お伽噺ー零ノ域ー

□黒と赤に隠れた疑念
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金木犀がほのかに香る。



「凍花ー構ってよー」

「"超"が付くくらい構ってるんですけどぉ」

「これ構ってるって言わないよ!」



無理言わないで睦月くん

今仕事中


私の膝でゴロゴロ転がっている睦月くんを一瞥して、手元に視線を戻した。

なんか香袋をあげてから、やけに睦月くんになつかれた。立花家から出たあと散々宗方に体調管理云々を言われた私は『徹夜はせずに朝早起きをして仕事をすればいい』思考に切り替えて、それを実行していた。

半寝惚け状態の私。

やや太陽が出てきて気温も上昇し頭も覚醒してきた頃、突然睦月くんから襲撃を受けた。朝の黒澤家に、八重お嬢さんや紗重お嬢さんではなく、わざわざ居候している私の部屋に訪ねてきた。

驚きながら何しに来たのと訊けば、「凍花に会いに」と言う。

嬉しくないといえば嘘になるが仕事してるときに来られても正直邪魔だ。



「ならそこを退いてください。さっきから布を引っ張ってます」

「いや」

「針が刺さっても知りませんよ」

「…いじわる」



針の先をわざとキラリと光らせれば、睦月くんは身を強ばらせてバッと頭を抱えた。

お、今の反応は可愛かったぞ。



「大体にして樹月くんはどうしたんです?今日は一緒じゃないんですか?」

「兄さんは読書に熱中しちゃって構ってくれない」

「…なんと、まあ(樹月くーん!あなたのツケが此方に回って来てまーす!)」

「なんか読めない漢字があるって言って苦戦してた」

「へ〜…どんな字ですか?」

「ん〜っと…」



睦月くんは私の膝からズルリと体を起こすと、採寸や模様やらのメモが乱雑に書かれたザラ紙にさらさらと漢字を書き始めた。

わ、睦月くん凄い。手本もなしに難しそうな漢字をズラズラ書いていく。記憶力が良いのねぇ。

眼鏡をクイと掛け直し、紙を覗き込む。



「こんな感じだったよ」

「どれどれ…祇園精舎(ギオンショウジャ)に娑羅双樹(シャラソウジュ)、倶利伽羅(クリカラ)に鵯越(ヒヨトリゴエ)、建礼門院(ケンレイモンイン)、以仁王(モチヒトオウ)、禿髪(カブロ)、壇の浦(ダンノウラ)…ってピンポイントで源平合戦ですね。樹月くんチョイス渋いなぁ」

「げんぺいがっせん?」

「え、知らないんですか?」



きょとーんとして私を見つめるぬばたまの瞳に、逆に私がきょとーんとする。

だって源平合戦だなんて小学校でも習うわ。

漠然とした思いでじーっと睦月くんの目を見つめ続ける。嘘をついているようでもなく単に頭が悪いってわけでもなさそうで(←睦月くんごめんなさい)首を傾げた。



「睦月くん、平安京が出来た年はわかります?」

「へいあんきょう…?」

「…三角形の面積の公式は」

「面、積……」

「酸性にアルカリ性を混ぜると、何ていう化学反応が起こる…?」

「賛成?有る借り…?」

「げ、源氏物語の作者は」

「んー!それ兄さんが言ってた……紫式部…?」

「当たり!じゃあことわざで時間の流れが速いという意味は?」

「それならわかるよ!光陰矢のごとし!」

「よし!」



長い質問の末にやっと正しい答えを出してくれたので、思わず大喜びしてしまった。

ハッとしてふるふる頭を振る。

これで理解した。国語は出来るようだが簡単な算数、理科、歴史は解らないんだこの子は。

否違う。多分解らないのは睦月くんだけじゃない。

此処の子ども達みんなが学がないんだ。



「(この皆神村は町から離れ孤立した完全なる過疎地…町にある学校まではかなり遠いし、子がこれなら親だってきっと学がない筈だから教えてくれる人もいないんだろう)」



…それとも、村の方が必要ないと判断してるのか。

何にせよ簡単な計算や知識がないのは生きていく上であまりに不便だ。



「…………」

「凍花…もしかして怒ってる?」

「へっ?なんで」

「俺が問題に答えられなかったから…」



申し訳なさそうに眉を下げてシュンと項垂れる睦月くんにぎゅっと心が締め付けられ、静かに彼の頭を胸に引き寄せた。

抗うことなく睦月くんの頭は私の胸にのっかる。

淡い金木犀の香りが、濃くなった。



「凍花?」

「睦月くんは何も悪くないんですよ。なにも」



ぎゅっと抱く手に力を籠める。

そう、悪いのは睦月くんじゃない。



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