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□カウントダウン(水→純)
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『ぜったいに、かくしごとはなしっ、ね』
俺が風海家に来てまだ間もない頃、純也はそう言って小さな小指をさしだしてきた。
男同士の、兄弟同士の約束だから、と笑って。
ある日突然できた兄との距離を埋めようと、幼い彼が必死に頭をひねらせた末にやっと見つけた案なのだろう。そんな様子がありありと見えて、俺は心の中で苦く笑った。
わかった、と言って少し強ばった小指に小指を絡めてやれば、嬉しそうに純也の顔がふにゃりと緩んだ。
そんな顔で見つめられるのがくすぐったく感じて、俺は照れを悟られぬようわざとぶっきらぼうに歌ったんだ。
『…ゆーびきーりげんまん
うそついたらはりせんぼんのーます…』
…不意に誰かに呼ばれたような気がして、我に帰る。
目の前には物珍しそうに俺の顔を覗き込む間宮君がいた。
「めずらしいですね、先生が何もしないでぼーっとしてるなんて」
いっつも難しい顔して本読んでるのに!なんて器用に顔真似らしきことをして見せる。
彼女が断りもなく研究室にあがりこむのはいつものことなので今更気にもならないが、なるほど、呆けてしまっていたのはらしくない。
このところよく昔のことを思い出す。原因は…はっきりとは言えないが、恐らく純也を取り巻く環境が変わり出したことにある。
純也が警察史編纂室に配属されてからというもの、彼を好く人物が目に見えて増えているのだ。
元来他人から好かれやすい性質であったのが、より発揮される環境になったということなのか…。
なぜ、兄である俺がそのことを必要以上に気にかけるのか。その理由は単純、俺は弟であるはずの風海純也に特別な感情を抱いているからだ。
いつから胸に巣食っていたのであろう、恋よりもむしろ劣情に近いその感情に自分自身で気がついた時には、罪悪感から何度もそれを拭おうとした。
何度も、何度も、諦めようとした。考えないようにした。
…だが、どうしても駄目だった。日に日に成長していく純也の男にしては白い肌が、やけに細い腰が、柔らかそうな髪が、真っ黒な目が、声が、そして変わらぬ笑顔が、じりじりと焦がすように纏わりついて離れなかった。
だから…消せないのなら、隠すしかなかったのだ。大事な純也との約束を破って、この背徳的な想いを。
その秘密を抱いて、俺は今日まで純也の「良い兄」として生きてきた。
だが−−
「そうだっ!先生、お客さんが来てるんですよ」
すっかり待たせちゃったー、なんて言いながら間宮君がパタパタとドアに駆け寄る。再び回想に耽っていたらしい俺は、その声に顔をあげた。
−−本当に、らしくない。
中にいれなさい、と顎で示すと、間宮君は勢いよくドアを開ける。
そこに立っていたのは、予想通りというかなんというか、純也だった。
「あ、突然ごめんね、兄さん。都市伝説絡みのことで意見を聞きたいことがあって…」
いつもと同じ柔らかな笑顔で、申し訳なさそうに話す純也の様子に、自然と顔が綻んでしまう。
あちこちから活きの良い挨拶が聞こえるところをみると、どうやら他の編纂室メンバーも一緒らしい。
「構わないさ、また妙な事件にでも出くわしたのか?」
「うん、実はね…」
呆れた、という良く通る女性の声が純也の言葉を遮る。−−賀茂泉君か。
「ちょっと風海君、何度も言うけど、一般人にそうホイホイと捜査の情報を渡していいわけないでしょう?」
「ええ、ですが賀茂泉警部補…」
「ですが、じゃないわよ!まったくあなたときたらいつもいつも−−っ」
「まあまあ〜、かごめ先輩も落ち着いてくださいよぉ」
宥めているのは、新人の羽黒君。賀茂泉君は「落ち着いてるわよ!」と噛み付くのも忘れない。元気なことだ。
「これまでだって、霧崎先生の助け舟のお陰で解決した事件もあるんでしょ?もしかしたら今回の事件だってそうなるかもしれないじゃないですか。それに幽霊絡みだって可能性も…」
「ゆゆゆゆゆ、幽霊でありますかっ!?」
幽霊、という単語に飛び退いたのは、今まで間宮くんと睨みあっていたはずの小暮君だ。彼も相変わらずらしい。
「ゆ、幽霊なんかのせいであるはずないであります!絶対!!」
「あれ〜?もしかして小暮先輩、怖いんですか?」
ぎゃあぎゃあと、大きな手で純也の裾を握りながらわめき散らす小暮君と、それを追う羽黒君。
…二人が純也に触る度に、胸の中で何かが小さく弾ける音がする。
「ちょっと二人とも、純也君にくっつきすぎー!」
そう言って間宮君までもが純也の腕に絡み付けば、純也は助けを求めるように俺を見る。
だがそれも、ふんっ、と鼻を鳴らした賀茂泉君に一蹴されてしまった。「ブラコン」という呟きが聞こえたのは気のせいか?
…まただ。
誰かが純也を気にかける度、俺の胸の中で何かが弾ける音がする。
ここにいる誰もが純也を好いている。人懐こい間宮君や小暮君はもちろん、プライドの塊と言っても過言ではないあの賀茂泉君も、出会ってまだ間もないはずの羽黒君も…そしてこの俺自身も。
その事実が無性に俺を苛立たせ、焦らせる。
ぷちん、ぱちん、
賑やかな研究室の中でも際立つその音は、まるで秘密や理性という名の弦がはち切れる音のようで。
ああ、頼むから。
これ以上俺の「秘密」を刺激しないでくれ。
「…どうしたの?兄さん」
そう言って困ったように微笑む顔は、
『…ゆびきった!』
あの日と変わらないあたたかさを湛えていて。
ああ、
嗚呼、
「…兄さん?」
ぷちん、
「あいしてる」
にぎやかな仲間達の中で首をかしげる純也に、俺は唇だけを微かに動かした。
(秘密が壊れるまで、あと何秒?)