‡空飯の部屋‡

□【Jealousy】
1ページ/3ページ




その日の朝は快晴だった。
ようやく早朝の冷え込みが和らいだパオズ山から舞空術で飛び立った悟飯は、彼方まで広がる雲一つない青空と同じくらいの清々しさでハイスクールに登校した。
ところが、青一色で描かれたキャンパスのような朝の空はどこへ行ったのか、ハイスクールからの帰り道で悟飯は突然の雷雨に見舞われた。
ここを抜ければもうすぐでパオズ山のある東の地区に入るという所で横殴りの強い雨に全身を叩きつけられた悟飯は、本日は一日を通して快晴であろうとの解説を聞いた今朝のTVの天気予報が、世界共通のものではなく東の地区限定のローカルニュースのものであったのを思い出した。
やれやれ、明日から朝のニュースは世界共通のものにしようと決め、悟飯は更に上空に出る為に雷雲の中を突っ切る危険は冒さず、高度を下げてどこから襲いかかるかわからない雷を避ける苦労を重ねながら舞空術を続けた。
咄嗟に大事な教科書が入ったスクールバッグを胸に抱いて滝のような雨から守ったのは、我ながら上出来だったと思う。
何せスクールバッグの中に鎮座する教科書たちは、一冊一冊は高額ならざれど母親のチチが自分の服を新調するに足る額で、チチはハイスクールに入学する悟飯の為に新しい自分の服を諦めて教科書の購入代に宛ててくれたのだから。
自分はずぶ濡れになっても構わないが、チチの好意をないがしろにしてしまうような事態は何としても避けたかった。
雨に濡れた体はシャワーで綺麗に洗い流せば済むだけのこと。
だが、薄い紙片を束ねただけの教科書は一度でも濡らしてしまえば再生が不可能なだけに一貫の終わり。
どちらを優先的に守るべきかは自明の理だった。
重いスクールバッグを胸に抱え、頭上でいななく雷神を避ける為に悟飯は高層ビルの屋上スレスレまで高度を下げたが、地上をけぶらせるほどの豪雨に進んで我が身を晒す物好きがこの街には皆無とあって、飛行する悟飯を目撃する者は存在しなかった。
例え目撃者が現れたところで、登下校時のグレートサイヤマンの姿なら何ら問題はない。
街の上空を飛行する者が一般市民ならば目撃者はパニックを起こしてしまうが、それがグレートサイヤマンであればまた何か有事があったのか程度で済んでしまう。
今回のような緊急時にまで、普段と同レベルの慎重さを保つ必要はないだろう。
超高速飛行で見下ろした町並みは、人々が屋内への避難を余儀なくされ為に人影はなく、道路には走行車両も稀で、その姿は経済の停滞を理由に開発途上で打ち捨てられたゴーストタウンを彷彿とさせた。
だが今の悟飯には、普段は見られない珍しい光景に感慨に浸る余裕はない。
緊張を漲らせたまま街を抜けると、そこから先で少しずつ雨足が弱まってゆき、東の地区に到達する頃には濡れ鼠になった悟飯を嘲笑うような青空が広がっていた。
今朝と同じ風景に出迎えられてようやく安堵した悟飯は大きなため息をひとつ吐くと、どんな困難にも前向きな姿勢を見せるように真っ直ぐ前方を見据え、帰宅すべき我が家を目指して一気に加速した。





「ただいま」

上部が丸く加工された木製の扉を開けていつもより元気のない声で悟飯が帰宅の挨拶を済ませると、悟飯に注目した孫家の面々は皆、プレーヤーの一時停止ボタンを押したようにそれまでの動きを忘れてその場に静止した。
この時、年齢も性別も養育環境も思考回路も違う彼らには、ある共通の認識があった。
すなわち、悟飯が帰宅したのはわかるが、悟飯の身に何が起こったのかわからない―
それもその筈、一滴の雨とも無縁な快晴の空の下で一日を過ごした彼らの前に帰宅した悟飯は、帰宅途中で着衣のまま海か湖で泳いで来たのかと思われるほど全身がずぶ濡れだったのだから。
フルフェイスのヘルメットのおかげで頭部だけは無事だったものの、ボリューム感のあるグレートサイヤマンのコスチュームが貧弱に見えるほど、身に纏っている衣類は大量の雨に重く体にまとわりつき、背中をガードする筈のマントからはぼたぼたと水滴が滴り落ちている。
悟飯が何故こんな状況に陥ったのかと、永劫の中のほんの一瞬とはいえ、同時に驚愕という名の呪縛にかかった彼らだったが、その状態から立ち直るのも全員ほぼ同じタイミングだった。
途端に、孫家の中を吹き荒れる小さな嵐。

「悟天、雑巾持って来い!悟空さはタオルだ!悟飯は早く風呂場さ行け!」

穏やかな孫家の中で唯一の低気圧であるチチが鋭く出す指示に、慌てて孫家の男性陣は従った。
指定された物を探して部屋中を駆けずり回る悟天と、悟飯から奪ったスクールバッグを逆さにひっくり返して教科書の救出に取りかかるチチを尻目に、悟空と悟飯はバスルームへと向かう。
悟飯の目的地であるバスルームの隣りの脱衣場から、チチご所望のタオルを届ける使命が悟空にはあった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