‡悟飯受けの部屋‡

□【魔法】
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地上の様々な色の人工的な光りが闇のカーテンの裾をくすぐる、夜の街。
繁華街の路地を仕事帰りの酩酊状態の男達が往来し、駅前や商店の前では人類の未来を担う若者達が地べたに座り込んで屯する。

平和に浮かれて風紀の乱れた人々の様子を、嫌悪に眉間に皺を寄せるでもなく天界から見下ろしていたピッコロは、無表情のまま踵を返して神の宮殿の己の寝室へと足を戻した。

以前なら『悪趣味』と評していた神の行為が、愛弟子が命を張って地球を守って以来、自然とピッコロの日課となっている。

今日も、人類の脅威と成り得るものの存在は確認されていない。

そうしてようやく、ピッコロの中の神は安堵して眠りに就けるのだった。

だがー

綺麗に整われた自分のベッドに腰をかけ、同じ場所に同じように腰かけていた昨日の悟飯を思い出し、ピッコロは白いシーツを手の内に握り込んだ。










「先に寝ていろ、と言っておいただろう」

ピッコロのベッドの縁にちょこんとした風情で座る悟飯に声を投げると、悟飯は読んでいた本から顔を上げて弱々しく微笑んだ。

どこか気怠げに細められたその瞳は、一目でわかるくらいに赤かった。

「ピッコロさんを待っていました」

そう言うと悟飯は、己の言葉が真実であるのを行動によって証明するかのように、ベッドから飛び降りると側の小さなテーブルに分厚い本を置く。

「今日は勉強はしなくて良いと、チチから言われたのではなかったか?」

揶揄うようにピッコロが笑うと、悟飯は本をペラリと捲り、勉強ではなくて読書だと弁明した。

「勉強で疲れている上に、赤ん坊の泣き声がうるさくて夜もまともに眠れていないようだと、チチが心配していた。読書であっても、根を詰めるな」

父親が不在の孫家に産まれたばかりの悟飯の弟は、乳を求めて数時間置きに泣く。

それも、勉強での疲れを睡眠で癒したい兄の存在などお構いなしに、昼夜を問わず。

だが、悟飯の睡眠不足の原因は、どうやら悟天の泣き声だけではないようだった。

大人より多くの睡眠を必要とする筈の子供が些細なことで頻繁に目を覚ますのは、悟飯の睡眠が浅いものであることを意味している。

たたでさえ最愛の父を亡くして以来、辛い現実を忘れるためか、胸にぽっかりと空いた穴と父と過ごす筈だった時間を埋めるのが目的なのか、傍で見守るチチが体を壊すのではないかと危惧するほど悟飯は一心不乱に勉強に打ち込み、疲労困憊している。

そこにきて新しい家族が増えて以降は睡眠もままならぬとあって、見るに見兼ねたチチが悟飯に関しては信頼の置けるピッコロに相談を持ちかけたのだった。

だが、悟天が産まれるより数年も前から時々悟飯が悪夢にうなされているのを、ピッコロは知っている。

ただでさえ子供であれば遺体を目撃しただけでもPTSDを発症する危険性が高いところなのに、常に死と隣り合わせの境遇に身を置き、人の生死を何度も目の当たりにしてきた悟飯の深層心理は、更に深刻に傷付いていた。

その深層心理の無数の傷が、見せてはならぬ悪夢を悟飯に見せる。

赤ん坊の夜泣きだけでなく、おそらくはこの悪夢も悟飯が充分な睡眠をとれない一因になっているのだろう。

そこまでの事情は知らないが、悟飯の疲労の回復を図るためにチチは一日だけピッコロに悟飯を預けた。

勉強はさせずとも良いから、とにかく悟飯をゆっくり休ませてやって欲しい、と。

悟飯の休養を目的としたこの日、日中はピッコロと花の咲き乱れる山野を散策し、親友のデンデと語り合い、時には頭脳系のゲームで互いに知恵を絞り合い、終始悟飯は明るい笑顔を見せていた。

日頃の睡眠不足が祟っている上に久々にはしゃいで普段より疲れたのだろう、言葉で語らずとも悟飯の体が休息を求めているのがピッコロにはわかる。


重いマントとターバンを外して床に放ると、ピッコロはベッドに潜り込んで誘うように悟飯に片手を広げて見せた。

宙に浮いて瞑想したまま睡眠をとるピッコロがベッドに長身を横たえることは滅多になく、いつにないピッコロの行動の意味を悟った悟飯は逆らうことなく敬愛する師匠の意に従った。

静かにベッドに滑り込んだ悟飯が人の温もりを求めるように体を密着させてきたが、人間より体温の低いピッコロに悟飯を温めてやることが出来るのかどうかは、ピッコロの明晰な頭脳でも解析の難しいとところだった。

ひんやりとしたピッコロの腕に頭を預けたまま悟飯がピッコロの眼を覗き込み、カラス貝のような光沢を放つその瞳に、神殿の暗闇でも悟飯の瞳の輝きは消せぬようだとピッコロは思った。

色白を通り越して不健康に青白い頬をピッコロの長い指で撫でてやると、澄んだ黒い瞳がうっとりと細められる。
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