千変万化

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 星が落ちてきた。
 そんなロマンチックな言葉が浮かんだのはやっていたチャットの内容の所為だ。
 野次馬のざわめきと悲鳴が混じる人込みの先頭。星が去った路地を眺め、情報屋はぺろりと唇を舌でなぞってから笑った。


♂♀

 チャットルーム

 ーー獅子座流星群とか双子座流星群とか、わざわざ見に行く気になれませんよ。ここ新宿ですよ?
 ーーそうかな?
 ーー彼女につまんないとか言われない?
 ーーだって、星ったって結局ただの石じゃん
 ーー同感!

 ゴシック体が踊る画面を見ながら情報屋は机に頬杖をついた。
 情報屋が管理する新宿住人限定のチャットルームの中、顔の見えない人間が何の身にもならない会話を繰り広げている。

 どうやら比較的ロマンチストな女が集まっているようだと情報屋は笑う。それも強烈な、まさに恋に恋するという言葉が相応しい年頃の女が。

 ロマンチストな女達は、星をただの石と言った相手にやたらとつっかかっていた。ログインしてから発言をせず画面を見つめ続けている情報屋は手慰みにマウスのホイールを人差し指で回す。画面が上下移動を繰り返した。

 もう少しで荒れるかな。
 冷めかけたコーヒーを啜りながらページの更新をすれば、ほんの数秒の間に沢山の発言がされていた。擁護する発言、叩く発言と様々だ。
 情報屋はまた笑い、それからいきなり無表情になる。

「ハズレ」

 ぽつりと呟いた言葉。
 情報屋にとってチャットは趣味であり仕事の一環でもあった。
 人の噂は千里を駆けるとはよく言ったもので、その噂は広大なインターネットの力を借りると千里どころか世界を駆ける。そんなネットの中から正しい情報を見つけだすのが難しいのだが、そこがまた楽しい。
 無数のチャットに様々なハンドルを使い分けながら顔を出す情報屋の勘が、このチャットにはなんの有益もないと告げていた。

 ここ最近は面白いことが何もない。情報屋は退屈な毎日にうんざりしながら、明日の仕事について考える。
 そろそろ溜めてしまった書類を処理しなくては。
 ほうと溜息を吐きながら首の後ろを揉むと、冷め切ったコーヒーを捨てに行こうと立ち上がる。その前にもう一度だけと更新ボタンをクリックした時。

「ん…?」

 発言があった時に鳴る「ぽうん」と言う音と同時に、大きなフォントが画面に踊る。情報屋は腰を曲げて画面を覗き込み一瞬目を丸くすると、一定の感覚で更新ボタンをクリックした。
 カチリとクリックするたびにぽうんと場違いな音が響く。情報屋は目を爛々と輝かせ、自らの勘を裏切ってくれた情報を見つめた。

 ーーやばいやばいやばいww

 ぽうん。

 ーーなにが?
 ーー落ち着いてーww

 ぽうん。

 ーー俺の家の近くで自殺騒ぎ!飛び降りるかもwwやめろw焼肉の帰りなのにw

 ぽうん。

 ーーマジ!?
 ーー実況して!実況!(笑)
 ーーやべえの、あれ絶対そういう病院から出てきた奴だって!すげえ挙動不審

 ぽうん。

 ーー警察が説得してんの、でもフェンスよじのぼってる
 ーーあ、携帯からかあ
 ーーそういう病院って、メンタル的な?

 ぽうん。

 ーー写メ!写メ!
 ーーやばいやばいやばいやばいふぇんすのそとでた

 ぽうん。

 ーーやばいよなんなのあれ

 ぽうん。

 ーーちまみれ ふくちまみれ!

 その文字が出た瞬間、情報屋は素早くキーボードを叩いた。
 カタカタカタカタ、カチ、ぽうん。

 ーーえ、どゆこと?まだ落ちてないよね?
 ーーなに?
 ーー早く帰ったほうがいいよ!
 ーーそれ、どこですか?

 ぽうん。
 その音と同時に表示された場所を見て、情報屋は直ぐ様椅子に掛けていた上着を掴んで羽織る。いたの?やこんばんはという挨拶は見なかったことにして、足早にマンションを出る。

 落ちていないのに、血塗れ。
 誰かを殺したから死ぬのか、それとも別の理由か。それならその理由とは何か。
 どちらにせよ近場でよかったと思いながら、情報屋は早足で夜道を駆けた。



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