千変万化

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 現場を見つけるのは簡単だった。
 携帯で写真を撮るカシャカシャという音とフラッシュ、騒めきと警官の人払いの声。
 四階建ての小さなビルの屋上、フェンスの外にそれは立っていた。

「あーあ…」

 思ったよりも人が集まっていた。話を聞いてみようと思ったが無理そうだと情報屋は落胆する。それでもここまで来たのならとさりげなく人混みの中に入り込み、簡単に先頭までやってきた。

「飛び降りるかな?」
「下にマットとか敷くだろ」
「テレビ局に投稿したら金貰えるんじゃねーの?」

 恐怖と押さえきれない好奇心が混ざりあった声を背中で聞きながら情報屋は笑う。人のこの偽善と本心の囁きが楽しい。不謹慎だよと誰かを咎めるその顔に薄ら笑いが貼りついているのがまた笑いを誘った。

 やけに輝く月と星。いつもならネオンに消されるささやかな光が、まるで情報屋に事の顛末を見届けろと告げるように強く瞬いた。
 情報屋は切れ長の目を細め、フェンスの外側に立つ人影を見つめた。
 警官が説得する傍からじりじりと後退るその華奢な姿。話の通り白い服に赤黒い色がべったりとこびりついている。袖が長く風を孕んで膨らんでいるのを見るかぎり、服というより着物と言ったほうが合う気がした。
 前と背中にまんべんなく染み込んでいる赤黒い色に情報屋は眉を寄せる。

「ん…?」

 もしあれが人を殺した時の返り血なら、余程妙なやり方をしない限り前にしか血がつかない筈だ。なら何故背中にも血がついているのだろう。
 情報屋がそんなことを考えた瞬間。

「…!」

 ぐらりと、華奢な体が傾いた。まるで風に棚引いた柳の枝のようにしなやかに、儚く。
 縁から足が離れ、その体が落ちた。重い頭がぐるりと下になり、真直ぐに。
 きゃあっ、と、誰かが悲鳴を上げた。俯く、顔を逸らす、背中を向ける。警官でさえ驚愕に目を見開き、すぐさま顔を背けた。

 誰もが立場や好奇心を忘れて目を伏せる中、情報屋だけはその姿から目を逸らさなかった。
 満天の星空とネオンをバックに落ちてくるその体。

 星が落ちてきた。

 そう思った瞬間、落ちてきた星と目が合った。
 頭に巻いた包帯、顎の下や鎖骨の辺りまでをぐっしょりと血で濡らした星だ。情報屋は白い着物を濡らしていた赤が誰かの血ではなく星自身の血だったのだと理解する。

 そして星がふんわりと、今まさに死に往く者とは思えない柔らかな雰囲気を纏った瞬間、我に返った警官が情報屋の視界を塞ぐように立ちふさがった。情報屋が凄惨な現場を目撃しないようにする為の配慮だったのだろうが、その行動は情報屋の目をすうっと細めさせる。当然、怒りにだ。


 どさっ


 まるで砂袋を落としたかのような重たい音が響き、一瞬の静寂。それから絹を裂くような悲鳴があちこちから響きだす。
 騒めき揺れる集団の中、情報屋は無言で警官を見つめた。警官は情報屋に背を向けて周りに落ち着くよう声をかけている。

「邪魔」

 ぼそりと吐き捨てて制服を着た背中を睨み付けた。
 お陰で貴重な瞬間を見逃した。
 あの柔らかい雰囲気はなんだったのか。泣きだすのか、助けを求めようとしたのか、はたまた笑おうとしていたのか、それを知り損ねた情報屋は不粋な邪魔者を親の仇を見るような目で睨み付ける。

 じわりじわりとアスファルトを濡らす血。悲鳴を上げて硬直していた人間達が漸く事の次第に気付き、何かしらの行動を取り出した。
 口を押さえて立ち去る者、隣にいる同行人にすがりつく者、我に返るやいなや携帯を片手に写真を撮りだす者もいる。

 目の前の警官が人払いに動きだし、その体の向こうに血塗れで横たわる遺体を見た瞬間。

「…?」

 情報屋は目を細め、それからぱちぱちとまばたきをした。
 ーー今、動いた?
 疑問はすぐに確信に変わる。見違える訳がない。
 頭から落ち、おそらくは即死と思われる身体の、細く生白い指先。それが電気を通したかのようにぴくんと痙攣したのだ。

 情報屋はぞくぞくと背中を這い上る好奇心に口元を歪ませる。

「ああ…」

 面白い。また一つ“駒”が現れた。世界を引っ掻き回し混乱を呼び込む駒。手札。配下。
 思わず声を盛らした情報屋。

 ぴくり。もう一度、今度ははっきりと落ちた星が痙攣した。気付いた誰かが「生きてる!」と声を上げる。

 そう、生きている。その声がきっかけになったように、倒れていた血塗れの体が勢いよく起き上がった。満身創痍という言葉がよく似合う体には不自然な程、勢いよく。

 また悲鳴があがる。警察が振り向く。星がすぐに体を翻し、路地裏に向かって流れだす。

 方向転換したその一瞬、情報屋の赤い目と星の焦茶の目がかち合った。血塗れの赤黒い顔の中、夜空とネオンの光を閉じ込めたかのような瞳がきらりと光る。
 ーーすごい目。
 情報屋がそう思った時には星はもう暗い路地裏に消えていて、そちらに目をやっても後を追い掛ける警官達の背中が小さく見える程度だった。

 揺れる人垣、恐怖に引きつる顔が並ぶ中、情報屋だけは唐突に、そして久々に現れた“非日常”にぶるりと震えて笑いだす。

「…ああ。ああ、ああ!すごいなあ、すごいなあ!どうしてこう俺はツイてるんだろう!」

 独り言にしては大きい声も喧騒の中では誰の耳にも届かない。
 情報屋はすぐさまお気に入りのコートのポケットに手を突っ込み、携帯を取りだす。カチカチとボタンを押して電話帳を出すと通話ボタンを押し、それから情報屋は走りだした。
 星の消えた路地裏を、真直ぐに。

 根回しが必要だ。情報屋は笑う。
 あの星のような生き物を近々自分が巻き起こす騒動の中に導くために。より面白いものを見るために。
 今あの生き物が警察に捕まったら暫らくは表に出てこれない。
 情報屋はこれまでに築き上げた交友関係をフル活用して星を警察から逃がす算段を立てる。いや、捕まえにかかると言ったほうが正しい。


 夜道を駆ける情報屋は、それこそ数十分前のチャットの中にいたロマンチストのような幼く夢見がちな横顔をしていた。唯一違うのはその赤い瞳の中に鋭い光を宿していたことだ。


 ーーそれは情報屋が目の中に星を映す、二時間前の出来事。
 ーーそれは星がこの街の引力に縛られる、二時間前の出来事。

 ーーそれは星が人間に近づく始まりとなる、二時間前の、出来事。


end
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