。次はどこに良い獲物がいるか、訊ねている。
「石に?」
かちっ、と。ぶつかりあったふたつの水晶のうち、赤の方が欠けた。平べったい欠片がくるくると回りながら宙を舞い、ザップの目の前に落ちる。それを拾い上げてしげしげと見つめれば、「星にだ」と空気の摩擦音が言う。
――これを通し星に訊けば、世の全て分かる。
「なんで?」
――星は空にある。空の下に世界はある。そして人にも、生まれもって宿した星がある。ここまで言ってもまだ星に見えぬものがあると思うのなら、貴様の頭は蛆以下よ。
「……ふうん」
正直さっぱり分からなかった。血闘神と呼ばれる男の言葉は幼いザップには――大人になったザップにもだが――難しすぎる。
星が踊る。音が響く。ザップにはそれだけでよかった。それが楽しかった。黒い布の上のあちこちに広がる石は星空を思わせる。見上げればそこには本物の星空があるのだが、今は目の前の宇宙に夢中だ。
――興味があるか。
唐突な言葉にザップは「え」と小さく声を上げた。
――星もお前に興味を持っている。好かれているな。
長い指がまた星を弾く。
――蛆以下の腐れ脳味噌に覚えられるかは知らぬが、意欲があるなら教示してやらぬことはない。
こいつは珍しいぞとザップは内心色めき立つ。普段は敵を殺すことかザップを半殺しにすることにしか興味が無いのだろうというほど冷酷な殺人雑巾骨が、自分に、技以外のなにかを教えようとしている。思わずまじまじと骨の奥の瞳を見つめれば、シャシャシャ、とまた音がした。
――ふむ。糞以下の脳には無理なことか。下らぬことを言った。
「無理じゃねえし!! つーか糞って生き物ですら無くなってんじゃねえクァヘグッ!?」
――騒ぐな。気と星が散る。
杖の先端で容赦なく喉を突かれたザップはもんどりうって倒れ、首を押さえて悶絶した。まだ喉仏も出ていない細い首を痛め付けられたザップだが、これしきで折れる心など持っていない。ザップは素早く身体を起こして師匠の傍までにじりよった。
「俺、覚えたい! それ教えてくれよ師匠!」
ぜってえ覚えるから!
そう言って熱心に見上げるザップを、血闘神は感情の読めない、蛍の光のような瞳で暫し見つめる。ザップは怯まずその目を見つめ返す。
挑発のような罵倒をされたから退けなくなったわけではない。
ザップは星が弾けるのを見るのが好きだった。自分の目の前に広がる小さな宇宙で世の中の全てを見通せるというのにも興味があった。なにより、ただの気まぐれでも師匠が自分に戦闘以外のなにかを教えてくれる――そのことが幼心にうれしかったのだ。
やがて、焚き火の中の薪ががらんと崩れたのをきっかけにしたように、血闘神の指がちょいと動いてザップを呼んだ。ザップはぱっと目を輝かせ、赤い水晶の欠片を握ったまま師匠の隣に座った。
――一度で覚えろ。さもなくば無能なその頭を吹き飛ばす。
「いちいちおっかねえなあ」
かちん、かちん。
星を転がす指とシャシャアと説明する声を記憶に刻み付けながら、ザップは形を変えていく小さな宇宙を覗き込み続けた。
*
かち、かちん。
夕方の事務所に硬質な音が響く。
しんと静まり返った部屋の中、ザップはその手から、ぽん、と丸いガラスを放つ。落下する先には無数かつ色とりどりの平べったいガラスがあった。先程からザップはガラスを拾っては投げ拾っては投げを繰り返していた。
一見無造作に投げているように見えるが、すべて意味がある。弾かれたガラスが示すのは、向かいに座る男が持つ運の流れだ。投げたガラスの散らばり方で相手の運勢を読み取る。それが斗流創始者直伝の占いだ。
ザップはテーブルに広がるガラスの様子を見て「んー」と唸る。
「今週はいい感じっすね。交渉が上手くいくみたいです。ただちょっと身体壊すかもって出てるから……えーと、ああ、酒かこれ、酒控えた方いいです」
「ふうん」
顔を上げれば、向かいの席には顎に人差し指と中指を当てて興味深げにテーブルを眺めるスティーブンがいた。ザップが占っていたのはこの男の今週の運勢だ。
「身体を壊す、か。酒ってことは肝臓か?」
「ちょおっと待ってくだせえ……っと」
ザップはガラスの中から赤い欠片を拾い上げた。それはガラスではなく水晶の欠片だ。無数に散らばる安っぽい光の中で、それだけが本物の輝きを帯びている。
欠片とはいえ宝石店に並んでいてもおかしくはないほどの逸品をザップは躊躇いなく投げてガラスに当てた。
かちん。
「……あ、内臓じゃねえ。二日酔いだわこれ」
「二日酔い!?」
「ゲロです。ナイアガラ、マーライオン。ケロケロっと。セーブしながら飲んだ方がいいっすよ」
暫しの沈黙の後、スティーブンが溜息を吐いた。そこに含まれているのは呆れではなく感嘆。それを間違えずに読み取ったザップはにっと笑った。
「……すごいな。何回見てもわけがわからん。なんでこれで分かるんだ?」
「それ答えにくいんすよね。分かるからとしか言えねえし、教えられる自信もねえや」
