千変万化

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 あ、またやっちゃったか。
 そんな諦観に満ちた言葉が浮かんだのは目の前の青年の化け物じみた力を知っているからだ。
 街が動きだす早朝に頭から血を流しながらやってきた青年。その青年がおぶっている血塗れの人間を見ながら闇医者は肩を竦めた。

「おはよう静雄。朝から物騒だね。その背中の人は?」
「ああ…」

 静雄と呼ばれた青年は言い淀み、それから肩に乗っている血塗れの頭に目をやる。その仕草に闇医者は眉を寄せ、恐る恐る口を開いた。

「…まさか死んでる?静雄、俺は遺体の処理までは請け負えないよ」
「墓に入りてえみてえだな、あぁ?」
「許してください」

 静雄の腕力…身体能力の異常な高さをよく知っている闇医者は腰を直角に折って頭を下げる。それを見た静雄はふんと鼻を流すとまた背負っている人間を見た。

「気絶してるだけだ。お前ならなんとかなるだろ。つーか、しろ」
「相変わらず傍若無人だね…まあいいや、入って。後ろの人は何処から出血してるか分かる?」
「いや、なんか全身血塗れだから」
「…君って奴は…」
「俺がやったんじゃねえよ。説得力ないけどな」

 静雄は苦々しげに顔を歪めながら靴を脱ぐと埃一つ落ちていない廊下を歩きだす。闇医者は気を失っている人間が頭に包帯を巻いているのを見てすぐさま「あまり身体を揺らさないようにして」と忠告した。静雄が顔を歪める。

「歩かなきゃ入れねえだろ」
「静雄じゃなくて、その後ろの人。あと前もって言っておくけど、僕が診てうちの設備じゃ駄目だと思ったら問答無用で救急車呼ぶから」

 この怪我だとねえ。含みのある呟きをすると静雄は珍しく真面目な顔をした。

「頼む。新羅」
「まあ取り敢えず診てみるよ。奥の部屋に運ぼう」

 闇医者…新羅は表情を引き締めてフローリングの上を静かに歩く。幼なじみの滅多に見せない一面に戸惑いながら。


♂♀


 一番奥の部屋に入るとベッドに血がつかないように厚い布を敷く。新羅の目配せに気付いた静雄はそっと背負った人間をベッドに下ろした。小さく上下する胸を見て新羅は首に聴診器をかけラテックス製の手袋をすると血塗れの人間に近寄る。

 さっと素早く上から下まで視線を巡らせて怪我の具合を診た。

 頭には包帯を巻いてぐったりと目を伏せている患者。目を引くのはその生白い身体とその身体を包む着物だ。
 眉を寄せた新羅に気付いた静雄が「変わった格好してるよな」と呟く。

「変わったっていうか…」
「ん?」
「いや、見てよこの作務衣。黒とか藍色なら分かるけど、模様無しの白なんて滅多に見ないよ」
「作務衣?…ああ、この服か」
「うん…それに見てよこの合わせ。死人だ」

 新羅は眠る怪我人の頭に手を伸ばす。ここまで血が染みている包帯なら外したほうが衛生的だ。合わせの意味が分からず首を傾げる静雄を無視して包帯を解くと、固まった血がぱらぱらと落ちる。
 それから部屋に置いてあるガーゼを濡らし、慎重に額の血を拭う。血がすげえなと呟く静雄にもガーゼを渡した。

「静雄も」
「手伝えばいいのか?」
「そうじゃなくて。静雄も怪我してるだろ?まあ静雄なら大丈夫だろうし診るのは後にするけど、せめて血は拭いときなよ」

 すっかり忘れていたようで「あ」と呟く静雄。おとなしく血を拭い始めた静雄を見て新羅はまた手を動かす。

「まさに屠所之羊といった姿だね、生きているのが不思議なくらいだ。この子、一体どうしたの?」

 少し声を低くした新羅に静雄はあーと間延びした声を上げてから答えた。

「朝っぱらから妙なガキ共に絡まれて頭ぶん殴られたんだよ。んで、やり返してたらコイツが俺を止めた」
「へえ。暴れてる君に近づくなんて度胸あるねえ…それで?私にはこの子が君と竜攘虎搏の戦いが出来るようには見えないんだけど」
「…日本語喋れよ。あとコイツとは喧嘩もしてねえ。会ったときからこんな怪我してたんだよ」

