お伽噺ー零ノ域ー
□不意打ちの紅花
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深い闇が迫る
蝋燭の灯りなんて掻き消すほどに暗く哀しい、漆黒
振り払うことなんて簡単なのに
振り払えない私は、臆病者
「(あーいけない!つい樹月くんと睦月くんと話し込んでたら暗くなっちゃった……)……んん?」
数枚の反物を抱え、黒澤家へと続く長い橋を走っていた私は、前方に動く人影を見付けた。
綺麗な少女だった。
闇に滲む黒い着物。そんな闇に抗うように爛々と浮かぶ赤い腰ひも。さながら夜に咲く儚い椿のような少女だった。
椿のような少女は橋の縁にもたれ掛かり、浮かない顔で湖を見つめている。まさか自殺かと思って暫く見ていたが、その様子はないようなので短く息を吐いた。
こんな時間に、こんな所にいるくらいだから黒澤家の人だろうか……
「あの、お嬢さん?」
「ひゃっ!」
驚かせないように優しい声音で声をかけたつもりだったのに、あまり意味は無かったようで少女を驚かせてしまった。
慌てて頭を下げる。
「すみません!驚かせるつもりはなくて…」
「私こそごめんなさい…通行の邪魔をしてしまって」
「いえ、違いますのでご心配なく。ただこんな夜更けにお嬢さん一人は危ないですよ。何か、家に帰れない事情でも……」
「そうじゃないんです!………そうじゃ……」
「……?」
それっきり黙ってしまった少女。
しまった、地雷踏んだ?
ギクリと肩を震わせ、帰るに帰れない状況を作ってしまった私は内心冷や汗をかく。しかし互いに黙っていても埒があかないので、腹をくくって黙りの少女に話しかけてみることにした。
「私は黒澤良寛さんに頼まれて皆神村に来た、呉服屋の京極凍花といいます。もしかしてお嬢さんは良寛さんの娘御さんですか?」
「…はい。黒澤紗重といいます」
「紗重…いいお名前ですね」
「え?」
少女はキョトンと大きな目を丸くして私を見る。
私はにっこり笑った。
「"紗"とは別名うすきぬとも呼びまして、着物と関係する字です。呼び名の通り紗一つでは薄着でも、"重"が付けば衣を幾重にも重ねることができる。紗を重ねる…呉服屋の私とは相性の良い名ですよ」
「………………」
なんて言って無邪気に微笑んでみせる。
…ごめんなさいこんな話題しかなくて。
軽く自己嫌悪に陥る。
「あー…その…すいません、どうでもいい話をしてしまって」
「どうでもいいだなんてそんな!名前を誉められたのは初めてで…ありがとうございます、京極さん」
紗重お嬢さんは花のようにふわっと可憐に微笑んだ。
ひゃ〜初めて笑顔を見たけど、笑うともっと可愛い人だなぁ
なんだか少しだけ打ち解けられた気がして、さりげなく隣に並んだ。
「あれ?そういえばもう一人娘御さんがいらっしゃるって聞いた気が……」
「お姉ちゃん…じゃなくて、八重です。黒澤八重、私の双子の姉」
「(!また双子…この村には双子が多いのかな)その八重お嬢さんとはご一緒ではないんですか?」
「…お姉ちゃんは今お父様に呼ばれていないんです」
まるで離れている距離を嘆くように、悲しげに睫毛を翳らせる紗重お嬢さん。
見てるこっちが胸がきゅってなった。
「…なら、早くお屋敷へ帰りましょう?部屋の前で待ってればいいじゃないですか。ここに長居しては体が冷えます」
「ううん、ここにいる」
「どうして……」
「…お姉ちゃんなら、私が何処にいたってきっと来てくれるから」
キット来テクレル
無垢なまでに姉を信じ、待ち続ける妹。
誰かが自分を理解して傍にいてくれる信頼感があるからこそ、信じて待っていることが出来る。
『凍花っ遊ぼ!』
そんな感情、私にはわからないけど。
…わかりたくもない。
心が黒くすさんでいくように感じて溜め息を一つ溢し、持っていた反物を引くと紗重お嬢さんの肩にかけてあげた。
水色に大輪の向日葵が施された反物が翻る。
「凍花さん……」
「せめて何か羽織るくらいはしてくださいな。紗重お嬢さんが迷惑でなければ、私もここにいます」
話し相手がいた方が時間の流れを早く感じるでしょう?とウィンク付きで言えば、紗重お嬢さんは綻ぶように笑った。
私もつられたように笑う、フリをする。
心に黒い靄(もや)を残して。
お嬢さんには気付かれないように飲み込んで、吐き出さないように。
吐き出してしまったら、傷つけてしまうから。
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