お伽噺ー零ノ域ー
□蒼白い、
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「凍花。井戸を見に行かないか?」
この男はいつも突発的だ。
「…はぁ?井戸?」
そう、とやけに満面の笑みを浮かべている宗方にやれやれと溜め息を吐いて眼鏡のズレを直した。
この銀縁の眼鏡は視力が悪い私の必需品。普段はダサいから掛けない。
けど、今着けてるってことはね、
「アンタ私の手元見えてるんすか!?どぉ見たって仕事中なんですけど!」
ホラ!と嫌味ったらしく縫い途中の白地に縹、紅梅、薄色と涼やかな朝顔の布を見せつければ、ああ、と小さな声で呟いた。
今日はほぼ徹夜状態で仮縫いをしていた。
仮縫いだけだからすぐに終わるけど、如何せん数が多いから中々終わらない。子供用が多いだけマシなんだけど。
逢坂家に依頼されてまだ数日しか経っていないが、期限無しの仕事だからと怠けたくはない私は一刻も早く出来立ての着物を届けたかった。
…なのにこの男は……
上機嫌な時の宗方と話しても埒があかないことは既に熟知している私は、宗方から視線を外し無機質なレンズ越しに針の先を見つめて作業を再開した。
「たまには息抜きにいいだろう?行こうよ」
「たまにってったってまだ数日しか経ってません。てか子供か、一人で行ってください」
「それがな、一人じゃないんだ」
フフンと何故か得意気な宗方を、は?と目を細める。
「相変わらず目付き悪いな…は今は置いといて。君たちからも凍花を説得してくれよ」
「凍花おはよう!一緒に外に出掛けようよ」
「早く支度して凍花。置いてっちゃうよ」
………。
「…宗方………」
「立花双子という心強いナビゲーター付きだ!」
「…………は」
い、としか言えないじゃないか。
****
*
*
*
「二人は井戸見たことないの?」
「俺はあるよ。祖父母の家で」
「私はありませんねぇ。家が洋風なので」
私たち四人は黒澤家を出てのんべんだらりと喋りながら井戸へ向かっていた。
この村で一番立派なのは、槌原家が所有している井戸らしい。
正直アンティークな物と言えば聞こえはいいが井戸は井戸だろ。興味のない私は専らお喋りの方がよっぽど楽しかった。
「井戸見たいっていう人は中々いないよ。宗方は珍しいね」
「学者の血が騒ぐんだ。見たくて見たくて堪らなくてさ!」
「ただの好奇心に人を巻き込まないでください学者の助手」
「手厳しいなぁ凍花は。お前も見たいだろ?」
「いや別に全然これと言って」
風にぶわりと揺れ広がる青柳の袖口。靡く着物の裾を摘まみながらツンと宗方から顔を反らせば、睦月くんは可笑しそうにクスクス笑った。
その可愛い笑顔にやられ、そんな自分についやさぐれる。
…ぅぅ…素直になれない自分が恨めしい…
「別に、喉が少し渇いたから行くだけであって……井戸が見たい訳じゃ…」
「あそこの水は綺麗だからきっと喜ぶよ……っわ!」
「!危ないっ!!」
パシッ!
後ろ向きで歩いていた樹月くんは石に躓き大きく体が傾いた所を、私は寸でのところで彼の腕を力強く掴んだ。
そしてその勢いのまま細い腕を引き寄せ抱き留める。
あまり小さくもない体躯が私の腕の中に収まった。
ふぁー間に合ったぁ!
「大丈夫ですか樹月くん」
「!」
「…?」
「…大丈夫だよ、ありがとう。けど、俺は兄さんじゃくて睦月」
「え…っ!?」
樹月くんだと思っていた少年は実は弟の睦月くんで、その柔らかそうな唇が"睦月"と紡いだ瞬間に私は脳みそがサァッと冷えていくのを感じた。
ピクリとも動かず目も合わせてくれない睦月くんにどうすることも出来ず、硬直。
名前間違えるってかなり最低じゃないか!
「惜しいなぁ。睦月を助ける所までは格好良かったのに」
「宗方!」
宗方の茶々に慌てて肘で小突く樹月くん。
改めて突きつけられた失態に頬が熱くなっていく。
「(うっわ凄い恥ずかしいっ。人として最低しかもまだ謝ってない!嫌よね普通名前間違えられたら…っ)、……」
「あ、凍花の悪い癖が出た。そうやってすぐに目を反らす。悪いなって思ったなら謝ればいいのに」
「わ、わかってますよ!その……ごめ、んなさい…睦月くん…」
「…気にしないで。よくあることだから」
一瞬ピクリと肩を震わせた睦月くんは、何事も無かったように私から離れるとスタスタと前を歩き出してしまった。