 静雄はその時のことを思い出すように目を細める。

「俺の服の裾、掴んでよ。頭から血が出てる、手当てしないとって」
「…出血量だけならこの子のが圧倒的だけどね」

 頭だけじゃないし。そう続けた新羅に静雄も頷く。

「俺も何言ってんだコイツって思って、なんか冷静になった。そしたらコイツが急に倒れて」
「僕のとこに来た、と。一体何があったんだろうね」

 相槌を打ちながら新羅は作務衣の合わせに手を伸ばした。
 一瞬静雄を部屋の外に出すべきか考えたが、その怪我人の喉にほんの僅か飛び出た喉仏と平たい胸を見て「男なら平気か」と安心する。
 新羅は“首のある女”に興味は無い。だが静雄は意外と純情だし、この怪我人もいくら意識が無いとはいえ第三者(というのは語弊があるかも知れないが)である静雄に裸を見られたら嫌だろうと考えたのだ。

 それにしても、と新羅は眉間の皺を深くする。
 女性的な顔立ちの男というのはそう珍しくはないが、目の前で眠る少年は色々とちぐはぐだった。
 喉仏はよく見ないと気付けないほど小さく、輪郭も柔らかい。体毛も薄いし手も小さいが身体は細身ながらしっかりしている。
 そしてなにより。

「…ねえ静雄。この子、声変わりしてた?変声期って感じ?」
「ん…もう終わってんじゃねえか?普通だったぞ。まあ確かに少し高かったけど、変声期ではねえな」
「それならただ身長が高いだけの子供ってわけじゃなさそうだね」

 そう言うと新羅は少年の手を取って静雄に見せた。

「見てよ、この手」
「あ?」
「声変わりしている男の手にしては白すぎるんだ。まるで産まれたばかりの赤ん坊だよ」

 産まれたばかりの赤ん坊。その例えの他に新羅は同居人の肌の色を思いついたが、それは言わないでおく。例え静雄相手でも自分の口から愛している女の肌の色を伝えるのは嫌だったのだ。

「あばら骨が浮き出てるわけでもない。何かの理由で日の光の当たらない場所で平々凡々と生きてきたってことも考えられるけど、それならなんで死装束みたいな物を着ているのか。そして何よりこの怪我はなんなのか…普通は街をぶらぶらしないで病院に行くよね。ましてや池袋最強の男の喧嘩を止めたりはしない」

 懸河之弁。すらすらと言葉にすることで現状の整理をしながら新羅は考える。

 今はっきりとしていることは、目の前で眠る少年の異常さ。
 可能性があることは、この少年が何かただならぬ場所からやってきて、ただならぬ事情を抱えていることだ。

 頭に闇がつくが一応医者である新羅。だが新羅は無償で誰かを治療する善人でもなければ、法外な治療費をふっかける程の悪人でもない。
 新羅にとって一番大切なのは、愛しい愛しい同居人との平穏な生活。もしその為ならばきっと世界ですら敵に廻せる。

 もし。もし目の前の少年が新羅と同居人の生活を脅かす要因になりえるのであればーー…。


 だん。めき。


「っ!」

 何かが押し潰されて歪む音。
 新羅はその音にびくりと背筋を伸ばした。
 “何の音”かを、新羅はよく知っているのだ。

「…新羅くんよぉ…」

 恐る恐る音の発生源を見る。
 そこには案の定、怒りに口元を引きつらせた静雄がいた。
 ーー置いてあった木の机に拳を半分めりこませながら。

「ぐだくだ言ってねえで、やることやれよ…なあ…?」
「はいいっ!」

 じろり。まだろくに血を拭い切れていない顔が新羅を見て怒りの引きつり笑いを浮かべる。
 仕事柄強面の男達と接することが多く、しかし決して怖がりはしなかった新羅だが、今は長年共に過ごした(割にそこまで親しくもないが)幼なじみが何より怖かった。

 新羅は背筋をしゃんと伸ばし、丁寧に怪我人の手当てを始める。
 やらなきゃ殺られる。
 未だかつてないプレッシャーの中、新羅は今朝早くに出かけてしまった同居人の姿を思い出して泣きそうになった。


end

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