「これでぴったり当ててくるから不思議だよなあ」
そう。ザップの占いは“占い”と言うにはあまりにも異常なレベルで当たる。未来を予知していると言った方が正しいのではというくらいだ。
そもそもザップが占いが出来るということをライブラメンバーに知られたのは、K・Kがきっかけだった。
K・Kは一流の狙撃手。遠近問わず戦える上に積み重ねた経験から下される判断も正確だ。それ故に彼女はライブラの任務では引っ張りだこになり、休暇が潰され別の日に振り替えられるということがしょっちゅう起きる。それはK・Kの予定がしっちゃかめっちゃかにされるということで、彼女は頭を抱えて悶絶していた。
「子供と約束してた公園ピクニックまたドタキャンしちゃったあああ、三回連続ドタキャンって最低じゃないこのままじゃ嘘吐きドタキャンママの称号ゲットしちゃうどうしようどうしようどうしようああああああ」
凛としたうつくしい顔をぐしゃぐしゃに歪め滝のような涙を流すK・Kを見兼ねたザップは、「あ、じゃあ一発占ってみますか!?」と懐から占い道具の入った革袋を取り出した。それがすべての始まりだ。
「ザップっちそんなこと出来るの?」と鼻を啜るレディを宥めながら占うという奇妙な光景を繰り広げつつ、確実に休みが取れる日にちを読み取り告げれば、K・Kは「その日はマフィアのアジトへの突入任務よ」としょんぼり肩を落とした。
だが、ザップはごり押した。
「大丈夫大丈夫絶対イケますマジイケます安心してバシッとこの日ピクニックに行くわよって言っちゃってください、外れたら俺のこと呪っていいんでマジで!」
藁にもすがりたい気分だったのだろうか、自信満々に言うザップに押し切られるようにK・Kはその場で息子達に連絡した。
「駄目でも呪ったりしないわ。だけど代わりにザップっちの頭撃っていい?」と光の無い目で呟くK・Kにザップは満面の笑みで「そんときゃミンチでも奴隷でも好きにしちゃってくださいよ」と頷いた。
そして当日。K・Kは休暇を取ることが出来た。突入任務が前倒しになったことでその日が休みになったのだ。その報せを受けたK・Kは両膝を床につけ両手を天高く伸ばし、上半身と白い顎をぐっと反らして歓喜に打ち震えていた。某戦争映画の登場人物が取るあのポーズに限り無く近かった。
休暇の翌日、事務所に顔を出したK・Kはザップの身体がぐにゃりと曲がるほど力強くハグをして何度も感謝の言葉を口にし、はしゃぎながらメンバーに事情を説明した。
メンバーは最初信じていないどころか「あのチンピラ屑が占い?」と鼻で笑ったり生暖かい目で見つめてきた。だが、その態度に激怒したザップがメンバーの最近の運勢を占い、彼等の身に起きた出来事を次々当ててみせたことで事態は一変。あまりの的中率の高さに面白がってザップに占いを頼むようになった。
すごいすごいと賛辞と歓声を浴びるのは、褒められ慣れていないザップの鼻をぐんと伸ばした。やがて噂が噂を呼び、普段あまり顔を合わせないメンバーまで事務所に訪れてザップに占いを頼むようになった。当然ザップも調子に乗り、見返りを要求しながら占った。ザップの周りには人だかりが出来た。
だが、それも泡沫の栄光。ザップはほんの一月で占い師を廃業する羽目になった。
ザップが求めた占いの見返り――つまり料金が高いというのも勿論ある。だがそれ以上に、ザップの占いは当たりすぎたのだ。恐怖を覚えるほどに。
今週は健康運が悪いと言われれば確実に怪我や病気にかかる。「こんな街じゃ怪我も病気も日常茶飯事だろ」と笑って自らの恋愛運を訊ね、最悪という結果を告げられた男はその二日後“付き合っていた女が実は人間の皮膚を被って擬態する異界人で、誘惑して自宅に連れ込んだ相手を殺し闇ルートで臓器を売り捌く売人”だったことが判明、血みどろの争いの後破局した。彼女の死を以て。
そんなことが続き、ザップに占いを頼む者は減っていった。悪い結果を告げれば怖がられ、良い結果を言っても客を無くしたくないから嘘を吐かれてるんじゃないかと疑われてしまったのだ。信用の無さは日頃の行い故だが、それにしてもひどい言い掛かりである。しまいには「もうお前はなにも言うな」「占うな」とまで言われてしまった。中指まで立てられた。親指は下に向いていた。
星が出す結果はザップにもコントロールは出来ない。ザップには星を見て読み取ることしか出来ないのだから。そんな自分ではどうしようもない部分を理由に中指を立てられる(もしくは親指を下に向けられる)のは良い気分ではない。だが、ザップはそのことよりも折角いい小遣い稼ぎが出来たのにそれが台無しになったことに肩を落とした。悪評より金。いや、悪評にまったくへこまなかったといえば嘘になるが、数日前までずっしりしていた財布が軽くなったことの方が心を傷付けた。
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